平成25年11月9日(土)、どんよりした天気の中、鎌倉街道が境川に沿って通っていることで、もっと近場のことを散策してみようと意見が一致し、今回のウオーキングとなった。
まずは、「でいらぼっち」の伝説の左足をついたところとされる、「菖蒲沼」。
淵野辺駅から歩いて10分ほどの青山学院大学脇の横浜線沿いにひっそりとあった。
そこから、町田堺の境川の方に行くと、「日枝神社」があった。淵辺義博が大蛇を退治したところだと説明してあった。
次に、「八柄(やがら)八幡神社」に行った。元は「木曽八幡」といっていたが、木曽義仲に結びつくことを恐れて、名前を変えたとか。
木曽義仲の息子義高を頼朝の娘大姫と結婚させようと、この道を通って鎌倉に行き、その時にこの神社に寄ったという。
境川沿いをたどって、古淵駅の方へ行く。

中里橋には、このあたりの歴史的人物である「淵辺義博」が後醍醐天皇の皇子である護良親王を逃がすとある史跡に当たる。
これには、いろいろな見解があって、どれが正しいと判断するのは難しいが、私は以前読んだ、「南北朝異論」(中丸祐昌著)が一番近いのではないかと思っている。
そのまま道沿いに進むと「龍像寺」に突き当たる。ここにも淵辺義博が登場する。

古淵駅に到着。ここに鷹のモニュメントがあるというから、それも見たくて、行く。なるほど、立派な鷹が空を飛んでいるようだ。ここは昔、殿様が鷹狩りを楽しんだところと昔の書籍に残っているらしい。
古淵駅の看板には、史跡案内があって、この近くに「鹿島神社」「大日堂」があるという。鹿島神社は新田義貞が鎌倉攻めの際に建立したという説があり、大日堂は、1335年南北時代の「井出の沢」戦い(中先代の乱)の時に亡くなった死者を弔ったものだという。私たちは町田の菅原神社の中にあった「井出の沢の戦いの碑」を見てきているので、出ての沢の広さに驚いた。
このまま境川沿いを町田方面に歩いていく。この辺は、昔の鎌倉街道の道に通じる道になるはずだ。千ちゃんが調べたところによると、町田駅の近くにある「日枝神社」「幸延寺」「青柳寺」鵜野森にある「鹿島神社」の脇を鎌倉街道が通っているということで、そちらの方に行ってみる。

この鹿島神社の家紋は、八柄八幡も同じ家紋で、源氏の流れをくむ八幡太郎義家の家紋である。その流れがあるんだな~と感心した。歩いていると、そこかしこにこの家紋が出てくる。
近場にも、こんなにたくさんの歴史的なことが残っているのだなと感心する。
また一つ歴史が好きになっていく。
まずは、「でいらぼっち」の伝説の左足をついたところとされる、「菖蒲沼」。
淵野辺駅から歩いて10分ほどの青山学院大学脇の横浜線沿いにひっそりとあった。



そこから、町田堺の境川の方に行くと、「日枝神社」があった。淵辺義博が大蛇を退治したところだと説明してあった。



次に、「八柄(やがら)八幡神社」に行った。元は「木曽八幡」といっていたが、木曽義仲に結びつくことを恐れて、名前を変えたとか。
木曽義仲の息子義高を頼朝の娘大姫と結婚させようと、この道を通って鎌倉に行き、その時にこの神社に寄ったという。






境川沿いをたどって、古淵駅の方へ行く。

中里橋には、このあたりの歴史的人物である「淵辺義博」が後醍醐天皇の皇子である護良親王を逃がすとある史跡に当たる。



これには、いろいろな見解があって、どれが正しいと判断するのは難しいが、私は以前読んだ、「南北朝異論」(中丸祐昌著)が一番近いのではないかと思っている。
そのまま道沿いに進むと「龍像寺」に突き当たる。ここにも淵辺義博が登場する。





古淵駅に到着。ここに鷹のモニュメントがあるというから、それも見たくて、行く。なるほど、立派な鷹が空を飛んでいるようだ。ここは昔、殿様が鷹狩りを楽しんだところと昔の書籍に残っているらしい。








古淵駅の看板には、史跡案内があって、この近くに「鹿島神社」「大日堂」があるという。鹿島神社は新田義貞が鎌倉攻めの際に建立したという説があり、大日堂は、1335年南北時代の「井出の沢」戦い(中先代の乱)の時に亡くなった死者を弔ったものだという。私たちは町田の菅原神社の中にあった「井出の沢の戦いの碑」を見てきているので、出ての沢の広さに驚いた。







このまま境川沿いを町田方面に歩いていく。この辺は、昔の鎌倉街道の道に通じる道になるはずだ。千ちゃんが調べたところによると、町田駅の近くにある「日枝神社」「幸延寺」「青柳寺」鵜野森にある「鹿島神社」の脇を鎌倉街道が通っているということで、そちらの方に行ってみる。











この鹿島神社の家紋は、八柄八幡も同じ家紋で、源氏の流れをくむ八幡太郎義家の家紋である。その流れがあるんだな~と感心した。歩いていると、そこかしこにこの家紋が出てくる。
近場にも、こんなにたくさんの歴史的なことが残っているのだなと感心する。
また一つ歴史が好きになっていく。