続きです。
③積恋雪関扉
今月のお目当て、多くの人がそうでしょう、きっと。あのうるさ型・渡辺保氏も「今年の収穫」とまで言ってる位だし…。
結論から先に言ってしまうと、私も感動したし楽しめました、でもそれは前半45分くらいまで。後半にやや失速感を感じたのはなぜだろう?じつは今もってそのモヤモヤの解決が付かないのですが…。(二回見てるのに。)
浅黄幕が落ちて、吉右衛門の関兵衛の形のかっこよさ。この設定って古今集の仮名序の大伴黒主のくだりのパロディだってことを不覚にも今回初めて知りました。(この芝居の天明期に江戸の出版数が大坂を抜いたこと。識字率の上昇と古今集などの知識が江戸の庶民に普及していたこと。江戸と大坂での脚本の扱いの違いなど、幕間のイヤホンガイドは勉強になったな。興味のある方は、東京新聞のHP伝統芸能・名流の小山観翁氏の解説をどうぞ。)
吉右衛門の関兵衛は、白鸚のちょっと怖そうな感じと違って飄逸さがあり、表情豊かな印象。(舞台写真買ってしまいましたよ。)浅黄幕が落ちたとたん鳥肌が立ったのは久々。
富十郎の宗貞は、私の見たことのある宗十郎とも梅幸とも違うタイプ。宗十郎は古怪な殿様風だったのに対して、梅幸は貴公子という感じで片袖の気品が絶品だった。(こういう芸風は梅玉さんあたりに継いでほしいな。)で、今回の富十郎の宗貞は、二人に比べれば質実剛健な宗貞という印象。だが、小町と絡むくだり、扇子から小町を垣間見る踊りから急に色気が出てくる独特の宗貞で新しいタイプ(でも他の役者にはできそうもない)に思えた。
そして、魁春の小町。今回実のところ、個人的に一番楽しめたのはこの人のこの役。赤姫姿の出から華やかさと翳りを合わせ持った雰囲気で、この陰影は松江(前名)時代にはなかった気がする。赤姫役というと兎角、華やかさにばかり目が行くが、裏表の裏というか、どこか含みを持った謎めいた雰囲気の赤姫姿は歌右衛門の芸風(というより魂なのかな?)を継ぐもので、ウットリしてしまう。門口から花道にかけての関兵衛とのやり取り、宗貞とのからみなど不思議な霊気の宿るこの舞台のこの役ぴったり。そして三人揃っての踊りはこの舞台のひとつのクライマックスで、「嗚呼、顔見世!」という感じで、小町の花道の引っ込みまであっという間だった。
そして、後半。関兵衛の居眠りの間、舞台が暗くなっての福助の墨染の登場。木の幹からの登場は、玉三郎の場合ゆったりとした大柄な足運び、歌右衛門は変拍子のような独特の足取り(足が不自由だったことから来ている独特の芸風なんだろうが。)だったが、今回の福助は割とスピーディーな登場のような気がした。(勿論前二者に比べてなんだが。)すらりとした形のよさの玉三郎、くねくねとした柔らかさの歌右衛門に対して、福助は比較的スポーティーな身のこなしというのか、そつはないけどもうひとつ私には引っかからない。
ただ、台詞回しの弱音部のニュアンスが歌右衛門そっくりで相当意識しているのかなという気がする。歌右衛門独特の台詞の強弱、弱いほうの声に宿る一種異様な情念の雰囲気の片鱗が、福助の台詞に感じられてこの点は好印象ではある。(演出とはいえ、勘九郎とやる新作のヒステリックな台詞より断然いい。昔、ハワード・ホークスという映画監督が新人だったローレン・バコールに「女の金切り声ほど魅力のないものはない。低い声の台詞回しを練習するように。」と言ったという話は芝居全般にいえる事だと思う。)
あと、吉右衛門の持つ斧がひときわ大きく感じたのと(錯覚かも。)、墨染めが髪の櫛を抜くところは歌右衛門の充分過ぎる思い入れが一番よかったなというのが私の気になったところ。
でも、やっぱりこの演目は小町・墨染を一人二役でやって欲しいと正直思った。個人的には魁春で観たいところだが、福助もどうせ歌右衛門襲名のときにはやるんだろうし、国立あたりで一度やってもらいたいところ。
なお、今回のこの演目のイヤホン解説は小山観翁氏で、黒主をブラック・マスター、小町桜の精をフェアリーと観翁節全開で楽しめました。芝居好き以外にはとっつき難い演目ではあるので(それに90分はそれなりに長い。)、自信のない方にはイヤホンガイドの使用をお薦めします。
④松栄祝嶋台
今月は渋い演目ばかりのなかで、一番軽い演目ながら、なぜかすっきりと楽しめた。仁左衛門の孫千之助君の初舞台。私は初舞台とか初お目見えというのには割りと冷淡な歌舞伎ファン。実際、この手の出し物は演目としてはつまらない場合が多く、お付き合いとして帰らないというのが私のスタンスなのだが、今回は重い芝居の続いた後の、底抜けの楽しさと仁左衛門のかっこよさで、ひょっとすると、今月一番無邪気に楽しめた幕かもしれない。
仁左衛門の鳶頭と孝太郎の芸者。孝太郎に関していうと、私はこの人に妙な期待をしていて、結して美貌とは言い難い若手女形のこの人には、鉄火肌の姉御役の芸を確立して欲しいと願っている。女優でいうと、杉村春子とか大地喜和子みたいな。(顔の印象が似てるだけじゃないとは言わないでね!)実際、黒い着物の立ち居振る舞いは格好良く、他の若手女形にはこういう人はいないような気がする。声は叔父の秀太郎あたりの芸を受け継いでもらって色っぽくなるといいなあと思う。今は立場上娘役も多くやっているが、断然今回のような役のほうがいい。
私の観た日の初舞台の挨拶では、父親の孝太郎も感極まっていたが、千之助君は御爺さん同様、立ち役になってもらいたいもんですね。
仁左衛門を観ると思い出すのは、勝新が十五代目羽左衛門について語った言葉。六代目菊五郎を尊敬し、「映画界の六代目」を目指した勝新。六代目の声色をまねて演技の解説をした後、「でも、やっぱり羽左衛門が好きでねえ。」と一言。
そうなのだ。仁左衛門の魅力というのは、美貌で声の良かった十五代目羽左衛門(この人の台詞回しは、歯の痛いのが治るとまで言われた。)同様、理屈でない気持ちよさにある。
散々芝居の薀蓄を言っておいてこの幕が一番楽しめたというのもなんだが、勝新に倣ってこう言うしかないだろう、「やっぱり、仁左衛門が格好よくてねえ!」と。
★夜の部についてはまた後で!
③積恋雪関扉
今月のお目当て、多くの人がそうでしょう、きっと。あのうるさ型・渡辺保氏も「今年の収穫」とまで言ってる位だし…。
結論から先に言ってしまうと、私も感動したし楽しめました、でもそれは前半45分くらいまで。後半にやや失速感を感じたのはなぜだろう?じつは今もってそのモヤモヤの解決が付かないのですが…。(二回見てるのに。)
浅黄幕が落ちて、吉右衛門の関兵衛の形のかっこよさ。この設定って古今集の仮名序の大伴黒主のくだりのパロディだってことを不覚にも今回初めて知りました。(この芝居の天明期に江戸の出版数が大坂を抜いたこと。識字率の上昇と古今集などの知識が江戸の庶民に普及していたこと。江戸と大坂での脚本の扱いの違いなど、幕間のイヤホンガイドは勉強になったな。興味のある方は、東京新聞のHP伝統芸能・名流の小山観翁氏の解説をどうぞ。)
吉右衛門の関兵衛は、白鸚のちょっと怖そうな感じと違って飄逸さがあり、表情豊かな印象。(舞台写真買ってしまいましたよ。)浅黄幕が落ちたとたん鳥肌が立ったのは久々。
富十郎の宗貞は、私の見たことのある宗十郎とも梅幸とも違うタイプ。宗十郎は古怪な殿様風だったのに対して、梅幸は貴公子という感じで片袖の気品が絶品だった。(こういう芸風は梅玉さんあたりに継いでほしいな。)で、今回の富十郎の宗貞は、二人に比べれば質実剛健な宗貞という印象。だが、小町と絡むくだり、扇子から小町を垣間見る踊りから急に色気が出てくる独特の宗貞で新しいタイプ(でも他の役者にはできそうもない)に思えた。
そして、魁春の小町。今回実のところ、個人的に一番楽しめたのはこの人のこの役。赤姫姿の出から華やかさと翳りを合わせ持った雰囲気で、この陰影は松江(前名)時代にはなかった気がする。赤姫役というと兎角、華やかさにばかり目が行くが、裏表の裏というか、どこか含みを持った謎めいた雰囲気の赤姫姿は歌右衛門の芸風(というより魂なのかな?)を継ぐもので、ウットリしてしまう。門口から花道にかけての関兵衛とのやり取り、宗貞とのからみなど不思議な霊気の宿るこの舞台のこの役ぴったり。そして三人揃っての踊りはこの舞台のひとつのクライマックスで、「嗚呼、顔見世!」という感じで、小町の花道の引っ込みまであっという間だった。
そして、後半。関兵衛の居眠りの間、舞台が暗くなっての福助の墨染の登場。木の幹からの登場は、玉三郎の場合ゆったりとした大柄な足運び、歌右衛門は変拍子のような独特の足取り(足が不自由だったことから来ている独特の芸風なんだろうが。)だったが、今回の福助は割とスピーディーな登場のような気がした。(勿論前二者に比べてなんだが。)すらりとした形のよさの玉三郎、くねくねとした柔らかさの歌右衛門に対して、福助は比較的スポーティーな身のこなしというのか、そつはないけどもうひとつ私には引っかからない。
ただ、台詞回しの弱音部のニュアンスが歌右衛門そっくりで相当意識しているのかなという気がする。歌右衛門独特の台詞の強弱、弱いほうの声に宿る一種異様な情念の雰囲気の片鱗が、福助の台詞に感じられてこの点は好印象ではある。(演出とはいえ、勘九郎とやる新作のヒステリックな台詞より断然いい。昔、ハワード・ホークスという映画監督が新人だったローレン・バコールに「女の金切り声ほど魅力のないものはない。低い声の台詞回しを練習するように。」と言ったという話は芝居全般にいえる事だと思う。)
あと、吉右衛門の持つ斧がひときわ大きく感じたのと(錯覚かも。)、墨染めが髪の櫛を抜くところは歌右衛門の充分過ぎる思い入れが一番よかったなというのが私の気になったところ。
でも、やっぱりこの演目は小町・墨染を一人二役でやって欲しいと正直思った。個人的には魁春で観たいところだが、福助もどうせ歌右衛門襲名のときにはやるんだろうし、国立あたりで一度やってもらいたいところ。
なお、今回のこの演目のイヤホン解説は小山観翁氏で、黒主をブラック・マスター、小町桜の精をフェアリーと観翁節全開で楽しめました。芝居好き以外にはとっつき難い演目ではあるので(それに90分はそれなりに長い。)、自信のない方にはイヤホンガイドの使用をお薦めします。
④松栄祝嶋台
今月は渋い演目ばかりのなかで、一番軽い演目ながら、なぜかすっきりと楽しめた。仁左衛門の孫千之助君の初舞台。私は初舞台とか初お目見えというのには割りと冷淡な歌舞伎ファン。実際、この手の出し物は演目としてはつまらない場合が多く、お付き合いとして帰らないというのが私のスタンスなのだが、今回は重い芝居の続いた後の、底抜けの楽しさと仁左衛門のかっこよさで、ひょっとすると、今月一番無邪気に楽しめた幕かもしれない。
仁左衛門の鳶頭と孝太郎の芸者。孝太郎に関していうと、私はこの人に妙な期待をしていて、結して美貌とは言い難い若手女形のこの人には、鉄火肌の姉御役の芸を確立して欲しいと願っている。女優でいうと、杉村春子とか大地喜和子みたいな。(顔の印象が似てるだけじゃないとは言わないでね!)実際、黒い着物の立ち居振る舞いは格好良く、他の若手女形にはこういう人はいないような気がする。声は叔父の秀太郎あたりの芸を受け継いでもらって色っぽくなるといいなあと思う。今は立場上娘役も多くやっているが、断然今回のような役のほうがいい。
私の観た日の初舞台の挨拶では、父親の孝太郎も感極まっていたが、千之助君は御爺さん同様、立ち役になってもらいたいもんですね。
仁左衛門を観ると思い出すのは、勝新が十五代目羽左衛門について語った言葉。六代目菊五郎を尊敬し、「映画界の六代目」を目指した勝新。六代目の声色をまねて演技の解説をした後、「でも、やっぱり羽左衛門が好きでねえ。」と一言。
そうなのだ。仁左衛門の魅力というのは、美貌で声の良かった十五代目羽左衛門(この人の台詞回しは、歯の痛いのが治るとまで言われた。)同様、理屈でない気持ちよさにある。
散々芝居の薀蓄を言っておいてこの幕が一番楽しめたというのもなんだが、勝新に倣ってこう言うしかないだろう、「やっぱり、仁左衛門が格好よくてねえ!」と。
★夜の部についてはまた後で!
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