昨年の秋から今日まで まぁ~ 色々ありました あり過ぎてバッタバッタしていた
まるで昆虫?の様な日々が過ぎ去った・・・気がしないでもない
義母が転院しました 4月16日~救急病院から専門の病院への転院です
まだまだ難題は残されているものの、危機を脱出したのは確かなこと
折しもこの日は、実家の母の命日でした
別に、私達が選んだ訳じゃなく、特別な日が重なったのは、不思議に偶然だったのです
ストレッチャーに乗せられた義母を見ながら、三年前のあの闘い日のことを、懐かしく
回想していた 家族も一緒に頑張っているのは、あの時も今も同じですから~
肺炎で入院していた母も、前の病院で重症化させられ、家族の願いで救急病院へ移送~
一度は奇跡を起こし、家族の元に戻って来た母でした
都城の我が家で、静養を兼ねて過ごした日々。。。夢のような時間があった
生きる切符を手にしたものの、あの年の春彼岸過ぎに来た、寒波を乗り越えられず
再入院となり、残された日々を精一杯生きて、父の元へと旅立ちました
義母は、寝た切りではあるが、病棟の大勢のスタッフに見送られての、新たな出発です
『ここがよか 何処にも行きたくない』などと、駄々を捏ねながら別れを惜しみました
ドクターも看護師さんもみんな笑顔で、キャーキャー言いながらのお見送り~
救急病院と縁が切れても、痰が切れないのが問題だけれど、一応安定しています
白い特別車(救急車とも言う)に乗せられて、新しい病院へ移送された義母
施設を含めて、今の義母を受け入れて下さる医療機関は、この病院だけでした
新しいドクターから、病状と病名の詳しい説明を受け、私は何度も頷いていました
「もう聞きたいことは無い?」外来の患者さんを待たせての、懇切丁寧な対応です
入院手続きをするにあたり、健康保険証がもちろん必要ですが、困ったことにその
一切合財を苑に預けたままになっていて、どうしたものかと困惑していました
何故なら、苑から退所の手続きを迫られていたのです 義母の容態を悪化させたのは誰?
責任逃れも甚だしい 意地でもサインはしない!と、敢えて反旗を翻した家族です
苑の規則ですからと言う 全面的に非を認め、頭を下げて特別に籍を残しますと言った
あの時の言葉は何処に行ってしまったんだ? 約束は破る為にあるのか?
すると、退所の手続きをしなければ、必要書類は返さないと来たじゃないですか
まったくもって言語道断! 未だに当時の担当医師からの説明も無いのに---と憤慨!!
怒りと不満をぶつけるも、馬耳東風な組織に幻滅を覚え、地団太を踏んだ
鬼(嫁)の目に涙 人の命の尊さを必死に訴え、そして勝ち取った
peace
相棒から《あんたも強いねぇ》って、生温いひと言をもらった お~っとっと-
褒め言葉なのかどうなのかは意味不明 そして保険証は、我らの手にしっかり戻った
だって私・・・ 電話で泣きながら訴えたんだもん
『入院手続きが出来ないと、婆ちゃんが死んでしまうんだぁ~』って- 凄い嫁だろ?
義母はどうやら、嫁の名前を忘れてしまったらしい ショ~ック!
相棒に『あんたの嫁さんの名前は何じゃったけ?』と、問うたと言うから慌てたゎ
病室に行く度に「私は誰???」と尋問を試みる、誠に恐ろしい嫁であります
でもまぁ~ 自分の名前はしっかり言えるからね この際、良しとしましょうか^^