たまには早めに書きます。筋書き買ってないので、あくまでサラッとだけど・・・。(ネタバレご注意!)
家に帰って調べるまで、この芝居が明治の頃まではよく上演されていたということをまったく知らず、ほとんど新作みたいなものかと勘違いしていた。しかし、そう思いたくなるほど、構成がよくないというのがわたしの印象だったんだけど・・・。
「南総里見八犬伝」といえば、皆さんご存知、渋澤龍彦の「犬狼都市」みたいな美女と犬の異類婚めいた発端から、美女と犬の死と空中に飛び散る八つの水晶の玉、それを拾った八人の「八犬士」の登場。そして、里見家再興のための八犬士の活躍という曲亭馬琴原作の有名な冒険譚。(あっさり説明しすぎだったかな?)
発端、背景の描かれた幕の前で、村人が物語の前段を語り、幕が下りたところで、「鳴神」を思わせる、お堂と滝。犬に殺された武将の怨霊がすっぽんから現れたり、犬(八房)と伏姫(扇雀)の関係、水神の登場など、なんともくどい言葉による説明的なくだりが続く上に、よくも悪くも「歌舞伎座」的なちょっとダサい演出。
猿之助やコクーン歌舞伎が、ファンタジックな作品で開拓してきたような洗練度とは対極にあるような古式ゆかしいスタイルで、たびたび映像化されてきたこのタイトルの妖しい発端としては、なんとも物足りなく感じてしまった。これがまた、先月の素晴らしい「天守物語」の後だというのも、タイミングが悪かったといえるかもしれない。
次の序幕では、染五郎(犬塚信乃)・孝太郎(浜路)コンビに三津五郎(左母二郎)。若い男女と悪役が絡む芝居に、名刀村雨丸の奪い合いが絡む世話場。前記三人はかなりがんばってはいたものの、濃厚な世話場の芝居にはなりきらず、なんだか案外あっさりしたもので、さすがの芸達者三津五郎も空回り気味。勘三郎のような好敵手やベテラン俳優陣に囲まれるといい味を出す三津五郎も、ひとり孤軍奮闘だと、もうひとつ華に欠けるという感じは否めない。
場面変わって山中、籠で連れさらわれた孝太郎演じる娘・浜路と好色な悪党・三津五郎の左母二郎。「襲う男と抵抗する女」というシュチュエーションで、襲う男・左母二郎と助ける男で浜路の腹違いの兄・犬山道節がファンタジックな演出で早替りになるのだけど、ここがこれまた案外あっさりとしたもので、いつもの勘三郎の納涼歌舞伎と違って(!)、あざとくなく、多くの観客は早替りだと気づかなかったみたい。入れ替わった三津五郎じゃない左母二郎に注目してないとわからない早替りというのじゃあ、一工夫が必要なんじゃないかってところですね。
このあと、唐突に八犬士のだんまりになるのだけど、ここは説明なく勢揃いになるので、納涼歌舞伎に多い歌舞伎ビギナーは困ったんじゃないかな?イヤホンガイドがないとわからない演出というのは問題あるなと正直思った構成でしたね。(因みに、わたしは今回はイヤホンガンド使ってなかったけど。)
そして、最後は幕外、三津五郎の道節の花道七三での大見得と引っ込み。この場面は、かつて九代目團十郎や初代鴈治郎、戦後は十一代目團十郎が湧かせた場面だそうで、三津五郎も大いにがんばってはいたものの、ここまでの展開の輪郭が観客にとってはっきりしないために、もうひとつ盛り上がらない。それと、渋い名優・三津五郎にはこうした派手で華のあるシュチュエーションはちょっと辛いという感じもあったかな?(例えば、仁左衛門や海老蔵だったら、もうひとつ違った印象で、見せ場として観客の反応も違ったと思う。)
ここまでで、幕で30分の幕間。「おいおい、今月は大丈夫なの?」って正直思ってしまったけど、後半は割合持ち直してきた。(別にフォローするわけじゃないけどさ!)
成氏館の場での染五郎はもうひとつ貫禄不足で、場面自体の緊張感もいまひとつだったけど、場面変わって浅黄幕から大薩摩の演奏に続いて、芳流閣の場、屋根の美術での染五郎の犬塚信乃VS錦之助襲名を控える信二郎の犬塚現八の大立ち回りはいかにも歌舞伎という大きな見せ場。ハラが薄い二人なので、前の場はいまいちだったけど、ここは溌剌とした立ち回りでまずまず。染五郎は基本的に腰が高くて軽く、あんまり強い剣士にはみえないのだけど、斜めで足場の悪い舞台だから大目にみよう(!)。最後は「がんどう返し」(舞台が90度回る仕掛けのこと)で、ギリギリまで、踏ん張っていた二人に歓声が上がりました!
場面変わって、岸に流れ着いた船に犬塚信乃と犬塚現八が倒れていて、大柄な弥十郎演じる犬田小文吾が通りがかるという素っ頓狂さが、思わず「鈴木清順!」って感じだけど(清順さんは江戸っ子だから歌舞伎は相当観てるんだと思いますよ!)、今月の弥十郎はまずまずいい雰囲気で演じていたという印象。そのあとは刑場の場。
大詰は、福助の犬塚毛野が意外にも好演。日頃、福助の悪口ばかり書いている当ブログだけど、今回の役は「三人吉三」のお嬢吉三のように、男性が女装しているというシュチュエーションで、男に戻るときも凛とした台詞回し、いつもの地声を出す悪い癖が出ず、スッキリと観れて意外な収穫。そのことと関係あるのか、女として烏帽子をつけて舞う姿も、新橋演舞場での娘道成寺のような歌右衛門を意識したクネクネ具合でなく、スキっとした様子で、安心してみれしました。
最後の、仇役・山下定包の扇雀はまずまずの貫禄。でも、根本的にニヒルな芸風の人だから、もっとふてぶてしくてもいいかなとは思ったけれど。(例えば、「藤十郎の恋」)
全般を通していうと、納涼歌舞伎の三部制という制約があったとはいえ、もう少し整理して構成しないと、夏休みの歌舞伎ビギナー向けにはかなり辛いかなというのが正直な感想。それと、ひとりふたりは幹部役者を入れないと、このメンバーでは結構つらい。ディテールに美点があっただけに、今後に課題を残す納涼歌舞伎って印象は持ちましたね。それと、いないと感じるプロデューサー猿之助、勘三郎の偉大さ!でも、役者に頼るんじゃなくて、松竹関係者の姿勢に問題があるんじゃないかっていうのが、今年の低調さからわたしが感じることですね。
PS:かぶき讃(劇評)復活!!しばらく更新が続きますよ!
<参考>
家に帰って調べるまで、この芝居が明治の頃まではよく上演されていたということをまったく知らず、ほとんど新作みたいなものかと勘違いしていた。しかし、そう思いたくなるほど、構成がよくないというのがわたしの印象だったんだけど・・・。
「南総里見八犬伝」といえば、皆さんご存知、渋澤龍彦の「犬狼都市」みたいな美女と犬の異類婚めいた発端から、美女と犬の死と空中に飛び散る八つの水晶の玉、それを拾った八人の「八犬士」の登場。そして、里見家再興のための八犬士の活躍という曲亭馬琴原作の有名な冒険譚。(あっさり説明しすぎだったかな?)
発端、背景の描かれた幕の前で、村人が物語の前段を語り、幕が下りたところで、「鳴神」を思わせる、お堂と滝。犬に殺された武将の怨霊がすっぽんから現れたり、犬(八房)と伏姫(扇雀)の関係、水神の登場など、なんともくどい言葉による説明的なくだりが続く上に、よくも悪くも「歌舞伎座」的なちょっとダサい演出。
猿之助やコクーン歌舞伎が、ファンタジックな作品で開拓してきたような洗練度とは対極にあるような古式ゆかしいスタイルで、たびたび映像化されてきたこのタイトルの妖しい発端としては、なんとも物足りなく感じてしまった。これがまた、先月の素晴らしい「天守物語」の後だというのも、タイミングが悪かったといえるかもしれない。
次の序幕では、染五郎(犬塚信乃)・孝太郎(浜路)コンビに三津五郎(左母二郎)。若い男女と悪役が絡む芝居に、名刀村雨丸の奪い合いが絡む世話場。前記三人はかなりがんばってはいたものの、濃厚な世話場の芝居にはなりきらず、なんだか案外あっさりしたもので、さすがの芸達者三津五郎も空回り気味。勘三郎のような好敵手やベテラン俳優陣に囲まれるといい味を出す三津五郎も、ひとり孤軍奮闘だと、もうひとつ華に欠けるという感じは否めない。
場面変わって山中、籠で連れさらわれた孝太郎演じる娘・浜路と好色な悪党・三津五郎の左母二郎。「襲う男と抵抗する女」というシュチュエーションで、襲う男・左母二郎と助ける男で浜路の腹違いの兄・犬山道節がファンタジックな演出で早替りになるのだけど、ここがこれまた案外あっさりとしたもので、いつもの勘三郎の納涼歌舞伎と違って(!)、あざとくなく、多くの観客は早替りだと気づかなかったみたい。入れ替わった三津五郎じゃない左母二郎に注目してないとわからない早替りというのじゃあ、一工夫が必要なんじゃないかってところですね。
このあと、唐突に八犬士のだんまりになるのだけど、ここは説明なく勢揃いになるので、納涼歌舞伎に多い歌舞伎ビギナーは困ったんじゃないかな?イヤホンガイドがないとわからない演出というのは問題あるなと正直思った構成でしたね。(因みに、わたしは今回はイヤホンガンド使ってなかったけど。)
そして、最後は幕外、三津五郎の道節の花道七三での大見得と引っ込み。この場面は、かつて九代目團十郎や初代鴈治郎、戦後は十一代目團十郎が湧かせた場面だそうで、三津五郎も大いにがんばってはいたものの、ここまでの展開の輪郭が観客にとってはっきりしないために、もうひとつ盛り上がらない。それと、渋い名優・三津五郎にはこうした派手で華のあるシュチュエーションはちょっと辛いという感じもあったかな?(例えば、仁左衛門や海老蔵だったら、もうひとつ違った印象で、見せ場として観客の反応も違ったと思う。)
ここまでで、幕で30分の幕間。「おいおい、今月は大丈夫なの?」って正直思ってしまったけど、後半は割合持ち直してきた。(別にフォローするわけじゃないけどさ!)
成氏館の場での染五郎はもうひとつ貫禄不足で、場面自体の緊張感もいまひとつだったけど、場面変わって浅黄幕から大薩摩の演奏に続いて、芳流閣の場、屋根の美術での染五郎の犬塚信乃VS錦之助襲名を控える信二郎の犬塚現八の大立ち回りはいかにも歌舞伎という大きな見せ場。ハラが薄い二人なので、前の場はいまいちだったけど、ここは溌剌とした立ち回りでまずまず。染五郎は基本的に腰が高くて軽く、あんまり強い剣士にはみえないのだけど、斜めで足場の悪い舞台だから大目にみよう(!)。最後は「がんどう返し」(舞台が90度回る仕掛けのこと)で、ギリギリまで、踏ん張っていた二人に歓声が上がりました!
場面変わって、岸に流れ着いた船に犬塚信乃と犬塚現八が倒れていて、大柄な弥十郎演じる犬田小文吾が通りがかるという素っ頓狂さが、思わず「鈴木清順!」って感じだけど(清順さんは江戸っ子だから歌舞伎は相当観てるんだと思いますよ!)、今月の弥十郎はまずまずいい雰囲気で演じていたという印象。そのあとは刑場の場。
大詰は、福助の犬塚毛野が意外にも好演。日頃、福助の悪口ばかり書いている当ブログだけど、今回の役は「三人吉三」のお嬢吉三のように、男性が女装しているというシュチュエーションで、男に戻るときも凛とした台詞回し、いつもの地声を出す悪い癖が出ず、スッキリと観れて意外な収穫。そのことと関係あるのか、女として烏帽子をつけて舞う姿も、新橋演舞場での娘道成寺のような歌右衛門を意識したクネクネ具合でなく、スキっとした様子で、安心してみれしました。
最後の、仇役・山下定包の扇雀はまずまずの貫禄。でも、根本的にニヒルな芸風の人だから、もっとふてぶてしくてもいいかなとは思ったけれど。(例えば、「藤十郎の恋」)
全般を通していうと、納涼歌舞伎の三部制という制約があったとはいえ、もう少し整理して構成しないと、夏休みの歌舞伎ビギナー向けにはかなり辛いかなというのが正直な感想。それと、ひとりふたりは幹部役者を入れないと、このメンバーでは結構つらい。ディテールに美点があっただけに、今後に課題を残す納涼歌舞伎って印象は持ちましたね。それと、いないと感じるプロデューサー猿之助、勘三郎の偉大さ!でも、役者に頼るんじゃなくて、松竹関係者の姿勢に問題があるんじゃないかっていうのが、今年の低調さからわたしが感じることですね。
PS:かぶき讃(劇評)復活!!しばらく更新が続きますよ!
<参考>
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台本がちゃんと整理されてない感じですよね。
約3時間にまとめなくちゃいけないから、説明的になったってことはあるんでしょうが、裏を返すと、もっと飛躍しちゃって、玉梓の怨霊をばんばん出すとか(笑)、序幕の世話場をもうちょっとなんとかするとか、歌舞伎らしい感じにしてほしかったなぁと思いました。
三津五郎さん、やっぱりこういう芝居で芯になる役者じゃないのかなぁ・・・と。最後の引っ込みはかっこよかった!と単純に満足してしまいましたが(笑)。
どちらかというと、三津五郎さんの信乃が見たかった!です。
三津五郎丈は上手いけど、勘三郎や猿之助みたいな灰汁がない。追っかけてまで見ようとは思いませんね。
又、仁左衛門・海老蔵のような華もない。
若手ではアンチの少ない亀治郎や勘太郎が三津五郎タイプになりそうです。
歌舞伎、40年程見てますが20代は荒削りでも何かキラリと光るものがあれば、必ず大成します。
遠くは羽左衛門近くは玉三郎がそうでした。
わたしも観る前は、納涼歌舞伎だしケレン満載の舞台かななんて想像していたのですが、あまりに古風だったんで驚きました。
ただ、三津五郎でなく、吉右衛門でも辛かったんじゃないですか、このメンバーでは。わたしは三津五郎が気の毒に思えました。
夢三さん
はじめまして。まったく仰るとおりだと思います。三津五郎はいい役者だけど、ちょっと器用貧乏というか、玄人受け役者っていうところがありますね。いい相手役がいると光るんだけど・・・。
今後もよろしくお願いします。
早替りはありましたけど、あれは、普通のお客さんにはわからなかったかも、ですし。
芳流閣の立ち回りも、第一部の「丸橋忠弥」にくらべると、なんかもうひとつでしたし。
三津五郎さん、好きなんですよ~!
なので、もっと光ってほしかった・・・。
後日拝見した第一部の「たのきゅう」がとっても楽しかったので、「八犬伝」ももっと、演出、座組みといったトータルな意味で、楽しくなるような工夫をしてほしかったなぁ、松竹さん、と言いたいです。
コメントありがとうございます。
わたしも納涼歌舞伎三部の中では第一部が一番楽しめました。
特にたのきゅうの美術と染五郎の老け役が意外にもよかったですね。
でも、ちょっと子供向けかなって気はしましたけど。