相沢祐一の『北信越(北陸・信州・越後)』乗り撮り鉄道記

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2017年1月7~9日の「普代水門と防潮堤」を見る旅・第3日目その4「『太田名部防潮堤』を見て、普代村を後にしました」

2018-03-24 08:06:31 | 非鉄旅2017

前回は、『譜代水門』の様子でした。そこから移動します。




「太田名部防潮堤」の近くにきました↓
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近くに停めます↓
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奥に見えるのがそうですね。



「太田名部防潮堤」です↓
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正面は海です。


防潮堤を近くで見ます↓
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正面右の青い看板に津波約12m(実際は13mを少し超えたとの話もある)とありました。防潮堤の高さは15mなので、完全に防いだ形になりました。


狭いエリアだったので巨大な防潮堤が可能だったのでしょう↓
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裏側です。



漁港では、工事が続いています↓
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震災後は壊滅的被害でしたが、現在は復旧しています。


この姿から想像できないくらい津波がすごかったようです↓
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漁業関係者の事務所のようです。


※2017年だったかなTV番組「ぐるナイ」のゴチになりますコーナーでこの漁港が紹介されたな。震災の件は触れていなくて、魚介類の説明がメインでした。



そして普代村を離れました。そして宮古市田老地区へ向かいます。そこは震災前にも有名だったのですが・・・・



次回、第3日目その5「宮古市田老地区には、震災前には防潮堤がありました」に続きます。それでは・・・







         Written by 宇在井 肝一郎




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