毎日が山のこと

最近の山歩きの記録はもちろん、作ってみた山行プラン、過去の山歩きの記録も順次掲載中です。

地理院の地図に誤り発見

2024-05-03 15:48:06 | 山日記

先日投稿した百蔵山に登ったころの話し。

そのころ山に出かけるときは国土地理院の5万分の1の地形図を使用していた。

今はほとんど2万5千分の1を利用しているが、そのころは発行されているエリアも限定されていた。

百蔵山は5万分の1地形図の「都留」図幅にはいる。右上の隅の方だ。

私の図幅は、明治21年測量、昭和48年編集のものなのだが、この地図では百蔵山の百の字のふりがなが「とつ」となっていた。

拡大した写真をご覧いただきたい。

権威ある国土地理院の地図なので、私は歴史的理由があって「とつくらやま」と呼ばれているのかと思った。

でも、ほかではそういう呼び方を目にしないし、耳にもしない。

そのうち2万5千分の1が主流になったので「大月」図幅を買ってみたら、なんのことはない百の字には「もも」とフリガナがふってある。間違いだったのだ。

なんで間違えたのか推理してみた。

当時のことなので原稿は手書きだったろう。そしてひらがなの「も」は手書きすると「と」に見えることがある。

それから「もも」と書くのを繰り返しを示す「ゝ」を使って「もゝ」と書く場合がある。

すると手書きの「もゝ」を「とつ」と読み違える可能性がある。

おそらくそんなことがあって、校正段階で見落とされ「百(とつ)蔵山」となったのだろう。

この地図は今でも持っている。このころ歩いたルートが赤鉛筆で線引きされているので私にとって貴重な記録なのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富士山展望の一等地、百蔵山へ(1995年12月23日)

2024-05-03 14:06:02 | 中央線・富士急線周辺の山

前回投稿した秋の大菩薩と同じ年の年末に同じメンバーで猿橋駅の北にある百蔵山にでかけた。

この時の記録をもとに書いてみる。

 

百蔵山には、私は前に一度登っている。その時は猿橋から登って扇山へと歩き四方津駅へとくだった。

そのとき、百蔵山からの富士山の眺めが素晴らしかったことや山頂に桜が植えてあったことを思い出した。

 

埼玉から武蔵野線経由で高尾発8時24分の電車に乗った。

12月なので山歩きの以外の行楽客の姿はほとんどない。相模湖駅でかなり大勢が降り、その後も藤野、上野原や四方津でぱらぱらと降りていく。

猿橋では十数人が降りた。その大部分が百蔵山に登るのだろう。

風もなくおだやかに晴れ上がった青空にこれから登る百蔵山がすっきりと仰ぎ見られる。

途中の日当たりのいい石段で小休止し、おにぎりを食べて腹ごしらえ。

そこから山に近づくと新しい住宅が増えて、以前来た時とはずいぶん様子が違う。

市営グラウンドの上は畑しかなかったと思うが、今はたくさんの住宅が建っていて、工事中の家もいくつかあった。

分譲中の看板を見るとほとんどが3千万円以上なので「高いね」「これで売れるのかね」などと言い合った。

 

山道にかかってジグザグのかなりきつい登りになった。

若い男性が勢いよく追い越していき、その後野球少年のグループといっしょになった。

小学2・3年生くらいだ。中の数人が疲れたらしく遅れがちだったが、それでも先になって見えなくなっていった。

 

谷を詰め終わり、左手の尾根にまわりこむと展望が開けて富士山が雄大な姿を見せた。

すぐ右には三つ峠山、そして左には御正体山ものぞめた。

風が南から吹いてきてあたたかい。日当たりが良くなったので一枚脱いだのに汗が噴き出てきた。

さらにひと登りすると頂上に続く尾根に出た。そこから急な登りもなく11時30分山頂に到着した。

 

頂上はかなり広く、南側が開けていて富士山や道志の山々がみわたせる。

かなりの人数が思い思いに陣取って食事をしていた。先ほどの野球少年のグループもいた。

私たちは富士の展望のよい一角に陣取った。南風が気持ちよくて少しも寒くない。

 

今回もそれぞれが持ち寄ったサンドイッチや菓子パン、おにぎりなどを食べ、白ワインを1本あけた。

最後はカップラーメンまで出ておなかがいっぱいになった。

食事中も新しいグループが次々にあがってきた。

 

百蔵山は富士山の展望台としては一等地だ。

ちょうど開けた桂川の谷の奥に見えるといういいロケーションだからだ。

 

一時間あまりゆっくりした後、今度は違うルートで下山した。

扇山寄りに少し歩いたところから林業センターのキャンプ場へとくだる道だ。

 

地図で見た時に最初の部分がずいぶん急みたいだと思っていたが、予想通り木につかまりながらでないと下れないようなところだった。

 

かなり長い間雨が降っていないので、足元は乾ききって枯れ葉とともに土埃がまいあがった。

 

ときどき足を滑らせながらも一気に下って次第にゆるやかな山道になった。

そこからは、のんびり松ぼっくりやドライフラワーなどを集めながらくだった。

 

林業センターのキャンプ場で最後の休憩。それにしても暖かい日だった。

 

 

登った百蔵山をバックに記念撮影。

ここから名勝猿橋を見に少し遠回りしたが、住宅が増えて道がわからなくなり、途中でなんどか道を聞いてようやくたどり着いた。

 

前回百蔵山から扇山へと歩いた時もここに寄ったのだが、その時は改修工事で足場におおわれていた。

今回は無事全容を見ることができた。

年末山行を無事に終え、帰ってからはみんなで忘年会だった。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セッカニワゼキショウ(雪花庭石菖)

2024-05-03 13:04:40 | 雑草

私の好きなヒトリシズカやイカリソウ、ニリンソウの花が姿を消し、葉を旺盛に茂らせてきた。

季節は移って5月。ニリンソウと同じ場所に違う草が花をつけた。

アメリカフウロだ。ニリンソウやイカリソウより少し背を高く伸ばし、その先に白い5弁の小さな花をつけている。

 

こちらはアマドコロ(甘野老)。でももう写真を撮るには手遅れだったみたい。花がしおれている。

日当たりのいい場所のものはすっかり花を落としてしまっていた。

そっくりなものにナルコユリがあるので念のた茎にさわって確かめた。角がある。アマドコロだ。

 

芝生の中に白い小さな花が目についた。白いニワゼキショウ。森昭彦さんの本で調べるとセッカニワゼキショウというらしい。漢字ににすると「雪花庭石菖」。花の中心(ノドというらしい)がレモン色をしている。

ほとんど手入れをしていない小さな菜園に黄色の小さな星がちりばめられている。

カタバミだ。株になって固まっているものを選んでパチリ。

道端ではムラサキカタバミのほうをよく目にするように思うが、菜園ではこちらが優勢だ。

今日は、昨日の続いていい天気。妻の具合がよければ有明の憲法集会に行きたいところだったが、遠くからエールを送るだけにしよう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする