部屋に戻ったレフイスの耳に
遅い時間にドアをたたくのを憚る静かなノックの音がきこえてきた。
ドアの鍵を開けると、少し草臥れた顔のアランが立っていた。
「おつかれさま」
レフイスがドアのノブを掴んでいた手を離して
アランにどうぞと手の平を部屋の中に向けて泳がせた。
「うん。いい誕生会だった?」
「ええ」
「一緒に祝えなかったのが残念だったよ」
足元を固定された小さな木製のイスにアランは座った。
たかが二十才の女の子でしかない船員一人に
個室が貰えるのも航海士という身分のせいだろう。
6㎡程の細長い部屋にはベッドとロッカー。
そして小さなテーブルとふたつのイスがしっかり固定されていた。
そのイスにアランは草臥れた体を乗せていた。
「でも、チャンとあなたからのプレゼントはいただいたわ」
「俺から?」
「ステキな笑顔っだったことよ」
「あ?しゃべっちまったのか・・・」
アランは料理長が見せた笑顔を想像したのだろう。
内緒の約束だったのだろう。
が、喋ってしまった料理長の事を怒るまもなしに
アランが笑い出していた。
「俺もみたかったな」
言ってる口の端が想像に耐えかねて笑いをこぼし始めている。
「料理長が代金は高いぞって、伝えてくれっていってたわ」
「アンタ、ん、んん・・」
アランは軽く咳払いをして言い直した。
「レフイスがよろこんでくれたなら、やすいもんだ」
とくん、とレフイスの中で心臓がなった。
続いて聞こえてくる鼓動の音もはっきりと大きく感じられた。
アランにレフイスの心臓の音を聞かれてしまいそうに思え
レフイスはアランの側を少し離れた。
けれど、明るい茶色の瞳がレフイスをじっとみていた。
アランの茶色の瞳の中にはレフイスがしっかりと映り込んでいた。
突然レフイスは理解した。
何かが始まっていることを。
アランの瞳の中に自分が映りこんでいる事がレフイスを安心させている。
自分の姿が映りこんでいるかどうかさえ
知る事も出来なくなった存在の不確かさに比べ
アランの瞳は限りなく透明に近い茶色の中にレフイスをとらえていた。
アランの瞳に映ったレフイスの姿がー生きてる事―を実感させていた。
「アランは、色んな事を教えてくれるんだね」
アランが言ってた言葉をレフイスは反芻していた。
テイオの事を話した時、
アランは哀しみの中に沈んでいるばかりなら
レフイスもいきているとはいえないっていいたかったのだろう。
哀しみを与える事しか出来ないで存在しているって事は
結局テイオと同じように死んでしまってる自分だったのだと判った。
死んだ人間が出来る事が哀しみを与える事だとするなら
レフイスも確かにそうだった。
テイオと一緒に自分まで死なせてしまっていたのだ。
でも、アランの瞳はそんなレフイスをしっかりみつめていた。
『私でも、誰かを喜ばせられる?アラン、そう教えてくれてるんだよね』
とくん、とレフイスの心臓が頷いた気がして
レフイスはアランをもう一度見詰め直した。
「あのさ」
アランがレフイスの顔を少し眩しげに見詰め返しながら話し始めた。
「なに?」
「ああ。もうちょっとで休暇だろ?」
「あ、ああ。そうだね」
一年近くの航海をおえる時期がすぐそこまできていた。
船は乗客をおろし次の航海にむけての化粧直しと
メンテナンスの為にドッグいりをすることになる。
調整を終えた船が次の航海を迎えるのは3ヶ月の休暇を終えた
初冬の頃になる
アランの瞳に映ってる自分の姿を
見出す事が出来なくなるんだと思うと、
レフイスは
「あえなくなっちゃうんだね?」
思わずつぶやいた。
レフイスのつぶやきにアランがびっくりした顔でレフイスをみた。
「あ?私、なにかへんなことをいった?」
「あ、そうじゃない。
レフイスがそんな事言ってくれるなんて思ってもみなかったから・・・」
「あ・・」
自分の出した言葉はレフイスの本当の心?
私はアランのことをあえなくなったりしたくないって思ってる?
レフイスが自分の心を覗きこんで戸惑い始めていた。
「うれしいよ」
レフイスに戸惑いを隠す間も与えずアランはレフイスを抱き寄せた。
「レフイス。休暇にレフイスのところをたずねていい?」
暖かい息の温もりと一緒にアランは寄せ付けたレフイスの耳もとに
囁く様にたずねた。
アランの思いがレフイスの心をわきたたせ身体の中の血が大忙しでレフイスの中を駆け巡っていた。
「ええ。待ってるわ・・・・」
やっとそれだけ答えるとレフイスはアランの胸の中に顔をうずめた。
アランの手がレフイスの頬を挟みこみ
恋人のキスを与えて来るアランをレフイスは静かに受け止めていた。
アランが照れた顔でレフイスにおやすみをつげると
もう一度レフイスの頬を手ではさみこんだ。
「約束のキス・・・」
アランが瞳をとじた。
「うん・・・」
少し項垂れてレフイスはアランにキスを渡した。
自分からのキスはレフイスの中のテイオをやけに意識させていた。
「じゃあ」
アランは部屋に戻って行った。
ドアをゆっくり閉めるとレフイスはベッドの上に座りこんで膝をだかえた。
多分、テイオは恋をする事もないまま死んだのだろう。
テイオを置き去りにしたまま
レフイスひとりテイオの知らない世界にいこうとしている。
「裏切りだよね?」
テイオの事を考えると泪がレフイスの膝をぬらしてゆく。
「テイオ。誕生日おめでとうって言いたくなんかないよね。
どんどんテイオが遠くになっちゃうだけだよね。いえないよね?」
年齢もそうだったろうけど、
テイオとの距離がどんどん遠ざかって行くのは
アランのせいばかりじゃない。
何よりもレフイスの
大人の女性としての感情がどんどん成長して行ったせいだろう。
幼友達のままじゃいられない性の違いを
意識しなければならなくなる局面を迎える前にテイオはいなくなった。
レフイスが一個の女性である事を教えてくれるのは
テイオだったのかもしれないし、テイオじゃなかったのかもしれない。
でも、いま、アランの腕に包まれた時に
レフイスの中の女性がめぶきだした。
「愛されたいよ。あんなに暖かくだきしめられたいよ」
テイオじゃどうしようもないレフイスの心の餓えをアランが包みだしていた。
でも、自分からそれをもとめる事をレフイスは恐れ責めていた。
なのに、アランとあえなくなると思った時。
レフイスの心は戒めを破り
目をそらしていた感情がレフイスの口をつかせた。
「テイオ。肩をだいてよ。寒いよ・・・・」
幼馴染が既にレフイスの恋の年齢の対象にさえなっていない事を
がっしりとした青年の胸の広さが
レフイスに暗黙の内に教え込んでしまっていた。
レフイスはアランの胸の厚みを、
聞こえて来る心臓の音を首を
振って頭の中から追い払おうとしていた。
「テイオ・・・・」
唇がテイオの名前を呟いたまま、
レフイスは眠りの中に落ち込んで行った。
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