
談志の「芝浜」の会を引き継ぐような形で、年末恒例になりつつある志らくの独演会。先日談春で聞いたばかりの「らくだ」も今日やるって、会場で知りました!今年は志らくで始まり、志らくで終わった年だったなあ~。というわけで、簡単な感想!
マクラでは談志追悼の一年の話に加えて、ZAZENBOYS向井秀徳が以前から志らくを贔屓にしており、志らくの姿の画像をジャケットに使っている新作がミュージック・マガジンの邦楽アルバム第一位になったという話題が出てました!なお、ご存じない人のために補足ですが、向井秀徳って、クドカンの歌舞伎の音楽をやった人です。
さて、本題の落語の方。
まず、「らくだ」。
談春の「らくだ」が怖い「らくだ」だとするなら、志らくの方は志ん生の流れを継ぐ落とし噺の「らくだ」であり、丁の目半次の存在感より、紙くずやが主役に感じる「らくだ」でした。
談志~談春は実録調というか、「芝浜」同様ドラマチックで演劇な演出という印象がありますが、志らくの方は落とし噺としての妙味に長け、そのため、よく聴くと残酷な部分を多々含んでいながら、笑って最後まで聞ける。志らくが焼き場の所まで完演したうえで、独自のサゲで終わらせる一方、談春は焼き場までいかない終わらせ方で、二人の「らくだ」観の違いがよくわかりますね。
そして、「芝浜」。
「文七元結」しかり、「芝浜」しかり、良くも悪くも熱演力演になりやすい噺ですが、志らくは談志~談春タイプのドラマチックな熱演は避けているような気がします。志ん生が怪談噺を人情話と銘打ってやっていたような了見というんですかね~。手数の多い、くすぐりの多い「芝浜」というのかな~。
個人的には、名作ぶらない志ん生の「芝浜」(三木助が死んだときにやった東宝名人会の音源)がわたしの好みですが、時代は談志~談春系のドラマを求めているような気がする。でも、年末のよみうりホールで、あえて談志的な「芝浜」にしない志らくの心意気をわたしは買いたいなあ~。
ただ、まだまだ発展途上の「芝浜」だと思いますが・・・。
なお、私見では、歌舞伎座での談志・談春親子会の談春の「芝浜」も力みすぎで名演とはいえないと思っています。でも、それゆえに、来年一月の談春の「芝浜」のチケットが取れなかったのは痛いなあ~。
というわけで、志ん朝・談志なき後、談春・志らくで落語の聞き比べができる時代って、幸福だと思います。おまけに、同じ師匠の弟子二人がそれぞれに違う解釈で同じ落語をやってくれるわけで、三遊亭円朝亡き後の明治の落語界もこういう感じだったのかなと、想像したりもしますが・・・。
今年は1月の志らくの「浜野矩随」に始まり、談志追悼芝居劇中の「黄金餅」、紀伊国屋「談志が舞い降りる夜」の「居残り」、そして年末の「芝浜」と記憶に残る高座が続いた年でした。
志らく師匠と松岡弓子さん、紀伊国屋ではサインありがとうございました!
マクラでは談志追悼の一年の話に加えて、ZAZENBOYS向井秀徳が以前から志らくを贔屓にしており、志らくの姿の画像をジャケットに使っている新作がミュージック・マガジンの邦楽アルバム第一位になったという話題が出てました!なお、ご存じない人のために補足ですが、向井秀徳って、クドカンの歌舞伎の音楽をやった人です。
さて、本題の落語の方。
まず、「らくだ」。
談春の「らくだ」が怖い「らくだ」だとするなら、志らくの方は志ん生の流れを継ぐ落とし噺の「らくだ」であり、丁の目半次の存在感より、紙くずやが主役に感じる「らくだ」でした。
談志~談春は実録調というか、「芝浜」同様ドラマチックで演劇な演出という印象がありますが、志らくの方は落とし噺としての妙味に長け、そのため、よく聴くと残酷な部分を多々含んでいながら、笑って最後まで聞ける。志らくが焼き場の所まで完演したうえで、独自のサゲで終わらせる一方、談春は焼き場までいかない終わらせ方で、二人の「らくだ」観の違いがよくわかりますね。
そして、「芝浜」。
「文七元結」しかり、「芝浜」しかり、良くも悪くも熱演力演になりやすい噺ですが、志らくは談志~談春タイプのドラマチックな熱演は避けているような気がします。志ん生が怪談噺を人情話と銘打ってやっていたような了見というんですかね~。手数の多い、くすぐりの多い「芝浜」というのかな~。
個人的には、名作ぶらない志ん生の「芝浜」(三木助が死んだときにやった東宝名人会の音源)がわたしの好みですが、時代は談志~談春系のドラマを求めているような気がする。でも、年末のよみうりホールで、あえて談志的な「芝浜」にしない志らくの心意気をわたしは買いたいなあ~。
ただ、まだまだ発展途上の「芝浜」だと思いますが・・・。
なお、私見では、歌舞伎座での談志・談春親子会の談春の「芝浜」も力みすぎで名演とはいえないと思っています。でも、それゆえに、来年一月の談春の「芝浜」のチケットが取れなかったのは痛いなあ~。
というわけで、志ん朝・談志なき後、談春・志らくで落語の聞き比べができる時代って、幸福だと思います。おまけに、同じ師匠の弟子二人がそれぞれに違う解釈で同じ落語をやってくれるわけで、三遊亭円朝亡き後の明治の落語界もこういう感じだったのかなと、想像したりもしますが・・・。
今年は1月の志らくの「浜野矩随」に始まり、談志追悼芝居劇中の「黄金餅」、紀伊国屋「談志が舞い降りる夜」の「居残り」、そして年末の「芝浜」と記憶に残る高座が続いた年でした。
志らく師匠と松岡弓子さん、紀伊国屋ではサインありがとうございました!
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