切られお富!

歌舞伎から時事ネタまで、世知辛い世の中に毒を撒き散らす!

寿初春大歌舞伎「藤十郎の恋」「伽羅先代萩」他(歌舞伎座)

2006-02-08 02:44:00 | かぶき讃(劇評)
一月中に完成できず、はやくも年初の目標倒れか…。とりあえず、夜の部の感想です。

①藤十郎の恋

菊池寛の原作は典型的に野暮な近代小説だし、作者自身の創作も随分入っているので注意が必要なんだけど、「坂田藤十郎ってどんな人」っていう初歩的な疑問に答えるという意味では読む価値ありってところか…。しかし芝居の方はどうかな?

端折って言えば、和事を得意とする役者・初代坂田藤十郎が人妻と不倫する男の役の役作りに悩んだ末、わざと人妻を口説いて芝居のヒントを得るんだけど、口説かれた人妻は藤十郎が本気ではなかったことを知り自害するというストーリー。菊池寛は人妻の方に同情してこの作品を書いてるんだけど、初代鴈治郎がこの芝居で大当たりを取ったのは、明らかに当代一の人気役者が人妻を口説くという艶っぽさのおかげ。このあたりの原作と芝居のズレがどの程度演出上の問題として認識されているのかどうかってところが、上演する際のポイントなんだと思うんだけど、結局どうだったんだろう?。(注:江戸時代はもちろん、この芝居の初演である大正時代も姦通罪は大変な罪です。)

序幕の宴席では坂田藤十郎という役者の評判記を語る幕という意味があったわけだけど、今回は襲名興行の舞台だし、もうちょっとおおげさに評判を語ってもよかったかなという気も。そして、今回の藤十郎役・扇雀が登場。兄の翫雀でなく扇雀だってところは、扇雀の方が内に秘めた悪徳を感じさせる役者(以前国立でやった加賀見山でそう確信した。)だという意味で賛成なんだけど、今回はいかにも舞台裏の藤十郎という地味さで、華やかさがなんとも希薄。

そして問題は、次の人妻を口説く場面。人妻・お梶役の時蔵はいつもの凛としてすました雰囲気と違い、いかにも所帯染みた人妻に見えて随分俗っぽいイメージ。これだと藤十郎の口説き文句とは裏腹につまらない女を口説いたように見えたし、これに加えて扇雀の口説く台詞回しが「体育会系男子のあられもない怒声の告白」(すいません、想像です!)みたいでとても和事師にはみえない。これでは、本来粋な場面のはずが、まるでドストエフスキーの『地下室の手記』の最後(地下室にこもっていたオタク青年が外に出て、娼婦を口説く場面のこと。)みたいで、さすがのわたしも正直興醒め。

最後に、今回の扇雀の台詞回しは明らかに、父親・新藤十郎風のアクセントだったんだけど、声の質が違うし、扇雀の方がもっと鋭くて刺すようなタイプの色男だとわたしは思う。どうせなら、もっと独自路線の「藤十郎」像を作ってもよかったんじゃあという気がしましたね。

というわけで、今後の「玩辞楼十二曲」としては検討の余地アリでは?

PS:劇中で藤十郎が役作りに悩む芝居「大経師昔暦」は、昨年の歌舞伎座で梅玉、時蔵コンビで上演されたわけだけど、もう舞台に出さない方がよいのでは?というのも、この芝居は『ゴダールの映画史』にもそのクライマックスが登場した、溝口健二監督の映画『近松物語』で、その配役、美意識とも完成されており、どんな演じ方をしても映画に見劣りがしてしまうから。

なお、岩波映画が製作した全五巻の『歌舞伎の魅力』というビデオの第四巻「音楽」で、歌右衛門がこの芝居の演出を手がけているシーンがみられますよね。

②口上

一番緊張してたのは、長男の翫雀かなって気がしましたね。(最初に自分の名前を言うのを忘れていたし。)しかし、舞台上手の端っこが幸四郎で、下手の端っこが吉右衛門って、やっぱり仲が悪いから遠くにしてるのかなって思ったわたしは、考えすぎかな…。

③伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)

今回の襲名披露狂言発表の時から一番見たかった演目。それというのも新・藤十郎なら普段と違う型を見せてくれるはずだと思ったからで、果してその通りになった。

「伽羅先代萩」といえば、近年では玉三郎や菊五郎がやっているし、今回は念の為に歌右衛門のビデオ(2種類)や昨年の文楽公演の資料も復習。で、何か忘れてなかったかな、なんてことを考えていたら、大事なものを忘れていた。猿之助の「伊達の十役」!。「先代萩」の十役を猿之助一人でやるという芝居で、当然ながら御殿の政岡もやっている。
余談ながら、昨今の新作歌舞伎、復活狂言を観るにつけ思うのは、猿之助は志が高かったなあということ。元気な頃は好きではなかったけど、猿之助の演出には過去の埋もれた型の復活という視座が確実にあり、後世にちゃんと財産を残しているといえると思う。それを考えると、「浮かれ心中」の勘九郎や「児雷也」の菊之助の宙乗りは志が低すぎる。

さて、話を本題に戻すと、「伽羅先代萩」御殿の場というのは仙台伊達藩のお家騒動を元にした芝居で、お家乗っ取りを目指し若君毒殺を狙う一味から、乳母・政岡とその子・千松が若君を守るという忠義の芝居。通常、立役が主役の歌舞伎にあって、珍しく女形が主役の芝居で、主役の乳母・政岡は女形の大役といわれている。

今回の藤十郎の政岡はその丸顔の見た目からか、情の深い母親という感じの政岡で、歌右衛門の気丈でギリシャ悲劇の主人公のような雰囲気や玉三郎のちょっと神経質な最近の若い母親のようなイメージとは好対照。菊五郎はだいたい歌右衛門と藤十郎の中間ぐらいで、猿之助は藤十郎に割りと近いが、やや情が薄い感じか。

前半の見せ場、子供たちのために茶器でお米を炊く、いわゆる“飯炊き”は、芝居通をして、「飯炊きのない政岡は政岡ではない」といわせるほど重要なものながら、一方で「見物泣かせ」ともいわれるしぐさだけの場面。実際省略されることも多いのだけど、今回の藤十郎のそれは実際的な手つきで、やや神経質な印象を与えた玉三郎とは対照的。歌右衛門のしぐさは、お茶の点前(てまえ)をよく知っている人があまりそれと見せびらかさないもので、茶器でさっと払うしぐさが、その道の玄人にいわせると本格的なものなんだそうだけど、茶道のことがわからないわたしには残念ながらさっぱり…。因みに歌舞伎では舞台下手で行われるこの“飯炊き”だけど、文楽では舞台上手にある小部屋で行われ、若君・鶴喜代を匿う場所も文楽ではこの部屋。去年の文楽・吉田蓑助の政岡では、人形の手のさらさらとした仕種とその白さが舞台に浮かび上がるようでなんとも印象的でしたね。

さて、後半はいよいよ栄御前、八汐の悪役コンビ登場なんだけど、今回は栄御前が秀太郎、八汐が梅玉。栄御前という役は、田之助あたりのイメージがわたしは強かったせいか、秀太郎の栄御前がなんだか若くて艶っぽく感じた。悪意ある艶っぽい女で、ある意味能面のような印象も…。今まで老け女形の役だと思ってたんだけど、これはこれで恐くていいなあという感想。(たとえていうなら、黒澤明の『蜘蛛巣城』の山田五十鈴か?)

一方、八汐の梅玉は見る前は不安だったものの、出てきてから意外に貫禄があって、久々にいい八汐!

以前、團十郎の八汐について、「まったく悪意が感じられない」ということで批判したけど、菊五郎の「先代萩」のときの段四郎の八汐は姿だけ立派で淡白だったし、この役をうまく演じられる役者は近年なかなかいない。(仁左衛門の八汐は意外と憎々しげでよかったけど。)

かつては、先代勘三郎や二世鴈治郎、三代目延若なんかが当たり役にしていて、内に秘めた悪を感じさせるような凄い八汐を演じていたんだけど、今の役者の代になって、こうしたどす黒い悪徳の演技はすっかり消滅してしまった。私見では、この責任は役者の問題のみならず、戦後の風潮なんかもたぶんに影響してるんだとわたしは想像するんだけど、どうなんですかね~。

今回の梅玉の八汐は、見た目の恐さもさることながら、いつものちょっと歌う感じの台詞回しが意外にもこの役にあっていて、貫禄十分。見る前は、ちょっと線が細いかななんて思ったのだけど、まったく問題なしでしたね。

で、問題の千松殺しの場。通常なら毒入りのお菓子を食べた千松を八汐が殺すところで、政岡が立った状態で鶴喜代を抱いて守るわけだけど、今回の藤十郎は文楽の形を踏襲して、舞台上手の部屋に鶴喜代を入れ、手前の柱を使って見得を切る。ここで政岡の立ち位置が上手なので、梅玉の八汐は舞台中央よりのところで千松に刃を向けるわけだけど、実を言うとここで、かつて「伊達の十役」で延若の八汐が見せた関西の型、手鏡で政岡の様子を伺うという型を梅玉がやってくれるんじゃないかと思ったんだけど、やりませんでしたね。この点はちょっと肩透かし。先代の梅玉が関西の名女形だったことを考えると、関西の型をやってみてくれてもよかったなあとは個人的に思いました。

そして、悪者が去った後の愁嘆場。千松の死骸に向けて政岡が言う決め台詞「でかしゃった、でかしゃった、でかしゃったよのう」なんだけど、「でかしゃった」のワンフレーズごとに思い入れたっぷりの、歌右衛門、玉三郎、あるいは文楽の義太夫に比べると、今回の藤十郎は割合サラサラっと三連発で「でかしゃった」を繰り返した感じ。耐えながら一言一言っていう風よりは、全体で母親全開の愁嘆場という印象か…。

そして、悪人退治の後のこの芝居のもうひとつのクライマックス、床下の場。悪を追う血気盛んな若武者・荒獅子男之助と妖術使いの悪の化身・仁木弾正の登場。

今回は男之助に吉右衛門、仁木弾正に幸四郎だったんだけど、不仲が噂されるこの兄弟の、ほとんどニアミスみたいな競演って、考えてみると凄い趣向ですよね。(だいたい最近同じ舞台に立ってないでしょ、この兄弟。)

荒獅子男之助という役は、若くて威勢のいい役者がやるようなイメージがわたしにはあって、初代辰之助とか新之助時代の海老蔵なんかも胸のすくような舞台だったけど、今回の吉右衛門のこの役は今まで見たこともないような凄い男之助だった。この役ってこんなに重厚な役だったっけといいたくなるような、重さ、迫力!去年の勧進帳の弁慶も凄い弁慶だったけど、この役のイメージが変わるほどの凄みだった。とにかく凄い!("凄い"ばっかりで、まったくボキャ貧だけど、これしかとても言いようがない!)

そして、幸四郎の仁木弾正。今観ることのできる仁木弾正のベストは、どう考えても仁左衛門であって決して幸四郎ではないけれど、これは幸四郎が悪いんじゃなくて、仁左衛門の悪が美しすぎるせい。以前、玉三郎の政岡で仁左衛門の仁木の「先代萩」を一階席で観ていたとき、花道のすっぽんから仁左衛門の仁木弾正が登場する瞬間、一階席の観客の一部が舞台に魅入られて立ち上がってしまい、「立つな!」という怒号が飛んだほど。そんな吸い込まれるような、一点の曇りもない、<神聖な悪の出現>の舞台は、今のところ仁左衛門しか無理ってもんでしょう。(ただし、今後は海老蔵に期待。でも海老蔵の場合は翳りがあるから、仁左衛門のような<透き通った悪>のイメージとは別物になると思う。)

話を幸四郎に戻すと、幸四郎の仁木は二代目松緑みたいな、「いかつい悪役」というよりは、やっぱり美男系の悪役だとは思う。今回は妙な心理描写みたいなことはやってくれなかったおかげで、スッとした、でもちょっとバタ臭い容姿の仁木で悪くはなかった。この人もあんまり芸達者なところを見せなければ、嫌いな役者ではないんだけど…。

というわけで、まずまず満足の「先代萩」でしたね、今回は。襲名料金でなければ一階席で観たんだけど…。

④鳥の千載・関三奴

大舞台の後だったんで、気が抜けた状態で見ていたんだけど、千載の福助はスッとした感じで素直に見れたし、橋之助の奴はだいぶ貫禄がついた感じで、ちょっと芝居もふくよかになってきた。今年はまた芝翫型の熊谷をやってほしいなあ~。(歌舞伎チャンネルで再放送希望!)

というわけで、長々とした感想でした!!

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3 コメント

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高麗屋と播磨屋 (ねも)
2006-02-08 22:06:10
兄弟なのに仲が悪いんですか?



先日「NHKスペシャル」で坂田藤十郎さんを取り上げていたのを観ました。

器用だとは思うけどあまり好きでない役者さんでしたが、この番組を観てから襲名披露公演を見たら、もっと違う見方が出来たのかも、と思ってしまいました。



吉田玉男さん休演で、第二部のチケットがネットオークションに続々出ていますね。。。
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梅玉の八汐、面白そうですね (みしま)
2006-02-09 19:25:50
詳しいレポート、大変参考になりました。ありがとうございます。

梅玉の八汐、ぜひ見てみたかったです。幸四郎・吉右衛門兄弟の共演もあり、今回は先代萩が一番の見ものだったようですね。

「大経師昔暦」の上演については同感です。「近松物語」は溝口監督の演出が冴え渡っていますし、カメラマン・宮川一夫のクレーンショットも素晴らしかったです。
返信する
コメントありがとうございます。 (切られお富 )
2006-02-13 02:32:34
すいません。お返事遅れました。



ねもさん。



高麗屋と播磨屋は若い頃から仲が悪いってよくいいますよね。楽屋では口を利かないとか…。

事の真偽は分からない面もありますが、対抗心があるってことは確かだと思います。でも、若い時みたいに、弁慶=幸四郎、富樫=吉右衛門の勧進帳をやってほしいんですけどね。(ビデオで観るとなかなか鬼気迫った感じでいいんですよ。)



みしまさん



先代萩、よかったですよ。記事には書かなかったけど、最近髪の毛の分け目がちょっときつくなった、葵太夫もよかったし。

それと、『近松物語』いいですよね。宮川一夫のクレーン撮影もいいし。(舟で逃げるとこなんか。)

宮川さんのクレーンといえば、『噂の女』の大きな一間の撮影なんかもわたしは好きです。
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