毎日が山のこと

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新春ハイキングは子の権現へ(2024年1月5日)

2024-01-06 11:27:33 | 山日記

2024年は、元旦からの能登半島大地震であけ、航空機の事故もおこった。

大津波警報が出され、テレビの画面にくぎ付けにされたが、翌朝、明るくなってからの報道で建物や道路の惨状に驚かされた。

さて、そんな新年だが、計画していた子の権現へのハイキングを5日に実施。

 

西吾野駅を出発し、秩父へ抜ける国道をはなれるといきなり急な登り。

日陰の寒々しい谷間へと入っていく。

 

その谷の奥にある民家の庭に梅の古木が。どう見てもこれは龍の頭。

特に看板などつけてはいないけど、この家の主は龍を意識して仕立てていると思われる。

立派に龍に見えるので、ちっとは宣伝してもいいのでは?

 

その少し先、谷の奥まったところに静之神社があり、ここから山道にはいる。

 

杉林の少し薄暗い感じの中を登っていくが、道は良く踏まれていていい。

 

そんな中ではあるが、杉林のあちこちに墓地がある。

かつてはこのあたりにも民家があったのかもしれない。

 

少し日差しがもれてきた。

 

少し急な登りがあって、尾根に登りつくとそこからはしばらくゆるやかな道が続いた。

 

その後もう一度急な登りがあって子の権現に続く車道に出た。

 

ここが子の権現への近道だけど、われわれは素直に車道をたどった。

 

少し歩くと南東側の展望が開けた。

その先が大きな駐車場になっていた。

 

駐車場からもう少しあがるといよいよ子の権現天龍寺の入り口だ。

 

入口にあった売店に山くらげが置いてあった。

山に行くといつも山くらげを探しているMさんは喜んで買い求めていた。

 

売店のところで赤い鳥居をくぐり、先へすすむと山門がある。

 

山門の内側には2体の大きな仁王様。

ちょっと頭でっかちで短足気味。かわいらしい。

 

ようやく子の権現の本堂。

この寺は子年子の月子の刻にうまれたという子ノ聖が開いたそうで、このお堂には子ノ聖が彫った十一面観音がまつってあるそうだ。

 

本尊はガラスが光ってよく見えなかった。

 

これこれ、有名な鉄のわらじ。2トンあるそうで、金色?に塗装されている。

 

わらじのとなりにはこれまた大きな下駄。これは個人の寄贈だそうだ。

 

本堂の裏手にあがる。

 

金つき堂があって、自由につかせてくれる。

 

その先が山頂の展望台。

関東平野が一望できてスカイツリーも見えると書いてあったが、天気が穏やかすぎてかすんでしまったのか、はたまた私の目が衰えてしまったのか、確認できなかった。

 

山頂は腰を下ろす場所が少なくて日陰でもあったので、鳥居の近くの日当たりのいいベンチでお昼に。

 

こちらは鳥居の手前にある2本の杉の巨樹。

残念なことに2本とも頭を失っている。

これがそのままだったらすごい巨樹だ。

 

その2本の杉のあいだに割りばしがたくさん立てられいた。もちろん使い古しではない。

 

こちらが大きい方の杉。3人がかりでないと手が届かないほどの太さだ。

 

さて帰りは吾野駅へとむかう関東ふれあいの道でくだった。

最初、急斜面をジグザグに下りていくが、道は幅もしっかりあり、よく踏まれていて歩きやすかった。

 

30分あまりで舗装の道に出た。

 

民家の屋根の煙突から煙がたなびく山里らしい風景。

 

でも一方で、壁を取り壊された空き家も数軒見かけた。

自治体によって放置空き家に取り壊しの手が加えられているのだろうか。

 

 

少し長い舗装道路歩きのあと、国道ではなくて西武線にそった近道を吾野駅へとむかう。

 

そして吾野駅に近づくと、お寺の境内に東日本大震災で被災した名取市閖上のお寺から預かっているという梵鐘があった。

13年前の大震災と数日前に起こった能登半島地震に思いをはせた瞬間だった。

 

コメント
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