又も、考え中で
上手く、まとまるか判らないまま
吐き出してみる。
問題の言葉は
「縁を切る」
と、いう言葉であるが、
これは、
例えば
放蕩息子・放蕩娘・・?などに
対して
「お前とは親と子でもない。
縁を切る」
と、いう具合に使われる場合を想定している。
縁を切る。
程に愛想をつかした。
こういう風にうけとめていたのであるが、
この縁というものを
考え直してみる。
息子・娘の放蕩三昧・・・。
この原因が
因縁と言う血によって
引き起こされるものだと
考えた時
息子・娘の放蕩・・の原因は
親子と言う
縁・・・因縁によって
湧き出されている。
と、取れる。
そうなると
「縁を切る」
というのは
この悪行の因縁という
つながりを
断ち切ってやるしかない。
という、
救いの法なのではないかと
考えた・・・。
つまり、
「縁を切る」
と、一般的に言われる表側の
愛想尽かしの裏にあるのは、
仏道につながる
因縁からの解脱という
なんちゅうんだ?
苦肉の策?
ワラにもすがる?
意外な脱出法?
なのではないのか?
なんて事を考えてたんだよ。
まあ、憂生は陰陽師物を書いたりしていて、
なにかしら、宗教?くさい考え方はするけど、
もともとは、
八百万の神?
自然?
森羅万象が神であり、
遠足の前には
枕さんにも、
神頼みするという
おかげ信仰者の端でしかないのである。
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