宴の席からそっと抜け出て自室に戻り臥せりこむ海老名の元に勢姫がやってきた。
「気分がすぐれませぬので」
そう、言い分けをしながら海老名が起き上がると勢姫が詰め寄った。
「何ゆえ、父上に話しやった。父上が勢を見る目が違いおる。おまけに澄明までよんで」
「姫様。なにとぞ、御許しを。海老名も姫様の身を案ずるが故。悪童丸様の事はなにも話しておりませぬ。されど、姫」
「言わぬでよい」
「姫。なりませぬ。成ってはならないのです」
「悪童丸が鬼故か?」
そうである。が、それだけではない。
「・・・」
いえぬ言葉を出せるわけも無く海老名が黙る。
「海老名。勢ははじめ鬼を恋しと思うは母の鬼恋の情念が勢につがれたものじゃとおもうておった」
勢は主膳に嫁ぐ前のかなえの恋を知っていた。
「あ」
「だから、姫も鬼である」
だから、という言葉の意味合いの深さは海老名の閉ざす真実につうじることなのであろうか?
「知っておった。勢の体がそうと教えてくれてな。障子に映った勢の影が鬼じゃった。それで、何もかもわかった」
勢姫はまさしく海老名が口に出そうとしない事実を鵜呑みにしたまま己が鬼である事を認めていた。
「姫。なれど、ならばこそ人として生きて」
勢が鬼であるという事は、すなわち、勢のてて親が鬼であるという事である。
かなえと鬼の間に生まれた子であれば、鬼でもあるが、人でもある。
これをしっているのであらば、鬼としていきぬとも、人としての生き様を選ぶ事が出来る。
だが、人であったかなえとて、鬼を恋うた。
母の鬼恋故に生ませしめられた命であらば、勢が鬼を恋うのも道理の筈である。
この事への、唯一の理解者であるはずの海老名がせめても勢の想いだけにでも首を縦に振らぬにはわけがある。
「海老名。隠さぬとも良い。そなたが反対するもう一つの理由を勢は知っておる」
「・・・まさか」
「じゃから、勢も悪童丸と同じ半妖なのであろう?あいのこであろう?」
ただ、一言で同じあいの子というがそれは、紛れも無く勢と悪童丸は同じ母、同じ父からうまれいでしものであるといいはなっているにほかならない。
悪童丸が勢の双生の片割れである事を勢は十分に承知の上であるという。
「ひ、姫様」
「悪童丸は」
「なりませぬ。その御言葉をゆうてはなりませぬ」
実の弟とのまぐわいを知らずの事と言うならまだしも、知っての上という。
人の道をおつるは鬼になったゆえか?
そうとでも考えねば海老名が享受するにしかねない事実が勢の口をつく。
「海老名。勢は初潮を迎えてから半年も過ぎた頃からこの身が人の物でない気がしてたまらなんだ。ある夜、障子に映った鬼の影を見た。その時に勢はひとつも恐ろしゅうなかったのじゃ」
「姫様・・・」
「恐ろしやと思うより先に勢はその影に擁かれたいと思うておった。そう思うと勢のほとが熱く潤んできて、物狂おしくてならなかったのじゃ」
「姫、さ、ま」
「勢は、悪童丸の事も、勢が鬼の子であることも判っておる。なれど、そなたの言うように人として生き様と思えば思うほど、どうしょうもなく鬼の血が騒ぎ、尚更に悪童丸が恋しい。悪童丸の男根が勢のほとに通じると勢が鬼であることを嫌が応でも知らされて、勢は嬉しく思えて堪らなかったのじゃ。いずれは、何処に嫁ついで行くこの身、人として生きねばならぬ身だが、どうしても、その前に鬼として鬼の女として己を見定めたい。母の思いを知り得た気もするのじゃ」
「なりませぬ、鬼になどなってはなりませぬ。姫様どうぞこの身を静めて」
「判っておる。それゆえに悪童丸も三条殿の御姿を借りて」
「おおおおおお・・・」
海老名の泣き伏すその背に勢姫の手が置かれると
「のう、海老名。勢は春の茶会に出て、三条殿の姿を垣間見た時にこの方が勢の夫君であらばと思うたのは嘘ではない。ただ、勢に流るる血が勢の思いを超えて悪童丸を呼んでしもうた。悪童丸も人の血が恋しい。苦しんでおるのは悪童丸も同じなのじゃ」
勢姫の言葉をじいいと聞き入っていた海老名であった。
「悪童丸様も・・・」
一言、呟くと己の頭を抱え込むとその声が号泣に変った。
「かなえ様、かなえ様。私は貴方様をお守りできず、そして、又、罪深い業を姫に負わせて、あの時私もいっそ、御側に参れば良かった。私が、貴方様を、姫を、悪童丸様を・・・」
「海老名。勢は悪童丸との事はまことと思うておる。故に頼むから、母の事をゆうてくれるな」
「ひいいい・・・」
海老名は押し殺す事もなく声を上げて泣崩れた。
勢姫の母であるかなえは勢が九つの歳に楼上より身を投げた。
それが事故だったのか、本当に身を投げたのか、取り沙汰にされる事はなかった。
余りに深い主膳の悲しみを思い誰もが暗黙の内に口を閉ざした。主膳の寵愛を一身に受けたかなえが自から身を投げる訳など無かったが、余りにも不自然な場所からの転落であった。わざと落ちねば落ち得ぬ場所であった。
かなえが地べたに叩き付けられた事も知らず探し回った者達が楼上の梁に曳き切れた着物の端を見つけて地面に降り立った時には山童に無残に食い荒らされた体の一部しか見当たらなかった。血を帯び引き千切られた着物だけがそれがかなえであることを語っていた。余りに無残な死に様であった。
海老名の言うあの時というのはそのことであった。
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