【活動報告】秋葉原の街を示威行進 【せと弘幸Blog『日本よ何処へ』 】
本日秋葉原で敢行された「行動する保守運動」の大同団結デモ行進に参加しました。参加者の総数ですが250名から300名の間と思います。出発地の公園の中だけで250名いたそうですから、周りの人で参加した人もいたので最終的には300名ほどではなかったかと思います。
本日秋葉原で敢行された「行動する保守運動」の大同団結デモ行進に参加しました。参加者の総数ですが250名から300名の間と思います。出発地の公園の中だけで250名いたそうですから、周りの人で参加した人もいたので最終的には300名ほどではなかったかと思います。
昨日の「頑張れ日本!行動委員会」から見れば、約10分の1の参加者ではありましたが、数が問題ではありません。このようなデモが連日行われることに大きな意義があると思います。(以上は、『せと弘幸Blog』からの記事の一部のご紹介です。)
実数で、250~300名のデモは 見た目には 500~600名の大部隊に見えます。それを実数で書くところに、せと氏の律儀さがあふれています。本当は この様なデモに、参加とか 見学とか させて頂きたかったのですが、田舎の郷 ぐらしゆえ ままなりませんでした。残念です。でも出来ることをしようとおもいました。それで巻頭に御紹介させて頂いております。
わが郷の 今となっては昔の話です。40年ほど前のこと。ベトナム戦争反対のデモが日本中を席巻していました。新聞やテレビは今も昔も、真実は書かないものです。反戦闘争がやがて、沖縄返還闘争に発展してゆきました。マスコミは軍事侵略国・アメリカに反対するデモのことも、その目的も報道しませんでした。ほとんどが無視されたのは、今とおなじです。
上の写真は資料映像です。
デモ隊の人数とか、統制の様子そして示威方法の様子がよく判ります。一番手前の挺団はジクザク・デモを行っており、約10名横隊で、20名ほどが前後に続いています。ひとつのブロックに見えている塊の後ろ部分は、向かって左方向へ進んでいる。右方向へ進んでいる隊の後続部分です。少なく見ても、300~400名、あるいは500名の挺団です。
遥か後方に霞んで見える人たちまで数えれば、おおよそ、2,000~2,500名のデモ隊と思われます。
半数ほどがヘルメットを着用しているので、時代は1970年前後でしょう。
16日の『中国大使館への抗議デモ』 これがたとえば、瀋陽あたりでの 反日デモ であったのならば、天下の反日放送局【NHK】ならば、2万人とか、3万人とかにフレームアップしたであろう、大規模な参加者の数だったのです。
下の影像は参考までの資料です。けっしてお勧めではありません。ヘタすれば公務執行妨害で逮捕されます。
ヘルメットに「中核」の文字が見えます。過激派の最大派閥?でした。持っているのは旗竿で竹製、長さが 4メートルほどでしょうか。場合によっては、5~6メートルの長竿も用いたということです。旗をぐるぐると巻き付けて、槍のように前方に倒して、30~50本の槍衾をつくって前方の機動隊や、別の部隊を排除しながら前進するのだそうです。
日本という国は、特殊な国です。
実数で千名以上、双方あわせれば、2,000とか3,000名の大部隊がぶつかれば、外国では死傷者が出るのがあたりまえ。しかし日本では、一般には転んでかすり傷ていどです。これは、互いがおなじ日本人どおしという認識があるからでしょう。デモはあくまでも、政治的意思の表明で、日本政府を暴力的に排除するという目的は設定していなかったのだと思われます。
これと似た国はフランスで、ここは街頭示威行動に関しては、フランス革命の悲しい流血の歴史を重ねてきた、大先輩です。暴力革命のむごたらしさは、今では完全に克服しているのでしょう。
ついつい長くなりました、続きは、今は昔 【岩水】 で準備中です。(仕事の合間に書いてます。)
実数で、250~300名のデモは 見た目には 500~600名の大部隊に見えます。それを実数で書くところに、せと氏の律儀さがあふれています。本当は この様なデモに、参加とか 見学とか させて頂きたかったのですが、田舎の郷 ぐらしゆえ ままなりませんでした。残念です。でも出来ることをしようとおもいました。それで巻頭に御紹介させて頂いております。
わが郷の 今となっては昔の話です。40年ほど前のこと。ベトナム戦争反対のデモが日本中を席巻していました。新聞やテレビは今も昔も、真実は書かないものです。反戦闘争がやがて、沖縄返還闘争に発展してゆきました。マスコミは軍事侵略国・アメリカに反対するデモのことも、その目的も報道しませんでした。ほとんどが無視されたのは、今とおなじです。
真実は隠せません。秋葉原のデモも、全国そして全世界の心ある人々には、きっと届きます。この様な運動が全国に拡がり、そのうねりが又、東京や大都市に収束してゆけば、かならず大きな力を発揮するのです。そう思う方 ポチっとお願いします。
尖閣諸島への支那の口出しは、粉砕する。
秋葉原への侵略も排除する。
賛同の方 ポチ← っとお願いします。
たとえば、下にある影像が 秋葉原で現実になれば 支那人は トットと 逃げ出すに 決まってます。
先鋭化した一部のデモ隊は、機動隊と衝突したり、道路を封鎖したりもしました。
ことが激しい、法を犯すような事態になれば、新聞は書いたものです。
暴力学生の過激な道路占拠により、
東京の交通は機能麻痺 !!
とか書くだけで、デモの総隊の人員とか、何を目的の示威行動なのかは報道しませんでした。
灰色の部分は、昔のお話です。
上の写真は資料映像です。
デモ隊の人数とか、統制の様子そして示威方法の様子がよく判ります。一番手前の挺団はジクザク・デモを行っており、約10名横隊で、20名ほどが前後に続いています。ひとつのブロックに見えている塊の後ろ部分は、向かって左方向へ進んでいる。右方向へ進んでいる隊の後続部分です。少なく見ても、300~400名、あるいは500名の挺団です。
遥か後方に霞んで見える人たちまで数えれば、おおよそ、2,000~2,500名のデモ隊と思われます。
半数ほどがヘルメットを着用しているので、時代は1970年前後でしょう。
16日の『中国大使館への抗議デモ』 これがたとえば、瀋陽あたりでの 反日デモ であったのならば、天下の反日放送局【NHK】ならば、2万人とか、3万人とかにフレームアップしたであろう、大規模な参加者の数だったのです。
下の影像は参考までの資料です。けっしてお勧めではありません。ヘタすれば公務執行妨害で逮捕されます。
ヘルメットに「中核」の文字が見えます。過激派の最大派閥?でした。持っているのは旗竿で竹製、長さが 4メートルほどでしょうか。場合によっては、5~6メートルの長竿も用いたということです。旗をぐるぐると巻き付けて、槍のように前方に倒して、30~50本の槍衾をつくって前方の機動隊や、別の部隊を排除しながら前進するのだそうです。
日本という国は、特殊な国です。
実数で千名以上、双方あわせれば、2,000とか3,000名の大部隊がぶつかれば、外国では死傷者が出るのがあたりまえ。しかし日本では、一般には転んでかすり傷ていどです。これは、互いがおなじ日本人どおしという認識があるからでしょう。デモはあくまでも、政治的意思の表明で、日本政府を暴力的に排除するという目的は設定していなかったのだと思われます。
これと似た国はフランスで、ここは街頭示威行動に関しては、フランス革命の悲しい流血の歴史を重ねてきた、大先輩です。暴力革命のむごたらしさは、今では完全に克服しているのでしょう。
ついつい長くなりました、続きは、今は昔 【岩水】 で準備中です。(仕事の合間に書いてます。)
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アクセスの記録 2010.10.17(日) 1357 PV 398 IP 1641 位 / 1480477ブログ