「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず」
嘉永6年(1853年)6月3日アメリカの東インド艦隊司令長官ペリーが軍艦四隻を率いて浦賀にその勇姿を現した。幕府は、いずれアメリカが開港を要求してくることは、オランダを通じて知らされていたが、対応策が決まらないうちの来航だった。威圧するような黒船艦隊を目前にして、その狼狽ぶりをちゃかした有名な狂歌がある。
「泰平の ねむりをさます上喜撰 たった四はいで 夜もねむれず」
以上は、「ぶらり金沢散歩道」楠山永雄著より引用
同じ沿線に住んでいながら、下調べのために初めて訪れた浦賀。
普通で行ったことにもよりますが、金沢文庫からいくつものトンネルを越しながら、一駅ずつ次第に山の中に入っていきます。下車した「浦賀」駅の眼前は、昭和の空気そのもの。漁村と渡し船。
この地が日本からアメリカへ初めて渡った 咸臨丸の出港した地でした。
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1.月日 11月27日水曜日
2.場所 浦賀
3.集合 午前10時30分 京急浦賀駅終着ホームを出たパン屋前の広場
【解散は昼食後の予定】
4.参加者確認
5.予定
① 浦賀駅から昔のドック跡【平成15年閉鎖】を左に、湾沿いに歩き、散歩コースに入る。約20分
② 入り江の西側の公園沿いを左に湾を見ながら、「浦賀の渡し」に向かう。
③ 浦賀の渡しから三分のポンポン船で東の対岸にむかう。一人200円。12時から1時まで船は出ないので、その前に船に乗る。
④ 対岸に着いたら、東叶神社から、房総半島も見える階段を…百段上る。
途中にロケで有名になった喫茶店がある。疲れた人は一服?しますか。
⑤頂上明神山の山頂まで登るといろいろなものに出会える。
・勝海舟断食の碑・お墓・右奥が東照宮
・招魂塔・戦争や事故で亡くなった人たちの碑
・左奥に神明社
・鳥居の先に洞窟と身代わり弁天
・断食修行の折に使った井戸など
⑥下山、たいして時間はかからない。階段でひざを痛めないようにゆっくり。
市道に出るのでバスに乗ってもよし、徒歩でも駅までたいしてかからない
ちょうど空腹時だろうか。食事処がいくつかありますが、「岩城屋」でともに昼食をし、ゆっくりしてから、1時頃帰路に就く予定です。
さて、以下は皆さんが昔学んだ、時の教科書にある通りです。
1853年アメリカのペリー提督が軍艦四隻を率いて浦賀に姿を現した。威圧するような黒船艦隊を目の前にして、そのときの対応策が決まらない。鎖国政策を変えず、交渉は長崎で行うことになっていると突っぱねて、力ずくでも大統領の伝令であるペリーの態度は、強硬でした。この騒ぎで浦賀と東海道を結ぶ金沢道の人々間では、戦場のような騒ぎです。
ペリーは8日間の滞在。この時以来、激動の時が過ぎていったことはご存じのこと。
黒船来航の図は、絵はがき等にもあります。
・・・・・・・・・・・・申込書・・・・・・・・・・
11月27日水曜日 浦賀を歩く申込書
氏名
参加を希望される方は、お名前を書いて横浜稲門会FAX 045 664 2524 へ返信してください。どうぞよろしくお願いします。締め切り11月15日金曜日