切られお富!

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十一月大歌舞伎 夜の部 (歌舞伎座) 

2004-11-21 01:10:10 | かぶき讃(劇評)
今月は遅れ気味の感想ですが…。

①菊畑

実を言うと、大変苦手な芝居のひとつで、個人的にはそれまで食わず嫌いしていたイヤホンガイドを最初に手に取った芝居でもある。

それが、平成13年の顔見世の虎蔵=菊五郎、智恵内=仁左衛門、鬼一=左團次の舞台を観て、目から鱗が落ち、「こんな気持ちのいい芝居だったのか!」と悟ったという、私の中ではいわく付きの芝居。

平成13年のとき面白かったのは、この芝居のテンポの速さ。声のいい役者がテンポ良く、ポンポンと掛け合いを続けていく気持ちよさが印象的で、それまで長く感じたこの芝居が違って見えてきたほどだった。

で、今回。虎蔵=芝翫、智恵内=吉右衛門、鬼一=富十郎とくれば、きっとまた気持ちの良い「菊畑」になるのではという気がしたのだが…。

まず正直な印象は、テンポが遅い。吉右衛門の台詞は歯切れより、独特の詠嘆調の気持ちよさで、良くも悪くもこの芝居は吉右衛門のリズムに支配されてしまったような気がする。一方、富十郎の鬼一。普段は歯切れのいいこの人の台詞だが、鬼一の台詞というのは難しいのか、一節一節確かめながら言っているように思えて、この人にしては珍しくのってこれない。そして、芝翫の虎蔵も吉右衛門の智恵内との後半の掛け合いにもうひとつ張りが感じらず、幕切れの気持ちよさまではいたらなかった印象。梅幸、梅玉の虎蔵の貴公子振りが嫌いではなかったので期待したのだが、貴公子にしては落ち着きすぎな印象を持った。段四郎の湛海の立派さは大当たりだと思ったし、福助の皆鶴姫も悪くなかったんだが、テンポが遅すぎて総崩れしたオーケストラというか、高い材料が揃っているのにいまいちおいしくない料理というのか、なんとも残念な結果という気がしてならない。(好きな役者が出ていただけに。)部分部分は悪くないのに、芝居って難しいなあとつくづく思った一幕でした。

因みに、「犬神家の一族」で出てくる庭の菊人形は、この「菊畑」の登場人物なんですよね。

②廓文章 吉田屋

この芝居というと、ここ最近は仁左衛門の伊左衛門の印象が強く、そもそもあまり内容のない美男美女の痴話喧嘩芝居という私の印象(半分悪口、半分褒め言葉です。念のため。)からして、鴈治郎の伊左衛門はどんな感じになるのかなあと思っての舞台だった。

伊左衛門の登場シーン。紙子姿の男が笠をかぶって登場し、笠を取ると…というだけのことが、仁左衛門がやると鳥肌が立ってしまうのだが、さすがに鴈治郎にそういう興奮を求めるのは無理があるのだろう。むしろ、吉田屋喜左衛門、おきさとの掛け合いの関西風のこってりとした感じに持ち味がある。喜左衛門、おきさの我當、秀太郎はおそらくこの役に関しては今、最良のコンビで味わい深い。でも、東京でなく、京都や大阪だったらもっとこってりやるのかもしれないが。

「吉田屋」を何度か観ていて興味深いのは、玄関先の次、大座敷の場に来ると、炬燵の大きさのバランスからいって、つくづく歌舞伎座は広いなということ。南座や大阪松竹座と比べると広すぎるくらい広い。広い舞台で小さな炬燵ぐらいしかない中で、元気に動き回る鴈治郎の伊左衛門は、美男ではないが憎めない可愛い男という感じだ。

この芝居の上演時間から言って、毎回待たせて待たせて、やっと登場する夕霧。今回の夕霧、雀右衛門は、やっぱり今日芝居を観に来てよかったと思わせる貫禄。立ち姿の美しさ、それでいて仕草の可愛らしさ、人間国宝二人の舞台で広い舞台に隙間を感じさせない。

こういう舞台を観ていると、関東版の飄逸な伊左衛門のパターンとして、久々に勘九郎にやってもらいたいという気がしてくる。(勘三郎の伊左衛門は写真でしか見た事はないが、いい感じだった。)勘三郎襲名のときにやってくれたらいいのだが、やらないでしょうね。私は「浮かれ心中」よりいいと思うんだけど…。

③河内山

仁左衛門初役の河内山。去年、吉右衛門と幸四郎の河内山があったばかりなので、またかという気がしないでもないが、最近舞台充実の仁左衛門のこと、まあいいかということで…。

今回の河内山で一番良かったのが、じつは序幕上州屋。ここでの仁左衛門の河内山は何か小気味のいい悪党という感じ。吉右衛門は<大物の悪>だったし、勘三郎は<ふてえ悪>だったが、何かタイプの違う仁左衛門風の河内山だ。この場は後家おまきの東蔵と和泉屋の段四郎がやはり立派。東蔵は「髪結新三」の後家もいいし、黙阿弥物の後家はやっぱりこの人。それと、松之助の番頭が予想外に良く、今後も黙阿弥物の出演に期待したいところ。(黙阿弥物は脇役との七五調の台詞のアンサンブルが大事で、だから市村鶴蔵みたいな人が大変貴重になるのだが。)花道で河内山が妙案を思いつくときの感じも、なんだか小気味良く、仁左衛門らしくて気持ちがいい。

そして、いよいよ松江邸。梅玉の松江公は品と我が儘さを併せ持ついい感じだし、左團次の高木小左衛門も押し出し立派。

しかし、なんといっても、花道の僧侶姿の仁左衛門の色っぽさといったら…。孫が初舞台を迎える役者の坊主頭の首筋の美しさは何といったらいいのだろう。花道の色っぽい河内山というのは初めて観た。ことによると、十五代目羽左衛門や十一代目團十郎の河内山はこんな感じだったのかも知れない。

ただ、この後の河内山と松江公のやり取りは、仁左衛門初役のせいか、もうひとつ気持ちのいい掛け合いとはいかず、ちょっと消化不良。それと、たまたま私の観た日が悪かったのかもしれないが、北村大膳役の芦燕がもうひとつ元気がなく、いや~な奴の北村大膳が締まらず、物足りなかった。

いよいよ、最後の花道での「バカめ!」。なんだかんだで、花道のこの台詞のためにあるような芝居。いろんな役者のパターンがあるが、今回の仁左衛門の「バカめ!」は、不意打ちを喰らったような気がするほど、大声の「バカめ!」だった。歌う感じを想像していた私は、怒声っぽい台詞を聴いて、正直ビックリ。初役の気合いということか。

部分的には黙阿弥物の台詞のアンサンブルを欠くところもあったが、次も期待したくなる仁左衛門の河内山。今この芝居をやる人といえば、幸四郎、吉右衛門、團十郎といったあたりだが、三人とはまったく違う可能性を感じさせてくれ、新しい当り芸を予感させえてくれるに充分な舞台だった。

今月は総じて渋い演目が並び、一般受けはどうなのか気になるところだが、芝居になじみのない人も、イヤホンガイドを借りてでも観るべし。私なんか悪口書きながら、もう一回行こうか迷ってるぐらいですからね!
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