日頃、幸四郎親子に批判的な私。(こういう前置き多いな最近…。)とはいえ、勧進帳ですから、というわけで初日観劇記です。
①花雪恋手鑑(はなふぶきこいのてかがみ)
勧進帳だけだと短い(1持間20分くらい)ということで、短めの芝居をということだったのでしょう、この演目は。
正直なところ染五郎に対しては今までよい感情は持っていなかった。第一に国立でやった三人吉三のお嬢吉三。有名な大川端の名台詞「月も朧に白魚の~」の声が硬いし、歌ってないしで一階で見ていた私もさすがにずっこけた。第二に歌舞伎座での女殺油地獄。最近、近松物など上方和事に意欲的に取り組んでいると聞いていたので期待したのだが、相手役の孝太郎ともどもなんだかこなれず、若い役者がやってるシェイクスピアみたいで熱演空振りの印象。第三に歌舞伎座納涼歌舞伎の橋之助とやった寺子屋。私はたまたま花道脇の席で武部源蔵役を見たのだが…。(因みに私は腕組して歩くとき、いつも頭の中で「武部源蔵~」という義太夫が鳴ってます。)深慮と悩みの交差する重厚なこの役でなんだか軽く、ヒステリックな女みたいな狼狽をみせる芝居に、吉右衛門や富十郎の重厚さを望むのは所詮無理ってもんかという感想…。
テレビでしか染五郎を見たことのない人には、いまいちピンとこないかもしれませんが、今まで歌舞伎の舞台を見てきた限り、「姿も声も良いのに立ち役にしては線が細く、和事をやるには変に真面目で色気がなく、台詞と言えば声は良いけど歌わない(気持ちよくない)台詞回し。」というのが私の染五郎に対するイメージだった。
と、ここまで読んだ高麗屋贔屓の方々は、腹を立ててこのブログを去るか抗議のコメントを書こうとするのでしょうが、ちょっと待った!じつは今まで長々書いた私の染五郎に対する悪印象が変わったんですよ、この「花雪恋手鑑」という芝居の花道の出で!
「花雪恋手鑑」という芝居は「乳貰い」という名で知られていますが、実は私はこの芝居、初めて見た。ストーリーを端折って説明すると、許嫁を生娘のままほおっておいた放蕩息子がある晩暗闇で女を手篭めにしたところ、一年後たまたま預かった赤ん坊の臍の緒書きに許嫁の名前が…。じつは自分が手篭めにした女は、自分の許嫁だったという、「そんなバカな!」と言いたくなるようなお話。
花道からピンクの頬かむりをしてふらふらと登場してきた染五郎の柔らかさ、色男ぶりがなんとも色気あり。何かのびのびとした芝居振りで、今回花道七三あたりの席にいた私は、今まであまり好きでなかった染五郎にうっとりとしてしまった。先代鴈治郎の「心中天網島」の花道の出以来と言っては褒め過ぎかもしれないが、幸四郎にはない垢抜けた遊び心が出てきなという印象。私があまり好きでない、歌舞伎以外の芝居の経験がなんとなく実を結んできたということか、はたまた結婚の影響か…。(因みに、この日は、高麗屋の女性陣、幸四郎夫人、染五郎夫人、松本紀保さんが来てました。染五郎夫人は黒谷友香似のスラリとした美人で着物姿もカッコ良かったな。)
相手役の許嫁小雪は芝雀。私は以前からこの人が好きで、四の切の静御前や鮨屋のお里なんか可愛らしくてよかった。一応、「生娘」役という設定だしこの人で適役かなと思ったのだが…。前列3列目だったせいもあるのかもしれないが、もともとふっくらタイプの芝雀、随分首の辺りがたっぷりとした感じになったなあという気が…。ちょっと見た目「生娘」っぽくないかなという気もしなくはなかったが、気の強い「生娘」という設定の芝居は十分。金の無心をする夫(染五郎)の性根を入れ替えさせる為に、夫を折檻する場面の可愛らしさはやっぱりいいなという感じ。小雪(芝雀)が夫(染五郎)を見送るあたり、「こちのひと」という台詞なんかまずまず良かった。この場では、後室伏屋の吉之丞が流石だったのと、娘お露の亀寿が意外と表情豊かで拾い物。
この後、小雪が誘拐されて、手篭めの場面。(こう書くと凄い芝居だな。)勿論、肝心?の場面は出てこないのだが、事が終わった後の染五郎の花道の引っ込みの横顔の色っぽさが、往年の実川延若を思い出した。事後の哀れさは芝雀の芸風にあるものなので悪くない。(でも、やっぱり顔がふっくらしたような…。)ここまでが上の巻。
下の巻は、金に困った染五郎の四郎五郎が赤ん坊を預かったところから、サブタイトルの「乳貰い」に歩く場、小雪との再会、小雪をなじった後、じつは「なーんだ」というオチへと続くのだが、正直言って案外退屈した。解説書の類だと下の巻のほうが大芝居のように書いてあるが、少なくとも今回はそういう印象はなかった。上の巻は上方和事の痴話喧嘩の滑稽さがあったが、下の巻は、あえて言うなら落語の「唐茄子屋政談」みたいな味。とくに最後のオチなんかは芝居としてはどうなんだろう?ただ、手篭めにされて自殺しようとした小雪を助けた大店の福松屋夫婦の幸四郎、萬次郎がある意味、面白くはあったが…。幸四郎のほうは、この人の真面目な雰囲気がかえって、その後続く荒唐無稽な展開のおかしみを助けていたと思う。(不真面目な話は真面目くさってやってもらったほうが面白いでしょ。)一方、萬次郎の女将は商売屋の女将の貫禄があって面白い。ただ、この人にしてはちょっと薄味ではあるが。(普段はもっと変態的なまでの濃さがあるんだけど。)
下の巻全体、ひいては今回のこの芝居全体にいえるのだけど、上方を舞台にした芝居という設定にも拘らず、上方和事の柔らかさを感じたのは、正直言って染五郎だけだった。舞台装置などで上方風にはしていたが、芝居を見た感じでは、深川辺りの落語話といっても遜色ない雰囲気。幸四郎は勿論、芸達者な萬次郎ですら江戸の女将という印象だったし、脇役も上方風な印象は薄かった。
次回のこの芝居の上演は、関西歌舞伎の若手に染五郎客演でこってりやってはどうかな、というのが私の結論でした。(染五郎ファンの方如何ですか?けなしてないでしょ!)
長くなったので、肝心の勧進帳についてはまた別に!
①花雪恋手鑑(はなふぶきこいのてかがみ)
勧進帳だけだと短い(1持間20分くらい)ということで、短めの芝居をということだったのでしょう、この演目は。
正直なところ染五郎に対しては今までよい感情は持っていなかった。第一に国立でやった三人吉三のお嬢吉三。有名な大川端の名台詞「月も朧に白魚の~」の声が硬いし、歌ってないしで一階で見ていた私もさすがにずっこけた。第二に歌舞伎座での女殺油地獄。最近、近松物など上方和事に意欲的に取り組んでいると聞いていたので期待したのだが、相手役の孝太郎ともどもなんだかこなれず、若い役者がやってるシェイクスピアみたいで熱演空振りの印象。第三に歌舞伎座納涼歌舞伎の橋之助とやった寺子屋。私はたまたま花道脇の席で武部源蔵役を見たのだが…。(因みに私は腕組して歩くとき、いつも頭の中で「武部源蔵~」という義太夫が鳴ってます。)深慮と悩みの交差する重厚なこの役でなんだか軽く、ヒステリックな女みたいな狼狽をみせる芝居に、吉右衛門や富十郎の重厚さを望むのは所詮無理ってもんかという感想…。
テレビでしか染五郎を見たことのない人には、いまいちピンとこないかもしれませんが、今まで歌舞伎の舞台を見てきた限り、「姿も声も良いのに立ち役にしては線が細く、和事をやるには変に真面目で色気がなく、台詞と言えば声は良いけど歌わない(気持ちよくない)台詞回し。」というのが私の染五郎に対するイメージだった。
と、ここまで読んだ高麗屋贔屓の方々は、腹を立ててこのブログを去るか抗議のコメントを書こうとするのでしょうが、ちょっと待った!じつは今まで長々書いた私の染五郎に対する悪印象が変わったんですよ、この「花雪恋手鑑」という芝居の花道の出で!
「花雪恋手鑑」という芝居は「乳貰い」という名で知られていますが、実は私はこの芝居、初めて見た。ストーリーを端折って説明すると、許嫁を生娘のままほおっておいた放蕩息子がある晩暗闇で女を手篭めにしたところ、一年後たまたま預かった赤ん坊の臍の緒書きに許嫁の名前が…。じつは自分が手篭めにした女は、自分の許嫁だったという、「そんなバカな!」と言いたくなるようなお話。
花道からピンクの頬かむりをしてふらふらと登場してきた染五郎の柔らかさ、色男ぶりがなんとも色気あり。何かのびのびとした芝居振りで、今回花道七三あたりの席にいた私は、今まであまり好きでなかった染五郎にうっとりとしてしまった。先代鴈治郎の「心中天網島」の花道の出以来と言っては褒め過ぎかもしれないが、幸四郎にはない垢抜けた遊び心が出てきなという印象。私があまり好きでない、歌舞伎以外の芝居の経験がなんとなく実を結んできたということか、はたまた結婚の影響か…。(因みに、この日は、高麗屋の女性陣、幸四郎夫人、染五郎夫人、松本紀保さんが来てました。染五郎夫人は黒谷友香似のスラリとした美人で着物姿もカッコ良かったな。)
相手役の許嫁小雪は芝雀。私は以前からこの人が好きで、四の切の静御前や鮨屋のお里なんか可愛らしくてよかった。一応、「生娘」役という設定だしこの人で適役かなと思ったのだが…。前列3列目だったせいもあるのかもしれないが、もともとふっくらタイプの芝雀、随分首の辺りがたっぷりとした感じになったなあという気が…。ちょっと見た目「生娘」っぽくないかなという気もしなくはなかったが、気の強い「生娘」という設定の芝居は十分。金の無心をする夫(染五郎)の性根を入れ替えさせる為に、夫を折檻する場面の可愛らしさはやっぱりいいなという感じ。小雪(芝雀)が夫(染五郎)を見送るあたり、「こちのひと」という台詞なんかまずまず良かった。この場では、後室伏屋の吉之丞が流石だったのと、娘お露の亀寿が意外と表情豊かで拾い物。
この後、小雪が誘拐されて、手篭めの場面。(こう書くと凄い芝居だな。)勿論、肝心?の場面は出てこないのだが、事が終わった後の染五郎の花道の引っ込みの横顔の色っぽさが、往年の実川延若を思い出した。事後の哀れさは芝雀の芸風にあるものなので悪くない。(でも、やっぱり顔がふっくらしたような…。)ここまでが上の巻。
下の巻は、金に困った染五郎の四郎五郎が赤ん坊を預かったところから、サブタイトルの「乳貰い」に歩く場、小雪との再会、小雪をなじった後、じつは「なーんだ」というオチへと続くのだが、正直言って案外退屈した。解説書の類だと下の巻のほうが大芝居のように書いてあるが、少なくとも今回はそういう印象はなかった。上の巻は上方和事の痴話喧嘩の滑稽さがあったが、下の巻は、あえて言うなら落語の「唐茄子屋政談」みたいな味。とくに最後のオチなんかは芝居としてはどうなんだろう?ただ、手篭めにされて自殺しようとした小雪を助けた大店の福松屋夫婦の幸四郎、萬次郎がある意味、面白くはあったが…。幸四郎のほうは、この人の真面目な雰囲気がかえって、その後続く荒唐無稽な展開のおかしみを助けていたと思う。(不真面目な話は真面目くさってやってもらったほうが面白いでしょ。)一方、萬次郎の女将は商売屋の女将の貫禄があって面白い。ただ、この人にしてはちょっと薄味ではあるが。(普段はもっと変態的なまでの濃さがあるんだけど。)
下の巻全体、ひいては今回のこの芝居全体にいえるのだけど、上方を舞台にした芝居という設定にも拘らず、上方和事の柔らかさを感じたのは、正直言って染五郎だけだった。舞台装置などで上方風にはしていたが、芝居を見た感じでは、深川辺りの落語話といっても遜色ない雰囲気。幸四郎は勿論、芸達者な萬次郎ですら江戸の女将という印象だったし、脇役も上方風な印象は薄かった。
次回のこの芝居の上演は、関西歌舞伎の若手に染五郎客演でこってりやってはどうかな、というのが私の結論でした。(染五郎ファンの方如何ですか?けなしてないでしょ!)
長くなったので、肝心の勧進帳についてはまた別に!
実は染五郎ファンの者でございます。
今月の観劇日はこれからなので、ちょっと楽しみです。まぁ、いつも楽しみなんですがね。
染五郎さんご本人は確かに上方歌舞伎には随分とご執心なようですね。あと、復活狂言にも熱心なようです。
友人から言わせればかなりイッちゃってる染五郎ファンの私ですが、屈折しているのか、はたまたマゾ気質なのか、批判的な感想を読むことは嫌いな方ではありません。
これからも激辛な染五郎評を楽しみにしています…観に行っていただければの話ですが(笑)。
でも、この芝居の花道の出はほんと良かったんですよね、ふわふわして、色気があって。ピンクの頭巾が似合ってたな…。きっとご覧になったら満足しますよ。
染五郎だと、勘九郎の「髪結新三」の勝奴が私は好きでした。
あと、来年のこんぴら歌舞伎、吉右衛門と染五郎だそうですね。染五郎も父親よりおじさんから多くを学んでほしいな…。(ちょっと辛口かな)もちろん私は仕事休んで行きますよ、四国まで。