相沢祐一の『北信越(北陸・信州・越後)』乗り撮り鉄道記

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そのためこのブログの更新はありません

今年も、快速「北アルプスいろどり号」に乗車しました・中編(『いろどり号』で南小谷へ)

2008-06-30 20:53:34 | 臨時・特別列車の乗り撮り鉄道記
前回は、松本駅に着いたところまででした。



時間があるので、一度駅を出ました↓
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駅名版はいいですね。



また、駅に戻り「北アルプスいろどり号」の発車時刻を確認しました↓
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もう少し時間がありますね。


松本から南小谷までの運賃を確認しました↓
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1,280円ですか・・・結構かかります。(いかに「信州ワンデーパス」の2,500円の安さがわかります)


※ちなみに「青春18きっぷ」の場合はグリーン車は「自由席」のみ使用できます。
 しかし、この「いろどり号」は全車『グリーン車指定席』なので18きっぷは使えません。
 (そもそも期間外ですが・・・・)



そんな事を考えていたら、もうそろそろかな?と思う時間になったので4番線ホームへ行きます↓
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4番線ホームに着いたら、何か電車が来ました。これかと思いましたが・・・(動画)↓



実は先ほど南小谷へ向かった「特急あずさ」号の切り離した2両でした↓
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すぐに回送されました。



そしていよいよやってきました。快速「北アルプスいろどり号」の入線です(動画)↓



4番線ホームに入線した「いろどり号」です↓
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前面表示はコンピュータで管理しています。その画面ですね。


いろいろありました↓
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これらの繰り返しでした。


ついに、「北アルプスいろどり号」の表示になりました↓
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やっぱりこれが一番きまっています。


いろどり号の後ろです。↓
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全車「グリーン車指定席」です。


今回は2号車です。結構、満席に近い位の乗車率でした↓
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席の上の天井です。昨年と比べ物にならないくらいの乗車率でした。



それから、南小谷へ向かって出発しました。その時の切符などです↓
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「記念乗車証」を頂きました。



最初は平坦な田園風景でしたが・・・↓
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だんだんと深い谷へ・・・じゃなく、青木湖かな?・・・↓
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改めて見ましたが、きれいですね。


ここで、動画モードで撮影。民話「雪女」入りです(動画)↓

『北アルプスいろどり号 車内から1』


しばらくいくと別の湖が見えました。木崎湖でしょうか?・・・↓
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ここも風景がいいですね。


ここから、また動画モードで撮影。「雪女」の途中まで入っています(動画)↓

『北アルプスいろどり号 車内から2』


さらに、動画モードで撮影。「雪女」の終わりまで収録(動画)↓

『北アルプスいろどり号 車内から3』


車内に「多目的室」なるものがありました↓
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写真の通りです。



白馬駅へ到着しました↓
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大半の乗客がこの白馬駅で降りて行きました。


白馬駅を出発したあとの車内です↓
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ガラカラになっていました。この列車は実質、白馬駅までなのでしょうね。


自分を含め定員4名のこの席は、白馬からは自分だけになりました↓
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座席を倒して、ゆったりシートにしました。




そして、終点の南小谷駅に到着しました↓
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1番線には「特急あずさ」が停まっていました。


ここで「いろどり号」とはお別れです。結局、一部の家族連れと自分を含む鉄ヲタだけでした↓
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正面です。


この先から非電化路線になります↓
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もし、糸魚川まで電化されていれば「いろどり号」も糸魚川まで来ていたかも知れません。
(電化はないでしょう・・・・ORZ)



昨年乗車した時との違いは、「車内販売」がなかった事でした。南小谷駅周辺には食堂もないので困ってしまいました。
また昨年は終点「南小谷駅」まで誘導を考えていたような気がしますが、今年は「白馬駅」までの誘導しか考えていなかったようでした。南小谷から糸魚川方面の接続も悪いみたいだし・・・
(来年やるとしたら、終点が「白馬駅」になるかも・・・)


そして、「いろどり号」は白馬方面へ回送されていきました(動画)↓




このままホームにいてもしょうがないので、改札をくぐりました。


松本方面はそれなりに本数がありますが・・・↓
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糸魚川方面の次の列車は14:27発・・・あと2時間もあるじゃん・・・orz
(昨年は約1時間弱だったのに・・・・・orz)


このように、「いろどり号」はある意味「松本~白馬」間を往復するための列車ではなかろうかなと思いました。



とりあえず、南小谷駅を出ました↓
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これ見てもあまり意味ないしな・・・


最終的には、糸魚川行きに乗車しました。それについては「後編・歩いて乗って、また乗るよ」でお送りいたします。それでは・・・・・





        Written by ブツクサ・ボヤッキー



今年も、快速「北アルプスいろどり号」に乗車しました・前編(長野・松本へ)

2008-06-29 19:58:03 | 臨時・特別列車の乗り撮り鉄道記
昨年6月も「松本~南小谷」間を走っていた快速「北アルプスいろどり号」に乗りましたが、今年も6月に運行していました。
しかし、いろいろあってなかなか乗れませんでしたが、やっと乗る事ができました。



とりあえず、高田駅です↓
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もう7:07発の普通電車長野行きが着いていたよ・・・急げ!!


・・・と言ってもここは単線区間です。長野側からくる電車が来ない限り、動けないのです。
とりあえず115系長野色です。(この車両いつまで使うのだろう?)↓
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長野までは1,110円です。(いかに青春18きっぷの格安さがわかります)


その時、「快速くびき野1号」新潟行きがやって来ました(動画)↓



そして「快速くびき野」が発車した後に長野行きも発車しました。



ヲタならうれしいスイッチバックの駅、二本木駅に到着しました(動画)↓

『二本木駅に到着(スイッチバック、車内から撮影)』


二本木駅です。ちょうど、直江津行きとの列車交換でした↓
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先に、直江津行きが発車しました。



そして、終点の長野へ到着しました↓
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基本的に運行系統は、長野終着が基本です。(長野新幹線開業以来)


朝食を食べるために、一度駅を出ました↓
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それから駅に戻り、松本まで料金を調べて見ました↓
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偶然でしょうか? 高田から乗った時と同じ1,110円でした。


「北アルプスいろどり号」のポスターです↓
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9:03発の普通電車松本行きに乗ります。


その松本行きです↓
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この後、これに乗りました。



長野を出発し、松本へ向かいます。当然、姨捨駅にも停まりますので、どんどん上がっていきます↓
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景色が良くなっています。


姨捨駅手前まで来るとまるで、空を飛んでいるみたいです。(少し大げさでした)↓
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棚田の風景もいいですね。



そして、姨捨駅に到着します。二本木駅と同じスイッチバックの駅です↓
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写真は運転席後ろのドアから望遠を使って撮影しました。


姨捨駅に到着。この前の「四季彩号」以来です↓
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やはり、ここから見る風景は最高ですね。



姨捨駅を出発したら、すぐに信号所が見えました。間もなく運用を終了する「羽尾信号所」です↓
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合理化とは言え、少し寂しいものがありますね。



そして、終点の松本駅に到着しました↓
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ここで降ります。なお、この車両は折り返し長野行きとして運行します。


実はこの「臨時快速」が「北アルプスいろどり号」です↓
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ここまで撮影しなくても・・・・・



こうして、松本駅に着いた自分はあとは「北アルプスいろどり号」に乗るだけです。
(事前に『えきねっと』で指定席券購入済)


松本からの「いろどり号」乗車については「中編・『いろどり号』で南小谷へ」に続きます。では・・・





        Written by ブツクサ・ボヤッキー



6月15日に「旧 神岡鉄道」跡をめぐって来ました(その8・おまけ2「悲しみの野麦峠」)

2008-06-28 21:15:07 | 北陸地区の「乗り鉄・撮り鉄」記



あれからナビを使って「野麦峠」へ向かいました。その「野麦峠」です↓
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いろんな施設ができていました。



そもそも『野麦峠』とは・・・
 岐阜県高山市と長野県松本市の県境に位置し、飛騨国と信濃国を結ぶ鎌倉街道・江戸街道と呼ばれる街道の峠。乗鞍岳と鎌ヶ峰の間にあり、標高1,672m。長野県道・岐阜県道39号奈川野麦高根線が通っている。


そして、この峠は・・・
 明治の初めから大正にかけて、当時の主力輸出産業であった生糸工業で発展していた諏訪地方の岡谷へ、飛騨の女性(多くは10代の少女)が女工として働くためにこの峠を越えた。
 当時は飛騨の農家は貧しく、少しでも収入を得るには当時の日本の輸出主力品の生糸を作る工場へ勤めるしかなかったのです。


野麦峠が注目されたのは、昭和43年(1968)朝日新聞社から出された山本茂実のルポルタ-ジュの『あゞ野麦峠』です。山本氏はその当時の10数年におよび飛騨信州一円を取材し数百人の女工、工場関係者からの聞き取りを行ったという。その集大成がこの小説(事実といった方がいいかも)です。


その過程で出てきたのが弱冠20歳の若さで亡くなった女工の政井みねさんの話です。
山本氏はみねさんの兄からも聞き取りしていました。



その当時の女工さんの生活・仕事は今と比べられないほどひどいものでした。
 周辺農村部から集められた大半の少女達は、山深い飛騨の山中の村々から連れてこられた貧しい農家の子供達であった。多くの少女達が半ば身売り同然の形で年季奉公に出されたのだった。工女たちは、朝の5時から夜の10時まで休みもほとんどなく過酷な労働に従事しました。工場では、蒸し暑さと、さなぎの異臭が漂う中で、少女達が一生懸命、額に汗をしながら繭から絹糸を紡いでいた。苛酷な労働のために、結核などの病気にかかったり、自ら命を絶つ者も後を絶たなかったという。


それでも・・・
 優秀な工女は「百円工女」と呼ばれました当時、百円といえば大変な大金だった。(家が一軒建てられるくらい)百円工女になることは彼女たちの誇りだった。だからこそ、無理をしてでも百円工女になるよう頑張った。


しかし・・・
 そんな頑張りもつかの間のこと。重労働に疲れ、いつしか体は病気にむしばまれ、廃人同様となって工場の片隅に捨て置かれるようになってしまった。


岐阜県吉城郡河合村の角川から来た政井みねさんも「百円工女」でした。しかし、間もなく家族宛に「ミネビョウキスグヒキトレ」という工場からの電報が来ました。角川といえば高山からまだ七、八里(約30キロ)、奥越中(富山)との国境に近い、宮川沿いの小さなである。ここから岡谷まで七つの峠と30数里の険しい山道を、兄の辰次郎は宿にも泊らず夜も休みなしに歩き通して、たった2日で岡谷の山一林組工場にたどりつきました。病室へ入ったとたん、はっとして立ちすくんだ。美人と騒がれ、百円工女ともてはやされた妹みねの面影はすでにどこにもなかった。やつれはててみるかげもなく、どうしてこんな体で十日前まで働けたのか信じられないほどだった。病名は腹膜炎、重態であった。工場では辰次郎を事務所に呼んで十円札一枚を握らせると、早くここを連れだしてくれとせきたてた。工場内から死人を出したくないからである。
それから、松本で入院する事を勧めたが、自らの死を既に悟ったのであろうか、みねは故郷の飛騨へ帰りたいと兄の提案を拒否した。やむなく辰次郎はみねを背中に背負い、飛騨へ向かう事となった。
しかたなし辰次郎はまたそこもしょい出して、いよいよ野麦街道を新村、波田、赤松、島々、稲核、奈川渡、黒川渡、寄合渡、川浦と幾夜も重ねて、野麦峠の頂上にたどりついたのが11月20日の午後でした。


その時、峠から見えた野麦集落を見て↓
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     あぁ、飛騨が見える。あぁ、飛騨が見える。

その言葉を言い残し、息を引き取った。1909年11月20日午後2時、弱冠20歳での死であった。
「みねは飛騨を一目みて死にたかったのであろう」、そういって辰次郎は六十年も昔のことを思いだして、大きなこぶしで瞼を押え声をたてて泣いていたそうです。


 くわしくは『あゞ野麦峠』を読んでください。(今度、買おうかな)



さて、自分が野麦峠に行った話に戻ります。あたりを見てみると↓
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「みねの墓」とありますが、みねさんが亡くなったであろうと思われた場所に建てた碑があるだけです。
(実際のみねさんの墓は、岐阜県吉城郡河合村角川の専勝寺の真裏にあります)
時間と体力の関係で断念しました。(ヲイ!!)


あとこんなものも↓
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余裕がないので無理です・・・orz



時間の関係でここで引き返しました。その途中でここを見つけました↓
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『あゞ野麦峠』の一部ですね。



こうして引き返し、そのまま松本へ。そしてそこから北上し、小谷温泉から笹ヶ峰を通り妙高高原へ抜けようとしましたが、『妙高高原へは抜けられません』との小谷村の看板があったので断念し、糸魚川から高速道路で上越へ帰りました。




最初は「旧 神岡鉄道」跡だけにしようかなと思ったのですが、最終的には『野麦峠』まで行ってきました。「野麦峠」についてはまた行きたいと思います。今度は鉄道ネタから離れてですが・・・



我々が今、当たり前だと思っていた生活。しかし、その生活の恩恵にあやかる事ができたのは彼女たちの頑張りもあったからも知れません。先人たちに感謝しつつ頑張って行きたいと思います。



最後に少し湿っぽい話でしたが、これをもって一連のシリーズを終了いたします。ありがとうございました。






          Written by ブツクサ・ボヤッキー




※なお本来なら非鉄ネタなので別HNですが、神岡鉄道へ行った事の延長のようなものなので鉄道専用HNで表示しました。



6月15日に「旧 神岡鉄道」跡をめぐって来ました(その7・おまけ1「安房峠、上高地入口」など)

2008-06-27 22:36:32 | 北陸地区の「乗り鉄・撮り鉄」記
本来なら前回で終了していました。しかし、そのまま来た道を戻るのもおもしろくないと思って『北アルプス』を越えようとしました。


まず、考えたのが「スーパー林道」を通るコースですが、結局は「立山駅」付近へ抜けるだけでそのまま富山市に戻るだけでした。



そして、山沿いに沿っている国道471号を走りながらナビで追っていった結果、『安房峠』をこえるルートを選びました。(・・・というか、山を越えられるルートで早く見つけたのがそこだから・・・)


『安房峠』を通る道路は、国道158号となっています。しかし道幅が狭く、けわしい。行楽シーズンになると渋滞はひどくなり、峠を通りぬけるのに7時間かかったとの話を聞く。


しかし、1997年12月に「安房峠道路(有料)」が開通したら、ものの10分もしない内に県境を越えていた。



しばらくすると「上高地」へ行ける道路まで来ました。


右側が本線へ、左側が「上高地」へ行ける道とT字路になっています↓
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上高地方面は、通年『マイカー規制』されています。(バスに乗って行くしかありません)



それからしばらく進んでトンネルを抜けました。そこは・・・↓
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雪国・・もとい、ダムがありました。


「奈川渡ダム」です。(10年位前に一度来ました)↓
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昔来た時は、この先に売店や食堂があったのですが・・・(立入禁止になっているとは・・・)↓
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今は廃材置き場になっているのでしょうか?



対岸へ移動しました。とりあえず、マイカー規制の電光掲示板です↓
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もう6月なのに、まだ「冬期通行止」ですか?


案内図です↓
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これらを見ると対岸にも手前にも「売店」あるようですが・・・?


まず、手前にある売店です。休業中みたいです・・・↓
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対岸の方は、売店の痕跡すらありませんでした。



そして、別の案内図を見てみました↓
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そういえば、「野麦峠」に行った事がないなと・・・・


実はこのダムには2回くらい家族で行っています。しかし、「野麦峠」には行った事がなかったのです。
「野麦峠」といえば、『あゞ野麦峠』のノンフィクション小説が有名です。

   今度こそ、『野麦峠』へ行きたい!!


・・・・と思い、「野麦峠」へ向かったのでした。それについては「おまけ2」でお送りいたします。


それでは・・・・






          Written by ブツクサ・ボヤッキー




※なお本来なら非鉄ネタなので別HNですが、神岡鉄道へ行った事の延長のようなものなので鉄道専用HNで表示しました。



6月15日に「旧 神岡鉄道」跡をめぐって来ました(その6・終点『旧奥飛騨温泉口駅』跡にて)

2008-06-26 23:02:40 | 北陸地区の「乗り鉄・撮り鉄」記



ついに終点「旧奥飛騨温泉口駅」へ向かいます。『神岡鉄道』の時はあっという間でしたが・・・



そして、終点「旧奥飛騨温泉口駅」へ到着しました。(2006年4月29日に乗車して以来、約2年ぶりです)↓
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手前にあったディーゼル機関車は2007年2月に解体されました・・・合掌。


2006年4月29日に撮影した「旧奥飛騨温泉口駅」です↓
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今と変わりありませんね。『神岡鉄道株式会社』の看板が無くなったのを除けば・・・


廃線になってもこれは撤去しなかったようです↓
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このバス停も変わりなしです。(名称が少し変わっただけです)


2006年4月29日に撮影時のホームです。現役でした↓
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2008年6月15日に撮影。二度とここには列車はこないのです・・・orz


2006年4月29日撮影の駅舎の裏です↓
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2008年6月15日にほぼ同じところで撮影しました。


これは不明です。(レールを使った何からしいのですが・・・)↓
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この立派な祠も、もぬけの殻です。



2006年に撮影した桜は今どうなっているのでしょうか?


2006年4月29日に撮影した桜です↓
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同じ場所で撮影しました。変わりなしですね↓
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できれば春に撮影するべきでした・・・orz



あとは、旧駅を改装して営業していた「喫茶店あすなろ」ですが・・・↓
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2006年4月29日に撮影した時です。


今回撮影した時にも営業は続いていました。(地元常連客が結構いるようです)↓
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しかし、営業時間を午後5時閉店にしたとの事でした。(やはり廃線の影響はあったようで・・・)


「喫茶店あすなろ」でコーヒーを飲んだ。


  うまい!!うますぎる!!!!!地元の常連客、乙!!


                  ・・・・でした。


もはや『旧 神岡鉄道』の駅にあったという表現から、喫茶店の裏に鉄道があったと表現が変わるのが時間の問題です。


しばらく休んで店を出ようとしたら、これを頂きました↓
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たしかコーヒー豆を削って残った部分かな?結構、コーヒーの香りがすごかった。
お店の人から、「芳香剤」のような感じで使って下さいと言われたような気がしました。(車の芳香剤として使っています)


そして、もう一つが「ポイントカード」です↓
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「あすなろ」に限らず、「神岡町」の登録店で買い物などでポイントをためていっぱいになると、割引などが使えるとの事。




・・・と言う事で『旧 神岡鉄道』のすべての駅を制覇しました。


雑草に埋もれている駅もあれば、別の用途で使っている駅もあり、さまざまでした。
ここにももれず、全国の第三セクター鉄道の大半が赤字経営です。(黒字なのは、智頭急行と北越急行くらいか・・・)ですから、いつ「廃止」になるかわからないのです。


これから北陸新幹線の金沢延伸で、直江津~富山間はJRから切り離されて行く事が決定しています。
そうなると、いずれ「神岡鉄道」のように廃止する路線が次々と出てくるかも知れません。




それではこれで終了・・・・する予定でした。実は当初、今来た道をそのまま戻る予定でしたが、「帰りは違う道でいきたいな」と思い松本経由で帰るようにしました。


本来なら今回でこのシリーズを終了する予定でしたが、寄り道した時の記事を2つ投稿します。
内容は次回「おまけ1」でお送りいたします。それでは・・・・





          Written by ブツクサ・ボヤッキー