ある程度齢を重ねてくると、ひとと争うのが馬鹿らしくなる。
先着争いなどは、それの最たるものだ。
だから、何かを行う場合にひととタイミングが合ってしまったら、「お先にどうぞ」と譲ればいい。
意外なことだったのだが、それは禅宗の「利行(りぎょう)」につながるという。
◆利行は一法なり、あまねく自他を利するなり(道元)
誰かのためになることと、自分のためになることは、ひとつのことなのだそうだ。
他人のためになる行いは、翻って自分のためにもなるということらしい。
情けは人のためならずと同様のようだ。
「お先にどうぞ」は、まさに利行であり、ひとと競わない争わない生活の知恵のようです。
先を譲ったら、それは必ず自分のところに戻ってきて、周囲から前に押し出されるものです。
そして、周囲から推されるということは、自分が前に出るべき時期が熟したということなのです。
期が熟せば、それはうまくいくものです。
→わかったようなそうでもないようなだが、「お先にどうぞ」は、まあいいことのようです。