相沢祐一の『北信越(北陸・信州・越後)』乗り撮り鉄道記

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第3セクター「えちぜん鉄道」と「福井鉄道」に乗り鉄しました。(2007年3月17日撮影)

2009-02-28 22:51:12 | 北陸地区の「乗り鉄・撮り鉄」記
この日は福井県まで行きました。「えちぜん鉄道」と「福井鉄道」に乗り鉄するためです。



とりあえず、福井駅に到着しました↓
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着々と『北陸新幹線』の工事が進んでいます。


駅の表側です↓
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駅前にありました。(なお「京福電鉄」は今の「えちぜん鉄道」になる前の会社です)


前に「福井鉄道」がありますが、後ほど・・・・↓
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①第3セクター「えちぜん鉄道」


えちぜん鉄道株式会社(えちぜんてつどう)は、福井県福井市から勝山市、坂井市を結ぶ路線を運営する福井市・勝山市などが出資する第三セクター方式の鉄道会社である。本社は福井県福井市。
以前、京福電気鉄道が福井県下で運営していた越前本線(現在の勝山永平寺線)・三国芦原線を引き継いで運営するために設立された。


経緯としては・・・
 1992年、京福電気鉄道が越前本線の東古市(現在の永平寺口) - 勝山間と永平寺線の廃止・バス転換を表明。これに対し1997年、福井県と沿線市町村が越前本線・永平寺線存続のために京福越前線活性化協議会を設立し行政支援や利用促進策を講じることになった。
 そんな中、2000年12月17日越前本線志比堺 - 東古市間、2001年6月24日越前本線保田 - 発坂間でと、半年間に2度も電車同士の列車衝突事故(京福電気鉄道越前本線列車衝突事故を参照)を起こし、全線の列車運行を停止。そのため収支悪化により福井鉄道部の事業継続が困難になったとして同年10月に廃止届を国土交通省に提出した。
 福井県は越前本線・三国芦原線を地域の足として第三セクター方式で存続させることを決め、2002年えちぜん鉄道を設立[1]。翌年2月1日京福電気鉄道から越前本線・三国芦原線の鉄道事業の譲渡を受け、越前本線は勝山永平寺線と改称した。なお、永平寺線は収支が見込めないことから同日付で廃止された。同線のルートには廃止以前から京福バスが運行されている。
 同年7月19日事故以来休止していた勝山永平寺線の福井 - 永平寺口間、三国芦原線の福井口 - 西長田間で特別列車運行。翌20日から正式に営業を再開した。同年中に三国芦原線・勝山永平寺線の残る区間も正式に営業を再開した。


・・・との事で誕生しました。(以上、ウィキから転載)



「えちぜん鉄道」福井駅です↓
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車両です。なお、左側にちょっぴり写っているのが「アテンダント」さんです。


ちなみに「アテンダント」とは・・・
 勝山永平寺線・三国芦原線の昼間の列車には2003年の各線の運行再開時より、乗車券の販売・回収や観光・接続案内の車内アナウンス、高齢者などの乗降時のサポートを行う女性接客乗務員(アテンダント)が乗務している。一般的な車掌とは異なり、扉扱いや出発合図などの列車を操作する業務は行わない(えちぜん鉄道ではこれらは運転士が行っている)ので、他の鉄道事業者でいう「乗客(旅客)専務車掌」に該当するものといえる。(以上、ウィキから転載)



とりあえず、「勝山行き」に乗りました↓
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車内の様子です。



そして、終点の勝山駅に到着しました↓
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とりあえず、ここで降ります。(左側にいる人は「アテンダント」さんです)


折り返し発車時間までまだまだありますので・・・↓
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駅を出て、撮影しまくりです。


奥にも線路があります。以前は、ここから「越前大野駅」まで線路が伸びていました↓
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ここで線路が終わっています。



さて、折り返し福井行きに乗りましたが、その2つ手前の「福井口駅」で途中下車しました↓
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路線図です。単純にこの駅で降りたのは、ここから三国港方面へ行く路線に乗り換えるためです。



そして、「三国港行き」がやってきました(動画)↓




それから、終点の三国港駅に到着しました↓
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とりあえず、駅を出ました。


線路はここで終わっています↓
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しばらく海を眺めていました。



そして、駅に戻ったら福井方面からの電車がやってきました(動画)↓



車両です↓
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車内です。



このまま、福井方面へ向かいました。しかし、途中の「田原町駅」で途中下車しました。
その田原駅からの発車シーンです(動画)↓

最初だけ「アテンダント」さんが映っていました。


なぜこの駅に途中下車したのか?それは次に乗る「福井鉄道」に乗り換えるためです。





②「福井鉄道」(地方私鉄かな?)


商号は福井鉄道株式会社としているが総売上の75.1%を自動車運送事業が占め、鉄道事業の割合は16.7%に過ぎない。鉄道事業は1963年以降赤字が続き、バス事業や不動産事業などの利益で補填してきたが、支えきれなくなってきている。2006年度決算で累積損失約22億円、借入金約30億7000万円。


2007年8月にはこのままでは鉄道部門の存続が難しいとして、沿線各自治体に支援を要請した。福井県や親会社の名古屋鉄道(名鉄)、福井銀行など取引金融機関の支援協議が難航するなどの紆余曲折を経て、2008年12月29日、名鉄が増資(1株を10億円で引き受け)した上で、増資された1株を含む保有全株を地元自治体の出資する第3セクターや地元支援団体へ1株1円で全面譲渡し、経営から撤退しこれを受け沿線3市は「法定協議会」を設置し、県および支援団体の支援により存続することが決まった。


以上、ウィキからの転載でした。



ともかく、先ほど「えちぜん鉄道」田原町駅ホームのすぐ隣が「福井鉄道」のホームです↓
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大半が路面電車スタイルです。



終点の「武生新」駅に到着しました↓
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こんな車両もありました。



こうして駅を出たら、そのままJR武生駅へ向かいました↓
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この日は強風による遅延などが発生しました。


そして、遅れていた富山行き「特急しらさぎ」が到着しました(動画)↓




金沢駅に到着、風の影響での遅れが続いています↓
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この普通電車で直江津へ戻ります。




こうして直江津駅へ戻り、今回の旅は終わりました。
「えちぜん鉄道」と「福井鉄道」の2つの会社の路線に乗りました。個性的な鉄道でしたが、特に「えちぜん鉄道」は攻めの経営をしている感じであり、双方とも頑張ってほしいと思いました。


とりあえず、今回はこれで・・・・それでは・・・・







          Written by ブツクサ・ボヤッキー



第3セクター「のと鉄道」と「万葉線」(2007年3月10日撮影)

2009-02-27 21:41:37 | 北陸地区の「乗り鉄・撮り鉄」記

前回はJR線のみでしたが、今回は第3セクター線に乗る事にしました。



とりあえず、「津幡駅」で降りました↓
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そう、この時は『青春18きっぷ』が8,000円で売っていた時でした。


時刻表です↓
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あれ?「七尾線」って・・・・


実は「七尾線」の終点の七尾駅から『第3セクターのと鉄道』が乗り入れしています。
つまり七尾線に乗らないと目的地へ行けません。
(本来、「七尾線」は七尾駅の次の「和倉温泉駅」までですが、普通電車が七尾駅までなのです)



では改めて・・・「津幡駅」です↓
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津幡町の案内図です(今回はこの撮影のみ)



そして、金沢方面から七尾行きがやって来ました(動画)↓

七尾行きは、すべて金沢駅始発です。



そのまま、終点の「七尾駅」に到着しました↓
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普通電車はここが終点です。(特急は次の「和倉温泉駅」が終点です)





①第3セクター「のと鉄道」


「のと鉄道」は旧「能登線」や「七尾線」の和倉温泉~輪島間を引き継ぎました。
しかし赤字が続き、旧「能登線」の廃止や穴水~輪島間の廃止で、残っている区間は「和倉温泉~穴水」のみの運行になっています。(実際は七尾駅へ乗り入れしています)


とりあえず、時刻表です↓
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「のと鉄道」も同じ時刻表方式で統一されています。


その「のと鉄道」の車両です。気動車です↓
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「のと鉄道」専用ホームのようです。


車内の様子です↓
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比較的新しい車両のようです。(単なるリニューアル車かも・・・)



そして、終点の穴水駅に到着しました↓
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到着時の車両です。


ここで終わりですが、以前はここから輪島まで線路が続いていました↓
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色違いの車両があります。



こうして、再び穴水から七尾まで戻り、さらに津幡まで戻ります。
その途中の高松駅で行き違い列車待ちの関係で長い停車をしました↓
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乗っている電車です。車体カラーが独自です。


そして、行き違い電車が津幡方面から来ました(動画)↓

しかし、そのままこの電車も行き違い電車待ちで停車しました。


七尾方面から特急が金沢方面へ行くためです↓
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七尾方面を撮影。


その後、特急サンダーバードが通過しました(動画)↓




それから、再び津幡駅に戻り、北陸本線普通電車に乗って、高岡駅へ向かいました。
高岡駅でへ降りました。そこから「万葉線」に乗ります。





②第3セクター「万葉線」
元々は「加越能鉄道」という会社が運営していた。しかし・・・・・
万葉線を運営していた加越能鉄道が、利用客の著しい減少と経営環境の悪化を理由に、廃止とバス代替の意向を示し、2001年(平成13年)に、高岡市と旧新湊市が中心となって第三セクター会社の「万葉線株式会社」が設立された。2002年(平成14年)2月に、加越能鉄道から事業譲渡され、同年4月1日から新会社にて正式に運行が開始された。路面電車を運営するための第三セクター会社は日本初であった。(以上、ウィキから転載)



高岡駅に到着後、駅の前に「万葉線」車両がいました↓
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路面電車タイプですね。


車内にはこれがありました↓
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魅力的ですね・・・・



そして、終点の越ノ潟駅へ到着しました↓
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ここでお別れです。以前は、この先にも線路があったのですが・・・


港の対面まで運ぶ連絡船が来ました↓
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その船の上から撮影しました。(船に乗っています)



そして、対岸の「堀岡発着場」に到着しました↓
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外へ出ました。ここからは・・・どうするの?


富山新港の全体図です↓
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新しい道路の完成予想図です。これが完成すると、連絡線が廃止になります。



ここからは、バスに乗って行きますが・・・↓
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ライトレール接続バスに乗れませんでした・・・orz




こうして、他のバスで富山駅へ向かい、富山駅から特急で帰りました。
2つの会社も厳しい経営が続いていますが、ぜひ頑張ってほしいと思いました。


それでは・・・・






          Written by ブツクサ・ボヤッキー



「氷見線」と「城端線」(2007年3月3日撮影)

2009-02-25 22:02:39 | 北陸地区の「乗り鉄・撮り鉄」記
過去ネタのストックありすぎ・・・orz
まあ、それはさておき・・・



2007年にはJR各社が発足20周年を迎えたのを記念し、春季のみ「JR発足20周年・青春18きっぷ」が発売開始時の価格と同じ8,000円(乗車できる列車・回数などは通常のものと同じ)で発売されました。


当然、常備券を買いに筒石駅へしかし・・・・「当日、午前中に完売!!」・・・orz
なんと、この時は「常備券」タイプの『青春18きっぷ』が即日完売されていました。(しかも、他の駅からの融通分は全くなし・・・orz)


仕方がないので久しぶりに「マルス券」タイプの『青春18きっぷ』を購入しました。


それから3月3日を迎えましたが、旅に出る気分ではなかった。
しかし!!某ネットを見てみたら、下記の内容が書き込まれていた。
「今日の朝、福井県の『春江駅』で「常備券」タイプの18きっぷを購入しました。後20枚くらいあるそうです」と・・・・



気がついて見たら、いつの間にか「マルス券」タイプの18きっぷで『春江駅』へ向かっていました。



そして到着後


 自分:すみません、ここで「赤い18きっぷ」が売っていると言う情報を聞いたのですが、まだありますか?


 駅員:まだあるよ!!何枚買うの?


 自分:『ヤッターーーーーーー!!!!!』


・・・・のやり取りで購入できました。(良かった。あきらめないで)
今もその券は大切にしまってあります。(公開はしないよ!!)


その「春江駅」です↓
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この撮影後、金沢行きに乗って戻りました。



そして「金沢駅」に到着。「特急雷鳥34号」を撮影しました↓
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しばらくして「特急雷鳥34号」大阪行きが発車しました(動画)↓




そして、金沢から東へすすみ「高岡駅」で降りました。
この高岡駅から「氷見線」と「城端線」が分岐しています。(全線非電化)
まずは、「氷見線」から乗る事にしました。




①「氷見線」
 
終点の氷見駅に到着しました↓
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のどかな風景のような気がします。


ちなみに氷見市は、あの『藤子不二雄A』さんのふるさとです。
さらに2006年から2008年まで、小学館『週刊ヤングサンデー』で連載された原秀則さんの漫画『ほしのふるまち』の舞台でもありました。(なお、原秀則さんの出身地は兵庫県明石市です)


駅舎に戻ると、これがありました↓
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観光案内です。


「氷見線」の終端です。計画では『七尾線』の「羽咋駅」までの路線でした↓
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ここで終わっています。現実的には、延伸は不可能ですね。


高岡行きに乗って帰ります。「高岡色」と呼ばれる『キハ47系』です↓
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・・で高岡駅へ戻って来ました。(氷見線専用7番ホームです)



②「城端線」
次はこの路線に乗りました。「氷見線」と同じキハ47系高岡色車両です。
約1時間後に、城端線専用1番線ホームから乗りました。


そして、終点の城端駅に到着しました↓
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駅の外へ出ました。


路線の終端です↓
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ここで終わりです。


駅舎に戻りました。時刻表です↓
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城端線には『フラワーライン』の愛称がついています。


今じゃこのタイプの駅名版は、珍しくなりました↓
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氷見線と同じく「城端線」にも観光案内がありました。


折り返し高岡行きに乗って戻ります↓
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・・・戻って来ました。




こうして、2つの路線に乗ったあとは、「特急はくたか」で直江津駅へ戻りました。
もう少し早ければ、普通電車で戻れましたが・・・まあ、いいか。


そういえば「忍者ハットリくん」ラッピング列車に乗る事ができなかった・・・orz
今度、乗ってみたいですね・・っと言った所で、終了です。 それでは・・・






          Written by ブツクサ・ボヤッキー



2007年1月12日・13日と羽越本線、秋田などの旅・後編

2009-02-22 21:50:28 | 大遠征鉄道乗車記2007
前回は、秋田までの経過をお送りいたしました。



13日の朝を向かえ、そのまま普通電車で行くのもつまらないので、秋田新幹線「こまち」に乗る事にしました。


その秋田新幹線「こまち」です↓
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車内です。


発車前に、駅構内を見ました↓
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左手前が「新幹線規格」の線路、真ん中・右側が「在来線規格」の線路です。


秋田新幹線と山形新幹線は「ミニ新幹線」方式です。在来線に沿って建設されました。
ほとんどが在来線の線路幅を「新幹線」用に広げたため、その路線に通常の在来線車両が乗り入れることができません。その路線を走る普通電車は、専用車両が必要になります。(外観は701系です。車軸の幅が違うだけ・・・)



そして、新幹線に乗り「大曲駅」で降りました。新幹線の発車シーンです(動画)↓




しばらくして、新庄方面行きの普通電車に乗りました↓
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秋田支社所属の701系です。(ピンクは秋田支社のカラー?)



それから、新庄まで普通電車で来て、そこから『山形新幹線』に乗って「山形駅」へ向かいました。


山形駅で新幹線から降りました↓
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そして、山形新幹線「つばさ」が米沢方面へ発車しました(動画)↓




それから、米沢行き719系に乗ります↓
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車両は仙台支社所属になります。


ちなみに「左沢線」のキハ101系でしょうか? ↓
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撮影のみです。



このまま、米沢まで向かいます。719系車内です↓
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いいですね・・・・



そして、米沢駅へ到着しました。電光掲示板を見ます↓
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「米坂線」16:09発の坂町行きに乗ります。


その「米坂線」専用ホームです。(在来線規格の路線はこれだけ)↓
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すべて新津運輸区のキハばかりです。(しかも国鉄色が大半・・・)



そして、米坂線専用ホームに「国鉄色キハ28系」がやって来ました(動画)↓



「国鉄色キハ28系」です↓
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もしかして、「会津只見リレー号」で使われた車両でしょうか?


車内です↓
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時刻表です↓
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間もなく出発です。



こうして米坂線に乗り、終点の「坂町駅」に到着しました↓
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ここでこの車両とはお別れです。




そして、そのまま新潟行きの115系に乗って、新潟駅へ向かいました。新潟~長岡までは「上越新幹線」に乗り、長岡駅から「快速くびき野」に乗って高田へ帰りました。


秋田へ行ったわりには、撮影枚数が少なすぎました。それでも結構充実した旅だったと思います。


この記事はこれでおしまい!! それでは・・・・・






           Written by ブツクサ・ボヤッキー



2007年1月12日・13日と羽越本線、秋田などの旅・前編

2009-02-22 08:28:41 | 大遠征鉄道乗車記2007
また過去ネタばかり続きますが、しばらくお付き合い下さい。


これも『青春18きっぷ』での旅でした。(まあ、結構前だったので忘れてしまいましたが・・・)



とりあえず、高田駅から「快速くびき野1号」で新潟へ向かいます↓
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新潟駅に到着後は、全車指定席の「快速きらきらうえつ」で酒田まで行きます↓
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車内はこのようになっています。実際、485系を改造した車両なので見た目ですね・・・orz



出発前に新津工場から来た「E233系」が隣のホームに来ていました↓
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このまま、東京へ向かうのですね(撮影当時)




このまま「快速きらきらうえつ」に乗り、終点の酒田駅へ到着しました↓
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周辺を見ますと、485系が停まっていました。酒田行き「特急いなほ」ですね↓
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そして、新津からのキハ40系が停まっていました↓
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実は、村上から北は電源方式が変わります。そして、新潟支社・秋田支社も『交直対応普通電車』を所有していません。701系は交流専用・115系は直流専用なので、そこを渡るには気動車しかないのです。
(しかも、『交直対応普通電車』は1両で2両分のコストがかかります・・・orz)



しばらくして、秋田方面へ向かいます↓
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交流専用701系です。(700とありますが、701系です)これに乗って行きます。


車内です↓
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このような感じです。



秋田へ向かう途中、「羽後本荘駅」で下車しました↓
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実は、ここから「第三セクター由利高原鉄道」が走っています。それに乗るためです。
その車両です↓
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このまま終点の「矢島駅」まで行きます。



そして、終点の「矢島駅」へ着きました(駅の外から撮影)↓
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ぶれていますが、路線図です↓
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この時刻表通り、約1時間に1本の感じで運行しています。



ホームへ出ました。駅名版です↓
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こんな駅名版もあります。(「鳥海山ろく線」が正式路線名です)


線路はここで終わっています↓
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折り返し、「羽後本荘」行きに乗ります。



こうして、「羽後本荘駅」まで戻り、そのまま秋田へ向かいました。
秋田で1泊しました。次の日、「秋田新幹線」に乗り『奥羽本線』経由で新潟県に戻ります。



この続きについては、「後編」をお楽しみに。それでは・・・






           Written by ブツクサ・ボヤッキー