翌朝は昨日の風が嘘の様に静まり、
波が穏やかな紺碧色にそまっていた。
白い波を泡立て船が進み
その跡が白く撹拌された飛泡で長い軌跡をつくっていた。
操舵室に入ると、
自動操縦から手動に切りかえる作業をしていたアランが
レフイスに声をかけた。
「おはよう。よく、ねむれた?」
「おかげさまで。シャンパンがきいたみたい」
「ん」
「ウオッチャーは?」
「セタが、メインで・・」
「ん、わかった」
航海日誌を開くとレフイスは自分の名前を書き入れた。
セタの朝までの日誌を読んでみたが、格別変った事もない。
夜半遅く風がぴたりとやんだことで
今日の天気を言い当てていた。
セタの書いてある通りだった。
やがて夏を迎える空は
その陽光のきらめきを練習するみたいに光出し
紺碧の海は明るく澄んだ青色に変っていった。
「さわやかだな。海のそこまですきとおっているようだな」
と、アランは呟いた。
「ウン・・・そうだね」
頷き返したレフイスの顔をアランは覗き込んだ。
「あんたはどうだい?」
「え?」
アランの言葉にレフイスは戸惑いを見せた。
「正直なもんだな」
レフイスの態度が心の翳りをあらわしてしまっていた。
「ん」
レフイスはアランの言葉に素直に頷いた。
「あんたさ。よく一人でいるとき、誰かの名前をつぶやいてるだろ?」
それもアランには気がつかれていたんだ。
レフイスは躊躇う事なく事実を認めた。
「恋人か?」
「ううん・・」
「恋人じゃない?」
「わからない・・ん・・だ」
言葉をとぎらせて答えたレフイスをアランはじっと見ていた。
レフイスの口からどう言う事なのか説明されるのを待っているようだった。
「幼馴染・・・」
「はーん。良くあるパターンだな。
離れて見ると変に恋しいくせに、
まともに顔を合わすと異性と言うより兄弟ぐらいにしかおもえない」
アランは納得した顔をした。
「でも、アンタ、いつも淋しそうだぜ。
それって、つまり、そういうことじゃないのか?」
幼馴染への感情は恋でしかない。
その事はアンタの顔がよく表わしているよと
アランはいいたかったのだろう。
「ウン・・・。かもしれない・・・」
「なんだよ?素直じゃないんだな?」
「だってね・・・・」
自分でも驚くほど素直に
レフイスは心の中の住人の事をはなし始めていた。
それは昨日のアランのおやすみのキスのせいかもしれない。
どんなに願っても現実のレフイスの世界にはテイオは存在しない。
あんなにくっきりと唇の柔らかさをレフイスに感じさせたアランのキスこそ
レフイスに生きている人の存在感を見せつけてしまっていた。
さらにその事がレフイスに自分から外にはでようとしない世界が
どんなにひどく心許無い心象風景でしかない事を感じさせていた。
「意地張って、甘えられなくなってんじゃないのか?」
レフイスの様子からアランの推理したことは、
本当によくありがちな幼馴染が抱えるトラブルだろう。
同じ様に歩きはじめ同じ時期に学業にいそしみ、
大切な存在と意識するより先にあらゆる所で
自分のレベルを見せてくるライバルになってしまう。
アランの言葉にレフイスは首を振った。
「あんた、さ。充分可愛いんだから、素直に胸ン中に飛び込んじまえよ。そいつもきっとあんたと同じ様に
素直になれるきっかけが掴めなくなってるんじゃ・・・」
手で顔を覆いはじめたレフイスの頬を伝った泪が
顎の線にまで滴を滑らせ小さな水滴をつくっていた。
「テイオは十六なの」
「年下、だってことにこだわってんの?」
レフイスは自分の言葉の足りてない所をつけくわえた。
「十六の、ままなの・・・」
「あ・・」
レフイスの言うそのままの年齢って事がどう言う意味か。
レフイスが重たい哀しみにとらわれていると知ったアランは
レフイスの肩を抱き寄せた。
「わすれちまえ・・よ」
レフイスは首を振った。
レフイスがテイオを忘れることはできない。
それに、誰も彼もテイオの生きていた事をどこかにおきざりにしている。
そんなのないよ。そんなのひどいよ。ねえ?テイオ。
いつのまにかレフイスは心の中のテイオに語りかけていた。
黙ったレフイスを見詰めていたアランは
冷たい言葉を投げかける自分を責めるように下を向いた。
「だとしたら、もう、四年もたってんだろ?」
「・・・・・」
「もうすんだ事だろ?
それにいつまでもテイオと一緒にいきられないって事、
アンタが一番よくわかってるじゃないか」
「ど・・う・・・いうこと?」
「テイオってやつは十六のままだ。
でもアンタは、17、18、19,20。
もうテイオじゃうめられない差を過ごしてきてんだ。
アンタは嫌でももう遠い昔の事にしなきゃなんなくなってる自分を
みとめたくないんだ」
「・・・・」
「そんな哀しい顔でテイオの事を
後生大事にかかえこんでいたってテイオだってよろこばないよ」
「・・・・」
「アンタの人生なんだぜ。アンタはテイオじゃないんだ」
「わ・・たし・・の?」
確かにレフイス自身の未来図でなく
あるはずもないテイオの未来図をみようとしていた。
テイオの未来図のに書きこまれているかもしれない自分の姿を
さがそうとしていた。
だからこそレフイスは日記を読めなかった。
そこにレフイスの姿がなかったら?
いや、あったとしてもそれは決して未来にならない事をしらされるだけだ。
「テイオの未来に自分をがんじがらめにしていた?って、そういうこと?」
「ああ。アンタの人生にとってテイオがどうであったか。
テイオをどうしたいか。
アンタは自分の人生をじぶんであゆんでいこうとしちゃいない」
「な、なんで、そんなこといいきれるの!?
あなたになんか、わかりゃしないことじゃない」
「判るさ。だってな。
アンタ、自分を好いてくれる男の事なんか
これっぽっちも考える余裕なんかもってない」
「え?」
「つまり、そういうこと。だから早くわすれちまえ」
アランはそう言うと真直ぐ前を見た。
洋上遥かに敷かれた一直線の水平の向こうを
こらしてみるようにしていたアランの姿は
レフイスにはレフイスの心の水平線の向こうまで
覗き込んでいるように思えた。
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