我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

財界に媚びて失速する民主党

2010年10月28日 | 政治家

ご案内


全日空系のエアーニッポン機(ボーイング737―800型機)





日本の政治家にたりないのは

   道義ヲ篤(あつ)クシ 志操ヲ鞏(かた)クシ (※1 )


国民につくすこと。




    権力をにぎって、貰える立場になれば、もらっても良いとは嗤う しかない。

    こころざし や、みさお を守る事のない人間を 人は信じない。


国民の生活を護ると云っていたのは、たんなるダマしの台詞(せりふ)だったのか。

わが郷では、信じなかったが、信じた人も多かろう。




「岡田路線」に波紋広がる=民主の企業献金再開 【時事】

「(衆院選)マニフェストでは、法改正から3年後に献金を禁止するとなっている。マニフェストに反したという形ではない」。菅直人首相は同日夜、記者団にこう語り、党内外から出ている批判は当たらないと強弁した。

  一部の抜粋紹介です。全文をお読みになるには、表題をクリックして下さい。


民主党機は企業献金の森林の中に激突炎上




旅客機は無事で良かった。




民主党は、仙谷官房や 岡田幹事長の 有頂天からの きりもみ 曲芸飛行で、墜落だ。燃えちまえ。

菅首相の消費税発言で参院選に負け。仙谷官房の船長釈放で、国民を激怒させ。こんどは、日本の経済を盗んで、外国に売った罪界からカネをねだる。これほどまでひどい民主党だったとは、支持者は呆れて気が抜けて、嗤うしかない。

道義志操など、かけらもないのだろう。




ホントに、岡田幹事長は甘いせがれだ。


アホ だよね と思う方
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全日空系機の異常接近、管制官が誤った指示  【読売】

 管制官の誤った指示で地表に約520メートルまで異常接近していた。幸いなことに 対地接近警報装置(GPWS)が作動、乗員が機体を急上昇させて衝突を回避した。乗員と乗客はあわせて57名全員無事でした。


 日本国の恥を警報するシステムは、マスコミ。

などという嘘はばれています。マスコミの最近の広告主は、アメリカなど外資保険屋と、パチンコ屋。これでは、日本人としての矜恃ある記事を期待する方が無理。

 ネットの胡椒や、ワサビを効かして、飲み込むしかないのが、腐った情報。たえず日本国は、間違った指示を受け続けている。


















戦後日本の政治は、

戦争屋でゴロツキのアメリカに 阿 (おもね) ることで、やってきた。


田母神元空将が言っていたこと。

『制服組=内局は、アメリカの意向で武官を統制する。この人達が、カネに汚い』




ベラボウに高い装備品を買うことで、日本の装備はいつも中古でガラクタだった。

ミサイルは最近は、いろいろな人の努力で、優秀な国産品に替わった。

哨戒機も純日本製になる。


輸送機はエンジンがアメリカ製で、前・防衛事務次官の守屋の所為で開発が遅れている。





児の手柏(このてがしわ)は、若い柏の葉との説もあります。






奈良山乃 兒手柏之 兩面尓 左毛右毛 侫人之友

           万葉集  消奈行文(せなのぎょうもん)




よみ

奈良山 (ならやま) の 児の手柏の 両面 (ふたおも) に 

かにもかくにも 侫
(こび) 人の伴 (とも)







権力をにぎってしまえば、前言はいともたやすく翻す。商人のせがれなれば、言葉に裏と表があるのは当たり前のことか。

五月の節句には、柏餅で葉が役にたつ。ところが人の言葉が多く、裏表があるのは信用ならぬ。

一般の消費者からは消費税アップで搾り取り、企業減税の財源にする。そのお駄賃に企業献金をねだる。

弱者はダマして、強い者にはおもねる。まさに侫 (こび) 人ではある。

自民党のおちこぼれ組が岡田や汚沢。カネに執着、やり方が汚いのは地金で、メッキが剥がれればこのザマ。


支那にはイトウヨーカ堂のガラスを破る自由がある。

日本でやったら逮捕されちゃう。


奈良山の柏の葉ほども、政治家の言葉はまさに山ほどある。

ネットの海に漬け込んで、選挙のときに思い出しましょう。

落盤事故で閉じ込められた、労働者は プチプチ で、気を紛らわせた。

惛い政治の洞窟の中では、


出来損ないの政治家を、プチプチと腐して楽しみましょう。 

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アクセスの記録  2010.10.27(水)    1601  PV     557  IP      969 位  /  1485510ブログ

 

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長島昭久

2010年10月28日 | 政治家

ご案内

 

 長島 昭久(ながしま あきひさ、1962年2月17日 - )
首相補佐官(外交および安全保障担当)。
民主党所属の衆議院議員(3期)。
元防衛政務官。
政策シンクタンク国家基本問題研究所理事。
日本スケート連盟副会長

 

 

 

 

 

 

 


神奈川県横浜市に生まれる(本籍地は東京都立川市)。幼稚舎から慶應義塾に学び、慶應義塾大学法学部法律学科および政治学科を経て、1990年慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程を単位取得中退。学部在学中のゼミは小林節研究会(憲法)。大学院の指導教授も小林節。大学院博士課程在学中に石原伸晃衆議院議員事務所に入り公設秘書となる。第一秘書のかたわら、東京文化短期大学で憲法の講義を行う。

1992年、大前研一の平成維新の会創設に参加する。1993年アメリカに渡り、テネシー州ヴァンダービルト大学客員研究員となる。ここではジェームズ・アワーの指導を受けた。

1995年、ワシントンD.C.に移り、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院SAISに学び、国際関係論修士号を取得する。1996年、第3回読売論壇新人賞に応募。応募論文の「安全保障のビッグバン」で同賞の最優秀賞を受賞する。1997年、米国外交問題評議会研究員(アジア政策担当)に就任し、朝鮮半島和平構想プロジェクトに参画、リチャード・アーミテージやマイケル・グリーンらの知己を得る。

その後、2000年に上席研究員に昇任し、ジョンズ・ホプキンス大学ライシャワー東アジア研究所の客員研究員を兼務。東京財団主任研究員として「アジアにおける米軍前方プレゼンスの将来像」研究プロジェクトを主宰し、2002年にその研究成果を著書『日米同盟の新しい設計図―変貌するアジアの米軍を見据えて』(日本評論社)として上梓した。

2000年帰国し、衆議院補欠選挙に立候補するが落選。2003年、第43回衆議院議員総選挙に東京21区から民主党公認で立候補し、当選する。民主党では「次の内閣」の防衛庁副長官、衆議院安全保障委員会理事、拉致問題特別委員会理事となる。また、イラク復興特別委員会、武力攻撃事態対処特別委員会、文部科学委員会に所属した。

2005年9月11日第44回衆議院議員総選挙では小選挙区で敗れるも比例復活当選。選挙後の代表選挙では前原誠司の推薦人に名を連ねる。前原新代表の下で「次の内閣」の防衛庁長官に抜擢されるとともに、安全保障委員会の野党側筆頭理事に就任、党内の安全保障政策の取りまとめにあたる。また、2003年より慶應義塾大学大学院で非常勤講師(国家安全保障政策担当)、2006年より中央大学大学院公共政策研究科で客員教授を務める。その後、前原誠司に代わり代表に就任した小沢一郎の「次の内閣」でも防衛庁長官として留任した。

2006年9月より、外務委員会理事、外交・安全保障担当の政策調査副会長および国会対策副委員長に就任した。防衛庁の省昇格法案の審議では、法案賛成に向け党内論議をリードし防衛省内の信頼を確固としたものにする。

第21回参議院議員通常選挙に際して鈴木寛候補の選対事務局長を務め当選を果たすが、直後に行われた立川市長選挙では応援した弁護士を当選させることができなかった。

2009年、第45回衆議院議員総選挙に東京21区から民主党公認で立候補し、3回目の当選を果たす。9月18日、鳩山由紀夫内閣の防衛大臣政務官に就任。2010年6月8日に発足した菅内閣においても防衛大臣政務官に再任された。同年9月菅第1次改造内閣の発足に伴い退任。

2011年9月、野田内閣発足に伴い、首相補佐官(外交および安全保障担当)に就任

 

 

 

 

 

 

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