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「悲運の名将 明智光秀」講演会へ

2019-11-03 08:44:06 | 講演会
令和元年10月14日(祝日)、代々木公園駅から徒歩7分くらいのところにある国立オリンピック記念青少年総合センターへ、来年の大河ドラマの主人公「明智光秀」の講演会があるというので、千ちゃんが申し込んでくれたので、行くことができた。

講演を聞いて一番驚いたことは、光秀は決して温和な人ではなく、比叡山の焼き討ちや籠城する人を餓死させたりと、信長と変わらず、勝つためには手段を選ばないような数々の戦国の武将と同じだったということである。やはり信長に仕えるということは、信長と同じ態度でなくては務まらないはずである。
 
 それを裏付ける資料がある。ルイス・フロイスのイエズス会宛ての報告書に光秀の人柄が書かれていた。「信長の政庁に、名を明智といい、元は低い身分の人物がいた。すなわち、卑しい家柄の出であり、信長の治世の当初、或貴族に仕えていたが、巧妙で如才なく鋭敏なことからたいそう重んじられるようになった。彼は諸人から嫌われ、裏切りを好み、残虐な処罰を行う非道者であり、人を欺き狡猾な戦術を弄することにたけ、気質は勇猛、築城術に精通していた。このように卑しい歩兵であったが、信長は丹波及び丹後と称する二か国を授け、比叡山の大学の全収入を与えたが、これは他国の収入の半ばを超えていた。しかし、明智はその異常さゆえにさらに多くを求め、日本君主国の主となりうるか否か試みることを望んだ。・・・・・」

そして、信長は、ワンマンで仕切っている独裁者と思われがちだが、家臣に任せるきるリーダーだったと言っていた。全部仕切るのではなく、信玄や北条、謙信と同じく、リーダーとしての信長はいるが、楽市楽座等や様々な政策は各々の家臣団に任せていたという。

来年の大河では、どんなふうに明智光秀という人物をとらえるのか、織田信長との関係をどう表し、また本能寺の変をどう持っていくのか楽しみである。

また、蛇足であるが、この会場のレストランが半端じゃなく充実していた。
620円というリーズナブルな値段で定食が食べられる。定食といっても丼もの、麺もの、中華、揚げ物などが選べ、それに付いているサラダや飲み物、果物などは全部、お替り自由のバイキング形式である。ぜひまた行ってみたい。

では、資料を添付しておく。
            
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