昨日は出勤でした。
追悼の日でしたが、いろいろあってその時間も会議中でした。
あの日は職場から2時間かけて歩いて子供を学校まで迎えに行きました。風の強い、寒い日でした。
職場のテレビで目の前の津波の様子を息を呑みながら皆で観ていました。
信じられない思いでした。
歩いて帰るしかない、と決意したのは夜の7時ごろ。
外には歩いて帰る人たちが沢山いました。私も歩かなくちゃ、と思いました。方向を確かめつつ、あの頃はまだガラケーでしたし、電源も大事なので、時々メールで必要な人たちとは連絡を取り、なんとか学校へ向かいました。
それまでにも大きな地震がきたら、と言う想定で歩くルートは考えていました。でも流石に予行演習で歩くところまではしていませんでした。
頭の中の地図を頼りに、なんとか知った場所まで辿り着いた時はほっとしました。大勢の人が黙々と歩いていました。
私は2時間くらいでしたが、6時間、10時間歩いた、という方もいました。
日本列島は4つのプレートの境界にあります。
地震は避けられません。
常に備えるしかありません。
犠牲になられた方達の、貴重な示唆を無駄にしないよう、今の私たちは備え続け次世代へ伝えていかなくてはなりません。
黙祷