平成28年3月21日(月)春分の日の振り替え休日に、お天気に誘われて、日頃から行ってみたいなと思っていた小机城に行ってきました。
東京方面から小机城に、逃げてきた豊島氏たちを、かの太田道灌は、「いろはにほへと ちりじりになる」と、小机城を攻める際に、集まった兵士たちに、この言葉を投げかけて、鼓舞したという。
この小机城、とは言っても、舘谷(たてや)があるわけではなく、小高い丘に、空堀や本丸・二の丸・井戸跡などがあったであろう形跡が残っているだけである。
元々は、もっと広い敷地が広がっていただろうと思われるが、横浜線や環状線らがこの小高い丘を分断している。
住宅街を抜けて、丘に通じる階段を上ると、竹林が茂っている城跡に入る。コンパクトにまとまっているので、初心者には、分かりやすい城かもしれない。
関東各地、至る処に、関東管領上杉氏の家宰である、長尾氏や太田道灌らの戦い跡がそこかしこのにあるんだなと改めて、思った。
東京方面から小机城に、逃げてきた豊島氏たちを、かの太田道灌は、「いろはにほへと ちりじりになる」と、小机城を攻める際に、集まった兵士たちに、この言葉を投げかけて、鼓舞したという。
この小机城、とは言っても、舘谷(たてや)があるわけではなく、小高い丘に、空堀や本丸・二の丸・井戸跡などがあったであろう形跡が残っているだけである。
元々は、もっと広い敷地が広がっていただろうと思われるが、横浜線や環状線らがこの小高い丘を分断している。
住宅街を抜けて、丘に通じる階段を上ると、竹林が茂っている城跡に入る。コンパクトにまとまっているので、初心者には、分かりやすい城かもしれない。
関東各地、至る処に、関東管領上杉氏の家宰である、長尾氏や太田道灌らの戦い跡がそこかしこのにあるんだなと改めて、思った。
そういう意味では当時の上杉、武田の戦術力はすごかったのかな~。