本来なら、前回で終わっているはずでしたが、こぼれ話や寄り道ネタがあったのでこれを紹介してみたいと思います。
最初は長野方面から行ったと話しましたが、長野到着時は昼をだいぶ過ぎた頃でした。
食事したいと思って、最近できたラーメン店へ行きました↓
ちょっと変わった店でした。
食事したいと思って、最近できたラーメン店へ行きました↓
ちょっと変わった店でした。
味噌ラーメンなどを注文しました↓
味は・・・まあまあでした。
味は・・・まあまあでした。
それから、国道19号線を走り白馬村へ。そこから国道148号線に入り大町方面へ向かいました。
その途中、木崎湖が見えて「海ノ口駅」に着きました↓
無人駅です。
無人駅です。
実はこの「海ノ口駅」は鉄ヲタよりは、「アニメヲタク」がよく来るところとして有名です。
調べてみました。(ウィキより)
2002年1月から3月にかけてWOWOWで放送されたおねがい☆ティーチャー、およびその続編となるおねがい☆ツインズにおいて木崎湖の周辺が舞台になり、木崎湖の北端にあるこの駅もオープニングとストーリーの中に登場した。そのアニメ内における描写は現実の駅を忠実に再現しているため(『ツインズ』では大糸線を走るE127系も出ている)、放映後、この駅を訪れるファンが増えた。ファンの間ではこの地に向かう事を「巡礼」と称する。その数の多さに地元新聞社も取り上げるほどであり、今なおこの地に足を運ぶ者は減っていない。駅の中には駅ノートがあり、ファンの交流の場にもなっている。アニメのスタッフやキャストも実際にこの駅を訪れた。
・・・という事です。
調べてみました。(ウィキより)
2002年1月から3月にかけてWOWOWで放送されたおねがい☆ティーチャー、およびその続編となるおねがい☆ツインズにおいて木崎湖の周辺が舞台になり、木崎湖の北端にあるこの駅もオープニングとストーリーの中に登場した。そのアニメ内における描写は現実の駅を忠実に再現しているため(『ツインズ』では大糸線を走るE127系も出ている)、放映後、この駅を訪れるファンが増えた。ファンの間ではこの地に向かう事を「巡礼」と称する。その数の多さに地元新聞社も取り上げるほどであり、今なおこの地に足を運ぶ者は減っていない。駅の中には駅ノートがあり、ファンの交流の場にもなっている。アニメのスタッフやキャストも実際にこの駅を訪れた。
・・・という事です。
駅の中に入って見ました↓
迷惑行為が多いのでこのような注意書きがありました。
迷惑行為が多いのでこのような注意書きがありました。
駅ノートがありました。(上は過去の駅ノート、中・下は現在使用中の駅ノート)↓
中身を見ましたが、ほとんど「アニメヲタ」ばかりでした。(鉄ヲタは少なかったな)
中身を見ましたが、ほとんど「アニメヲタ」ばかりでした。(鉄ヲタは少なかったな)
ホームへ出ました。まずは、南小谷方面に向かって撮影↓
そして、松本方面に向かって撮影しました。
そして、松本方面に向かって撮影しました。
駅名版です↓
ホームから見た「木崎湖」です。
ホームから見た「木崎湖」です。
この後、松本方面へ向かい、野麦街道を通り「野麦峠」へ向かいました。
そして、一連の記事どおり「野麦峠」を降りて高山へ向かいました。
しかし、記事上では「美女峠」を通り高山市街へ向かった事になっているが、「国道361号線」へ出てしばらく走ったところ、あたりは真っ暗になりました。(午後7時頃に国道にでたのですから・・・)
実際は途中で県道に入り、夜の高山市街へ到着しました。実際は日帰りの計画でしたが・・・当然、無理でしたね・・・無謀そのものでした。(馬鹿ですね・・・)
急遽、近くにビジネスホテルで宿泊できるようになったので良かった・・・(偶然空いていた部屋があったとの事、ほとんどのホテルは満室ばかり・・・orz)
その高山市街の夜を楽しみました↓
人通りは少なかったです。(もう9時近くになったのも少ない理由かも・・・)
人通りは少なかったです。(もう9時近くになったのも少ない理由かも・・・)
近くに高山では有名なラーメン店がありました↓
しかし、スープ切れで閉店していました・・・orz
しかし、スープ切れで閉店していました・・・orz
別の店へ行きました。「居酒屋&ラーメン店」のような店でした↓
とりあえず、生ビール(中ジョッキ)と餃子を注文しました。
とりあえず、生ビール(中ジョッキ)と餃子を注文しました。
締めは、やはりラーメンと思い・・・「なないろすぺしゃる」ラーメンを注文しました↓
従業員から「具だくさんでしかも麺が2玉ですが・・・」といったがそれを承知で・・・
従業員から「具だくさんでしかも麺が2玉ですが・・・」といったがそれを承知で・・・
「なないろすぺしゃる」です。見た感じは普通の大きさだと思いましたが・・↓
食べてみたら、結構な量でした。結局、3分の1を残しました・・・orz
(「馬鹿につける薬はない!!」の言葉が一瞬頭をよぎった瞬間でした)
食べてみたら、結構な量でした。結局、3分の1を残しました・・・orz
(「馬鹿につける薬はない!!」の言葉が一瞬頭をよぎった瞬間でした)
それから、夜の高山市街をさまよい歩きました↓
国道もありましたが、通行量は少なかった。
国道もありましたが、通行量は少なかった。
ヲタの血が騒いだのでしょう!!高山駅前に着いていました↓
時刻表です。ちなみに撮影時はPM10:30頃つまり22:30頃です。
(最終列車が発車していました。つまり今日の営業は終了です)
時刻表です。ちなみに撮影時はPM10:30頃つまり22:30頃です。
(最終列車が発車していました。つまり今日の営業は終了です)
もう、改札は締め切っていました↓
奥には「特急ワイドビューひだ」がありました。(高山始発列車かな?)
奥には「特急ワイドビューひだ」がありました。(高山始発列車かな?)
最後にここを撮影して、ホテルに戻りました↓
こうして見ると、高山市街も何か幻想的な風景を感じます。
こうして見ると、高山市街も何か幻想的な風景を感じます。
それから次の日ですが、わざわざ県道で戻り、国道361号線との分岐点まで来ました。
ここから「美女峠」経由で再び高山へ行きました。
ここから「美女峠」経由で再び高山へ行きました。
それから、飛騨古川→角川と続き、『政井みね』さんの墓へ行きました。
本来なら、そのまま国道361号線を北へ走れば富山へいけますが、また国道41号線との分岐点まで戻り、41号線で富山方面へ向かいました。
その理由は、以前「旧 神岡鉄道」跡をめぐる旅で見つけた、終点の「旧 奥飛騨温泉口駅」にあった『喫茶店あすなろ』へ行く為でした。
そして『喫茶店あすなろ』へ着きました↓
あれ?営業しているようには見えない?・・・どうしたのだろう?
あれ?営業しているようには見えない?・・・どうしたのだろう?
入口に近づいて見たら、貼り紙が・・・↓
今日は定休日だった・・・orz(神岡鉄道の営業終了が2006年11月30日、それから約3ヵ月後の2007年3月からこのような休業日を設けていたのでした。やはり廃線の影響を受けているのでしょうか?)
今日は定休日だった・・・orz(神岡鉄道の営業終了が2006年11月30日、それから約3ヵ月後の2007年3月からこのような休業日を設けていたのでした。やはり廃線の影響を受けているのでしょうか?)
・・・でこのまま失意のまま富山へ行きました。(昼食は「すきや」で・・・)
そして、そこから高速道路で上越市へ戻りました。
そして、そこから高速道路で上越市へ戻りました。
上越市のガソリンスタンドで満タン給油しましたが、リッターが182円。
今回40リッター入れたので、ガソリン代が約7,000円代でした・・・orz
今回40リッター入れたので、ガソリン代が約7,000円代でした・・・orz
しばらくは車を使った遠出は無理ですな・・・との結論を以って、今回のレポートを閉じます。
今まで、記事を見ていただいた皆さん、どうもありがとうございました。
今まで、記事を見ていただいた皆さん、どうもありがとうございました。
Written by トンマノマント |
前回は、「もうすぐ高山市街へ」のところまででした。
そして「高山市街中心部」へ着き、ついでにJR高山駅へ着きました↓
車両がありました。↓
これは「特急ワイドビューひだ」ですね。
これは「特急ワイドビューひだ」ですね。
しかし今回は、「非鉄ネタ」です。鉄道は必要ありません・・・・と思っていました。
近くに「飛騨路懐古写真展」の看板があり、そこに「高山本線」の歴史がありました↓
まずは、岐阜県側からの歴史です↓
次は、富山県側からの歴史です↓
そして、昭和6年に2つの路線が繋がって、「高山本線」全線開通になりました↓
実は、この「高山本線」の全線開通をもって、女工の「野麦峠」越えは無くなりました。
岡谷の工場へ行くには、高山駅から列車で岐阜→名古屋と続き、それから「中央本線」で岡谷駅へ行くようになったためでした。
(その後、岡谷の工場の縮小や岐阜へ製糸工場ができたので、ほとんどの飛騨の女工は岐阜の工場へ移ったとか。これをもって「野麦峠」の役目が終わったのでした)
岡谷の工場へ行くには、高山駅から列車で岐阜→名古屋と続き、それから「中央本線」で岡谷駅へ行くようになったためでした。
(その後、岡谷の工場の縮小や岐阜へ製糸工場ができたので、ほとんどの飛騨の女工は岐阜の工場へ移ったとか。これをもって「野麦峠」の役目が終わったのでした)
それから、国道41号線を走り「飛騨古川」へ。途中、神岡方面へ行く41号線と河合へ行く360号線がありますが、角川集落へ行くのは360号線です。ですからそこから国道360号線に入って、角川集落を目指します。
そして、JR角川駅に着きました↓
高山本線の全面復旧まで「簡易委託駅」でしたが、復旧後は「無人駅」になりました。
(以前、猪谷~角川までは代行バスが走っていた。自分も乗りました)
高山本線の全面復旧まで「簡易委託駅」でしたが、復旧後は「無人駅」になりました。
(以前、猪谷~角川までは代行バスが走っていた。自分も乗りました)
しかし、ここは普通列車しか停まりません。そして・・・↓
1日上下線とも10本もないなんて・・・orz
1日上下線とも10本もないなんて・・・orz
高山線不通の時はここで買い物して行きました。現在も営業しています↓
今は「飛騨市」になりましたが、以前のこの地域は「河合村」でした。
今は「飛騨市」になりましたが、以前のこの地域は「河合村」でした。
そして、「政井みね」さんが眠る『専勝寺』へ。(インターネットに情報がありました)↓
ここから入ります。
ここから入ります。
寺の前には、このように大きく「専勝寺」とあります。(浄土真宗本願寺派ですね)↓
この本堂の裏に「みねさん」の墓があります。
この本堂の裏に「みねさん」の墓があります。
裏に行くと、「親鸞聖人」の像があります↓
※ちなみに私は「真宗大谷派」なので親近感がわきました。
※ちなみに私は「真宗大谷派」なので親近感がわきました。
そして、その像が見守るように「政井みね」さんの墓がありました↓
左側については、兄の辰次郎さんが昭和34年に建てました↓
これが「みねさん」の墓です。(映画化記念に案内板が設置されたみたいです)
これが「みねさん」の墓です。(映画化記念に案内板が設置されたみたいです)
※この撮影後、手を合わせお参りしました。
現在は、みねさんの生家は無くなっているとの事でした。墓の管理も地元の人が行うのか?親戚が行っているのか?はわかりませんが、きれいに管理していました。
「野麦峠」のように大々的に宣伝しているのと違い、ひっそりしていました。安らかに眠ってほしいとの思いかも知れません。(インターネットで調べなければ、わからなかった)
「野麦峠」のように大々的に宣伝しているのと違い、ひっそりしていました。安らかに眠ってほしいとの思いかも知れません。(インターネットで調べなければ、わからなかった)
兄の辰次郎さんは、角川から岡谷の工場まで不眠不休で2日間で行きました。一刻でも早く病気のみねさんを引き取るために・・・。松本の病院へ入院をみねさんに進めたが「故郷へ戻りたい」との話だったので、みねさんを背負い故郷へ歩いていきました。しかし、「野麦峠」でみねさんは息をひきとりました。
その後、人目を避けて夜通し歩いて数日で角川へ着いたとの事でした。
その後、人目を避けて夜通し歩いて数日で角川へ着いたとの事でした。
それから、時代が流れて昭和40年代。高度経済成長時代を迎えて、人々の生活も豊かになりました。しかし、昔は日本が貧しかった。だがこのままでは、それすら忘れられてしまう。だからこそ、山本茂実さんは製糸工場の女工さんだった明治生まれのお年寄り達に数年の時間をかけて聞き取り調査し、それをまとめた物を昭和43年に朝日新聞社から『あゞ、野麦峠』を出版されました。
当時は大ベストセラーになり、昭和54年には大竹しのぶさん主演で映画化されました。
当時は大ベストセラーになり、昭和54年には大竹しのぶさん主演で映画化されました。
結構、自分の主観(脳内ソース全開しすぎ・・・)が多いですが、昔の事を後世に残すのは大事な事だと思います。かつて、とある漫画家が「日本の資金を使って今の韓国経済があるのだが、韓国の国民はどうやって近代化したか教えてもらっていないし、あえて隠しているのだ!!」と言っていました。また、「今の豊かな日本が昔からあるような錯覚を日本人はもっている!!」とも言っていました。
今、「蟹工船」と言う小説がベストセラーになっています。この作品は戦前に出版されたものです。僕は『あゞ、野麦峠』の方が好きですが・・・(事実と創作では重みが違うと自分は思っています)
今の労働条件の悪化しつつある社会だからこそ、このような作品を見直し始めたと思います。
今の労働条件の悪化しつつある社会だからこそ、このような作品を見直し始めたと思います。
自分にとって今回の旅は、以前の「旧 神岡鉄道」跡を回るついでに「野麦峠」によった程度でした。
それからインターネットでいろいろ調べる内にはまってしまったような気がします。
それからインターネットでいろいろ調べる内にはまってしまったような気がします。
とりあえず、これをもって自分での「野麦峠」に関する件は終了したいと思います。
話は戻りますが、みねさんの墓をお参りした後は、ひらすら富山県へ行きそこから高速で帰りました。
とりあえず、これで終了しようと思いましたが、結構こぼれ話もありましたので・・・
とりあえず、これで終了しようと思いましたが、結構こぼれ話もありましたので・・・
最後にそれらをまとめた「おまけ・こぼれ話です」でお送りいたします。それでは・・・
Written by トンマノマント |
前回は、「野麦峠」及びそれにまつわる話でした。
とりあえず、野麦峠を降りようと思いましたが、その前に周辺施設でも・・・
まず、「お助け小屋」でも↓
前回もそうでしたが、営業している雰囲気ではなかったです。
前回もそうでしたが、営業している雰囲気ではなかったです。
「お助け小屋」から撮影、時間帯(18時撮影)かも知れませんが寂しいですね↓
奥にあるのは自分の車です。
奥にあるのは自分の車です。
「みねの茶屋」ですが・・・↓
今年は営業しているのでしょうか?
今年は営業しているのでしょうか?
「旧 野麦街道」の峠側からの入口です↓
ここから前回で紹介したところへ出ます。
ここから前回で紹介したところへ出ます。
その案内版です↓
こんな感じです。
こんな感じです。
ここに「水準点」があります。(一番高いところらしいのですが・・)↓
これが「水準点」です。
(なお、ここでみねさんが亡くなった説がありますが、ここからでは野麦集落は見えない)
これが「水準点」です。
(なお、ここでみねさんが亡くなった説がありますが、ここからでは野麦集落は見えない)
ここから岐阜県側にある「野麦集落」をめざして行きます。
途中、野麦集落が見えるポイントを探しましたが、道が急なのと木などで見えませんでした。
途中、野麦集落が見えるポイントを探しましたが、道が急なのと木などで見えませんでした。
・・・でいつの間にか「野麦集落」へ着いていました。(何かの施設みたいですが・・)↓
結構、小さな集落です。
結構、小さな集落です。
そこから「野麦峠」の場所を見てみます↓
ここからでは見えませんね。
ここからでは見えませんね。
そして、「野麦集落」を出ました↓
さらに進んだら、見えなくなりました。
亡くなったみねさんを自分の背中に乗せて歩いていった兄の辰次郎さんが、どのような気持ちで「野麦」を離れたのでしょうか? 今では、わかるすべはありません。
さらに進んだら、見えなくなりました。
亡くなったみねさんを自分の背中に乗せて歩いていった兄の辰次郎さんが、どのような気持ちで「野麦」を離れたのでしょうか? 今では、わかるすべはありません。
しばらく道なりに進みましたが、次の集落らしいところがなかなか見つかりません。
ナビを見てみると・・・「寺坂峠」とあります↓
つまり「野麦集落」は峠と峠に挟まれた集落とわかりました。(集落の過疎化が進んでいるとの事でした)
ナビを見てみると・・・「寺坂峠」とあります↓
つまり「野麦集落」は峠と峠に挟まれた集落とわかりました。(集落の過疎化が進んでいるとの事でした)
その「寺坂峠」の場所です↓
何もありませんでした。「看板」などもありませんでした。(ナビが無ければ、そのまま通過していました)
何もありませんでした。「看板」などもありませんでした。(ナビが無ければ、そのまま通過していました)
「寺坂峠」から出てしばらくしてナビを見てみました↓
野麦集落の次の集落に着きました。
野麦集落の次の集落に着きました。
それからしばらくして、国道361号線へ出ました。(当時はこんな橋はなかったはず)↓
高山側から撮影しました。左側が野麦峠ですが、「野麦街道」はここから国道に沿って高山方面へ続きます。
高山側から撮影しました。左側が野麦峠ですが、「野麦街道」はここから国道に沿って高山方面へ続きます。
そのまま361号を走ると「美女峠」へ向かいます↓
しばらく行くとひらけたところに出ました。「美女高原」とありますが・・・↓
これを見る限りでは、この周辺全体が「美女峠」のような感じでした。(ナビも「美女峠」は検索できなかった)
これを見る限りでは、この周辺全体が「美女峠」のような感じでした。(ナビも「美女峠」は検索できなかった)
あとは下りが続くだけです↓
・・・とこのように「急カーブ」と「細い道」が続いていました。
・・・とこのように「急カーブ」と「細い道」が続いていました。
しばらくしてゲートが見えました↓
ここで「美女峠」は終わりみたいです。
ここで「美女峠」は終わりみたいです。
あとはこのまま真っ直ぐに行けば「高山市街」です↓
平成の大合併で「市町村」自体が訳わからん状態になっています。(ここも一応、高山市ですが・・・)
平成の大合併で「市町村」自体が訳わからん状態になっています。(ここも一応、高山市ですが・・・)
・・・と言うわけで、兄・辰次郎さんがみねさんを背負っていったルートを車で走ってみました。
その後、高山から古川(飛騨古川)、そして故郷の「角川集落」へ続きます。
その後、高山から古川(飛騨古川)、そして故郷の「角川集落」へ続きます。
それについては「その3・みねさんが眠る、角川へ」でお送りいたします。それでは・・・
Written by トンマノマント |