相沢祐一の『北信越(北陸・信州・越後)』乗り撮り鉄道記

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映画「二百三高地」(DVD版)を見て・・・

2009-02-07 22:55:22 | その他の非鉄ネタ
昔、ビデオレンタル全盛期の時は地元に「レンタルビデオ店」がたくさんありました。
しかし、インターネットの普及やDVDへの移行、そしてチェーン店の台頭により、地元の店はほとんど消えました。(一つだけ妙高市で奮闘している店がありますが・・・時間の問題か?)


ある日、インタネットで何気なく見ていたら、映画「二百三高地」の存在を知りました。



映画「二百三高地」とは・・・・
 製作年 : 1980年
 製作国 : 日本
 配給 : 東映


しかもキャストが超豪華です。(かっこは役名です)
 仲代達矢 (乃木希典→実在の人物)
 あおい輝彦 (小賀武志)
 新沼謙治 (木下九市)
 湯原昌幸 (梅谷喜久松)
 佐藤允 (牛若寅太郎)
 永島敏行 (乃木保典→実在の人物)
 長谷川明男 (米川乙吉)
 稲葉義男 (伊地知幸介→実在の人物)
 新克利 (相野田是三)
 矢吹二朗 (久司大尉)
 船戸順 (白井二郎)
 浜田寅彦 (大迫尚敏)
 近藤宏 (大島久直)
 伊沢一郎 (友安治廷)
 玉川伊佐男 (松村務本)
 名和宏 (中村覚)
 横森久 (土屋光春)
 武藤章生 (竹下少佐)
 浜田晃 (大庭二郎)
 三南道郎 (金平又八)
 北村晃一 (寺島大尉)
 木村四郎 (津野田是重)
 中田博久 (奈良少佐)
 南廣 (軍曹)
 河原崎次郎 (ガレ場の日本兵)
 市川好朗 (志水実)
 山田光一 (一戸兵衛)
 磯村建治 (仁杉万吉)
 相馬剛三 (豊島陽蔵)
 高月忠 (七海周六)
 亀山達也 (山岡熊治)
 清水照夫 (原口浅太郎)
 桐原信介 (兼松習吉)
 原田力 (渡辺大佐)
 久地明 (落合泰蔵)
 秋山敏 (村井軍曹)
 金子吉延 (喜多庄助)
 森繁久彌 (伊藤博文→実在の人物)
 天知茂 (金子堅太郎→実在の人物)
 神山繁 (山県有朋→実在の人物)
 平田昭彦 (長岡外吏→実在の人物)
 若林豪 (上泉徳弥→実在の人物)
 野口元夫 (大山巌)
 土山登士幸 (鋳方徳蔵)
 川合伸旺 (小村寿太郎→実在の人物)
 久遠利三 (桂太郎→実在の人物)
須藤健 (松方正義→実在の人物)
吉原正皓 (寺内正毅→実在の人物)
愛川欽也 (卯吉)
夏目雅子 (松尾佐知)
野際陽子 (乃木静子→実在の人物)
桑山正一 (赤丸巡査)
赤木春恵 (木下モト)
原田清人 (神鞭知常)
北林早苗 (木下トミ)
土方弘 (木下喜作)
小畠絹子 (料亭の女将)
河合絃司 (金沢の小学校長)
須賀良 (若い衆)
丹波哲郎 (児玉源太郎→実在の人物)
石橋雅史 (福島安正→実在の人物)
村井国夫 (沖禎介→実在の人物)
早川純一 (横川省三→実在の人物)
尾形伸之介 (松川敏胤→実在の人物)
青木義朗  (井口省吾→実在の人物)
三船敏郎 (明治天皇→実在の人物)
松尾嘉代 (昭憲皇后→実在の人物)
 
 ・・・・すごいキャストです。
ちなみに三船敏郎さんは、映画「日本海海戦」で東郷平八郎役をやっています。 



あらすじは、
 十九世紀末。ロシアの南下政策は満州からさらに朝鮮にまで及び、朝鮮半島の支配権を目指す誕生間もない明治維新政府の意図と真っ向から衝突した。開戦か外交による妥協か、国内では激論がうずまいていた。軍事力、経済力ともに弱小な日本にとってロシアは敵にするには強大すぎた。しかし、幾度となく開かれる元老閣僚会議で、次第に開戦論がたかまっていくがロシアの強大さを熟知している伊藤博文は戦争回避を主張していた。巷でも、開戦論で民衆を煽動する壮士グループと、戦争反対を叫ぶ平民社とが対立。ある日、開戦論に興奮した民衆が平民社の若い女、佐知に殴りかかろうとしているところを、通りがかった小賀が救った。
 その頃、伊藤は参謀本部次長の児玉源太郎と会見、対露戦の勝算を問うていた。児玉は早いうちにロシアに打撃を与え、講和に持ち込むしか勝つ道はないと訴えた。
 こうして明治三十七年二月四日、御前会議で明治天皇は開戦の決議に裁可を下した。ここに日露戦争の幕が切っておとされた。日本軍は陸と海で破竹の進撃を開始した。伊藤は前法相の金子堅太郎をよび、アメリカのルーズベルト大統領に講和の調停役を引き受けるように説得を要請する。
 そうしたなかでも、神田のニコライ堂ではロシア人司祭によるロシア語の講座が細々と続けられ、出席していた小賀は、そこで偶然にも佐知に出会った。思いがけぬ再会に、二人の間に愛が芽生えた。やがて、金沢の小学校教師である小賀も出征することになり、彼を慕って金沢までやって来た佐知と愛を確かめあう。小賀の小隊には、豆腐屋の九市、ヤクザの牛若、その他梅谷や米川たちがいた。
 戦況は次第に厳しさを増し、海軍はロシア東洋艦隊に手こずり、陸軍は新たに第三軍を編成、司令官に乃木希典を命じた。旅順の陥落が乃木にかせられた任務だったが、ロシアはここに世界一という大要塞を築いていた。ロシア軍の機関銃の前に、日本軍は屍体の山を築いていく。絶望的な戦いの中で、小賀と部下たちの間に人間的な絆が生まれていった。しかし、戦いで部下を失った小賀の胸には戦争への怒りと、ロシア人への憎しみが燃えあがっていた。
 十一月二十七日、司令部は二百三高地攻撃を決定した。その日、小賀は捕虜の通訳を命じられたが、「兵には国家も司令官もない、焦熱地獄に焼かれてゆく苦痛があるだけ」と拒否、その言葉は激しく乃木の胸を打った。
 十二月六日、乃木に代って指揮をとった児玉のもと、二百三高地攻撃が開始された。戦闘は激烈を極め、乃木は鬼と化していた。そして、三一五○名の戦死者と、六八五○名の負傷者という尊い犠牲を払い、二百三高地はおちた。
 しかし、小賀たちの一隊は、ロシアの少年兵との激闘の末、戦死してしまう。一ヵ月後、旅順は陥落、これが翌三十八年三月の奉天大会戦の勝利、さらには日本海大海戦の勝利へとつながった。翌三十九年一月十四日、乃木は天皇はじめ皇族、元老が居ならぶ前で軍状報告を行なったが、復命書を読み進むうちに、小賀や多くの兵のことが心をよぎり、落涙を禁じえなかった。



 これを見た感想としては、学校の歴史で『日露戦争』を習いました。コンクリート(映画では当時の呼び名『べトン』と呼んでいた)の要塞。そこへ突入する日本兵、しかしロシア兵は打ち放つ「機関銃」によって日本兵がまるで『虫けら』のように死んでいくシーンが涙をさそいました。
 やっと、小賀小隊が一部を占領しましたが、8割近くが戦死。そして、やっと食糧が届いたがそれには血がついていました。そして、その食糧を運んだ(と思う)「ラッパ兵」がレクイエムを吹き終わったと同時に絶命した。銃声がするなかで運んできたのでしょうか?


映画の中盤で、さだまさしさんが歌う「防人の詩」が流れた時に、何かがぐっときたような気がしました。


あと、乃木大将が前線視察に赴いたときに一人の兵士に声をかけましたが、兵士から「どうせわしらは消耗品ですさかい・・・」の言葉を聞いた大将は、驚きと落胆の表情をしていました。(さすがはベテラン俳優です。今の俳優にはない演技です)


小賀隊長も終盤で戦死し、婚約者(夏目雅子)が涙するシーンも・・・


作戦失敗の時、乃木大将の自宅には民衆から「人殺し」言われたりと石を投げられたりしましたが、自宅にいる妻が必死で耐えていました。しかし、戦争が勝利で終わると一転「乃木大将万歳!!」との声が民衆から言われたりしましたが、妻はこの戦争でなくした2人の息子の遺影を手に持って放心状態になっていました。(負ければ賊軍、勝てば官軍・・・民衆の勝手な心理も描かれています)



学校の教科書や先生があまり教えない歴史、この映画はある意味「反戦映画」の意味も込められているが『戦争を美化している』との批判もあったようです。



僕自身も忘れていましたが、この映画が上映された1980年はまさに『東西冷戦』状態でした。
いつ当時の『ソ連』の戦闘機が日本全土を攻撃しても不思議ではなかったのです。しかし、冷戦時代の事を忘れていました。今の20歳台前半は『東西冷戦』の事を知らない人もいるかも知れません。



あの当時の国際情勢は正に「食うか喰われるか」の「弱肉強食」の時代でした。つまり、戦争に勝つ事しか、国を守る方法がなかったのです。決して今の基準で「日露戦争」を語るのは間違っています。
もし戦争に負けていたら、第2次世界大戦後なんてものじゃなく、本当にロシアの奴隷になったいたかもしれません。(自分もこの世に存在していなかったかも・・・)



現在の体制は「第2次世界大戦後」というよりは『東西冷戦後』の体制です。
この映画を見るときには、今の考え方で見るのではなく冷静に見てほしいですね。



ただ、現在の日本ではこのような映画を作るのは絶望的ですね。(自称「平和団体」とマスコミで反対キャンペーンを行うから)



今回は、『日露戦争』での陸軍からの目線でみた戦い「旅順攻略戦(二百三高地の戦いも含む)」でしたが、次回は同じ戦争でも海軍からの目線、映画『日本海大海戦』を見たいと思います。



それでは・・・・






            Written by トンマノマント




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