平成31年4月9日(火)、吉野山・奈良・近江名桜紀行3日目。
朝の琵琶湖とプリンスホテル。
朝一で向かったのは三井寺です。
三井寺は、正式には「長等山園城寺(おんじょうじ)」といい、天台寺門宗の総本山です。平安時代、第五代天台座主・智証大師円珍和尚の卓越した個性によって天台別院として中興され、以来一千百余年にわたってその教法を今日に伝えてきました。 古い歴史と文化、多くの文化財や伝説の残るそうです。
重要文化財、弁慶の引き摺り鐘です。
次は石山寺です。
「石山寺」は琵琶湖から流れ出る瀬田川のほとりに位置し、西国三十三所第十三番札所でもある天下の名勝。奈良時代後期に聖武天皇の命により開山、安産・厄除け・福徳・縁結びにご利益があると、今もたくさんの人が参拝に訪れます。
石山の由来にもなっている天然記念物「硅灰石(けいかいせき)」。石灰岩が地中から突出した花崗岩(かこうがん)と接触し、その熱作用のために変質したもので、これほどに雄大な「硅灰石」は大変珍らしく貴重だそうです。
紫式部の銅像。
石山寺の次は、琵琶湖の畔にある鮎家の郷で昼食を済ませ、彦根城に向かいました。
姫路城などとともに天下の名城の一つに数えられる彦根城は、井伊直継(なおつぐ)・直孝(なおたか)によって約20年の歳月をかけて建設され、元和8年(1622)に完成しました。佐和(さわ)山城・安土城・長浜城・大津城の石垣や用材が使われました。月明かりに浮かぶ彦根城は美しく、琵琶湖八景の1つに数えられています。明治時代の廃城令や戦火を免れた彦根城の勇壮な姿を、城内散策で眺められます。また、彦根城の別名金亀城(こんきじょう)の名は、彦根城築城以前、彦根山上にあった寺院に金の亀に乗った観音像が安置されていたため、と言われています。国指定の特別史跡です。
天守閣を拝観するのに並びました。
靴を脱いで入場するまで30分くらい並んで、さらに中に入ってからも30分以上かかりました。
会談が斜度60度くらいあり狭くてそこで渋滞が起きてしまいます。
西の丸三重櫓に向かいました。
三重櫓からの眺め。
その後、玄宮園を見学です。
彦根城を後にバスで名古屋に向かいました。
名古屋から新幹線で帰路につきました。
いやー、今回の旅行は体力勝負の旅行でした。
結構アップダウンがあり、これからはますます日頃の運動が肝心だと改めて思いました。
お疲れ様でした。
朝の琵琶湖とプリンスホテル。
朝一で向かったのは三井寺です。
三井寺は、正式には「長等山園城寺(おんじょうじ)」といい、天台寺門宗の総本山です。平安時代、第五代天台座主・智証大師円珍和尚の卓越した個性によって天台別院として中興され、以来一千百余年にわたってその教法を今日に伝えてきました。 古い歴史と文化、多くの文化財や伝説の残るそうです。
重要文化財、弁慶の引き摺り鐘です。
次は石山寺です。
「石山寺」は琵琶湖から流れ出る瀬田川のほとりに位置し、西国三十三所第十三番札所でもある天下の名勝。奈良時代後期に聖武天皇の命により開山、安産・厄除け・福徳・縁結びにご利益があると、今もたくさんの人が参拝に訪れます。
石山の由来にもなっている天然記念物「硅灰石(けいかいせき)」。石灰岩が地中から突出した花崗岩(かこうがん)と接触し、その熱作用のために変質したもので、これほどに雄大な「硅灰石」は大変珍らしく貴重だそうです。
紫式部の銅像。
石山寺の次は、琵琶湖の畔にある鮎家の郷で昼食を済ませ、彦根城に向かいました。
姫路城などとともに天下の名城の一つに数えられる彦根城は、井伊直継(なおつぐ)・直孝(なおたか)によって約20年の歳月をかけて建設され、元和8年(1622)に完成しました。佐和(さわ)山城・安土城・長浜城・大津城の石垣や用材が使われました。月明かりに浮かぶ彦根城は美しく、琵琶湖八景の1つに数えられています。明治時代の廃城令や戦火を免れた彦根城の勇壮な姿を、城内散策で眺められます。また、彦根城の別名金亀城(こんきじょう)の名は、彦根城築城以前、彦根山上にあった寺院に金の亀に乗った観音像が安置されていたため、と言われています。国指定の特別史跡です。
天守閣を拝観するのに並びました。
靴を脱いで入場するまで30分くらい並んで、さらに中に入ってからも30分以上かかりました。
会談が斜度60度くらいあり狭くてそこで渋滞が起きてしまいます。
西の丸三重櫓に向かいました。
三重櫓からの眺め。
その後、玄宮園を見学です。
彦根城を後にバスで名古屋に向かいました。
名古屋から新幹線で帰路につきました。
いやー、今回の旅行は体力勝負の旅行でした。
結構アップダウンがあり、これからはますます日頃の運動が肝心だと改めて思いました。
お疲れ様でした。