平成26年8月24・25日 山梨方面へ旅行に行く。
総勢19名。
一日目は、あまり暑くなく曇り空の程よい天気だったが、二日目の朝は雨模様でぶどう刈りが心配だったが、何と行ったメンバーの中に「晴れ女」さんがいて、バスの中で降っていた雨が、見事、ぶどう刈りをする頃には晴れ間も見えて、滞りなくぶどう狩りをすることができた。このパワーあやかりたい。
山梨といえば、武田信玄である。主に恵林寺と武田神社をとどめておこう。
まずは恵林寺。ここは武田氏の菩提寺である。主な有名どころは信玄の墓と柳沢吉保夫妻の墓である。庭園も見事であった。「心頭滅却すれば 火もまた涼し」と言いながら、織田方に焼き討ちされた時に焼死したお坊さんの話は有名である。
次に宝物館へ。1580年代前後の戦いが日本地図に分かりやすくまとめてあったり、
武将の生存年が一覧表になっていて分かりやすかった。何と信玄の父親の信虎の方が信玄よりも一年くらい長生きしているのには驚いた。
次に、武田神社。この地は躑躅が崎(扇状地の中央あたりをこう呼ぶ)になっているので、信玄の父信虎は石和からこの地に本拠地を移してきて、躑躅ヵ崎館を構えた。その跡に建てられたのが、武田神社である。信玄を祭神としている。
信玄は「人は城 人は石垣 人は堀 なさけは味方 あだは敵なり」というように、城は持たずに、館としてこの地に構えていた。幾度の合戦はここから出陣していた。なるほど、扇状地としてのこの地は、山の谷間から平地が広がり、東西はもちろん山である。自然の要塞に囲まれ、攻めづらく、守りやすい造りになっていた。
また、一番驚いたのが、川中島の戦いで、第4回目の大きな合戦で山本勘助の「キツツキ戦法」
が見破られ、妻女山に上ったら、もぬけの殻だった戦いで、謙信方が、陣があるように見せかけて、毘沙門天の旗が立てかけてあったのを、戦利品として持ち帰った、その「毘」の字が書いてある旗が展示してあったことだ。ホントかな~
昇仙峡では怒られながら蕎麦打ちもしたっけ。太さが違う麺、美味しかったです。
勝沼のワインも試飲しました。お土産はワインではなく、ホタテのワイン煮でした。
ぶどうがたわわになっているところを始めて見ました。桃がみずみずしくて美味しくて、山梨は果物の宝庫だと改めて思いました。
もっとじっくり行ってみたいところです。
総勢19名。
一日目は、あまり暑くなく曇り空の程よい天気だったが、二日目の朝は雨模様でぶどう刈りが心配だったが、何と行ったメンバーの中に「晴れ女」さんがいて、バスの中で降っていた雨が、見事、ぶどう刈りをする頃には晴れ間も見えて、滞りなくぶどう狩りをすることができた。このパワーあやかりたい。
山梨といえば、武田信玄である。主に恵林寺と武田神社をとどめておこう。
まずは恵林寺。ここは武田氏の菩提寺である。主な有名どころは信玄の墓と柳沢吉保夫妻の墓である。庭園も見事であった。「心頭滅却すれば 火もまた涼し」と言いながら、織田方に焼き討ちされた時に焼死したお坊さんの話は有名である。
次に宝物館へ。1580年代前後の戦いが日本地図に分かりやすくまとめてあったり、
武将の生存年が一覧表になっていて分かりやすかった。何と信玄の父親の信虎の方が信玄よりも一年くらい長生きしているのには驚いた。
次に、武田神社。この地は躑躅が崎(扇状地の中央あたりをこう呼ぶ)になっているので、信玄の父信虎は石和からこの地に本拠地を移してきて、躑躅ヵ崎館を構えた。その跡に建てられたのが、武田神社である。信玄を祭神としている。
信玄は「人は城 人は石垣 人は堀 なさけは味方 あだは敵なり」というように、城は持たずに、館としてこの地に構えていた。幾度の合戦はここから出陣していた。なるほど、扇状地としてのこの地は、山の谷間から平地が広がり、東西はもちろん山である。自然の要塞に囲まれ、攻めづらく、守りやすい造りになっていた。
また、一番驚いたのが、川中島の戦いで、第4回目の大きな合戦で山本勘助の「キツツキ戦法」
が見破られ、妻女山に上ったら、もぬけの殻だった戦いで、謙信方が、陣があるように見せかけて、毘沙門天の旗が立てかけてあったのを、戦利品として持ち帰った、その「毘」の字が書いてある旗が展示してあったことだ。ホントかな~
昇仙峡では怒られながら蕎麦打ちもしたっけ。太さが違う麺、美味しかったです。
勝沼のワインも試飲しました。お土産はワインではなく、ホタテのワイン煮でした。
ぶどうがたわわになっているところを始めて見ました。桃がみずみずしくて美味しくて、山梨は果物の宝庫だと改めて思いました。
もっとじっくり行ってみたいところです。