生まれ育った井上章一氏は今は宇治在住らしい。ベストセラーの京都ぎらいの著者だ。これに出てくる杉本氏とは洛中生息を書いた杉本家の当主で フランス文学者杉本秀太郎氏の事である。実家の杉本家は京都市の指定文化財でもあり まあ中京の旦那である。残念ながら 洛中生息・続洛中生息は既に絶版でamazonでも5000円近くするので手が出ない。よって未読である。中京の商家の旦那からみると 民族学者の梅棹忠夫氏も西陣の出やないか・・と言われそうだがw 井上氏は杉本氏も梅棹氏も中華思想べったりと切り捨てるのだが 梅棹氏の京都案内を読んだがよそさんのあたしにはそのあたりがわからない。京都の心って意味では 西陣の髪結いの息子の入江敦彦氏や 哲学者の鷲田清一氏の京都の平熱 入江氏はイケズの構造とかKYOのお言葉とか まあ何でも面白いので読んでみるといいだろう。対して 北区の歯医者さんの柏井壽氏や某永江氏あたりは 金にものを言わせてぶいぶいしてるのでどうかなぁ・・と思うのである。で また古本屋の新書のコーナーに落ちてた京都大不満 嵯峨徳子著 実業之日本社刊 2007年初版が面白い。旦那が祇園育ちの外国人で町家暮らししてた普通の京都人で顧問業 今は西陣のマンション暮らしらしいが。この本 面白い。まあ中華思想とは離れた視点から京都を見ているので観光客が見ている京都と全く違う普段着の京都が見える。入江氏が京都の信条みたいなものを書いてるのに比べ 普段の目線でかかれてるのだが 京都愛がそこかしこに溢れていて 京都好きのあたしからすれば面白い。既にamazonで1円からあるのでお薦めしたい本である。
生まれ育ったのは三重県津市の県庁から近い津市栄町 塔世川の側にあった伯母の家である。一角は伯母の・・というか母の一族がかたまって住んでたので親戚付き合いは濃い。津というのは県庁所在地なのに何もない田舎だ。あたしは小学校低学年までそこで育ち 後は親の転勤で奈良 福岡 浜松と引っ張り回されたわけだが 中学からまた伯母の家で居候だったわけ。京都に出るまでは 人生の大半を津で過ごしてるから故郷っていうと津だと思う。高校時代のクラスメートはみんな京都に出て 他の土地 まあ東京もだが いく人はほとんどいない。それもあって あたしも京都に出たわけだが。津 県庁は山の上にあって JRと近鉄だが駅前には申し訳程度に店がある典型的な田舎だ。伯母の家の周りにも生鮮食品を扱うのは三徳って八百屋だけで その他の買い物は大門て中心街 それも生鮮食品を手広くやってた店は無いが・・学校の近くの津新町にもスーパーみたいなものは無かった。当時 食品はどうやって買ってたのだろう?と今でも疑問だが。伯母は保健所の婦長だったので それなりのポジションにはいたし独身だったから妹の子供であるあたしや弟を自分の子供のようにかわいがってっくれた。もう長いこと行ってないが 最後に行った時は都市計画で立ち退きになった伯母の家は取り壊されて暫定の駐車場になってて悔しい思いをしたものである。で 思うんだが 若くて元気なうちはどこでも暮らせる。多少買い物が不便でも・・である。京都に出て西陣に住んだが小さなスーパーが2軒と公設市場があったので 生活には困らなかった。先日部屋探しに行ってみたら 買い物は全滅に近かったので諦めた・・というのは先に書いた通りだ。大動脈解離なんてほとんど死ぬ大病して体力はガタ落ちである。突然 わかのわからん痛みでのたうち回る事も多い。明日目が覚めなくて あの世行きだったとしてもなんら不思議は無い。なので住むのは一にも二にもロケーションである。京都中京の京都中華思想・・なんてことを書いたが あの辺買い物はどうしてんだろうなぁ・・と思う。学生時代中京はあちこち動き回ってたがスーパーらしきものは無かったし今でも無い。全部錦で調達してるとは思えんし デパ地下で間に合うとも思えん。まあ先にも書いたが あたしは田舎もんだしよそさんなので 醒めた目で京都を見れるのだが 観光京都で人はどうやって生きてるのか未だに不思議である。まあ明日死んでもおかしくない体なので どうせ死ぬなら京都で・・と部屋さがしてるわけだが 潤沢な資金があるわけでもなしどうなることやら。昨日 出町の桝形商店街を抜けて少し上がったところにある本満寺というお寺さんに散歩に行ってきた。春に円山公園の桜と兄弟だという枝下桜がきれいだったところだ。まあ京都なので住宅地の真ん中に広い敷地の寺があっても不思議ではないのだが本道の裏に墓地がある。苔むした古い多分墓石かお地蔵さんの雛壇があって その裏に多分楠と思われる巨木があって竹林あある。墓地自体は周りを住宅に囲まれてるのだが なぜか違和感が無い。ああ死んだらこういうところで眠りたいものだな・・と思って友人に話をしたら 子供いないじゃない 無縁になるよ?と言われて やっぱり樹木葬しかないな・・最後は京都の土になりたいと思ったのである。