遍在する自然霊を感じていた古代の祖先の方々。
祖霊信仰の痕跡は日本のあちこちに残されているようです。そして素晴らしいのはその神域が(縄文からですよ!)いまだに神域として大事におまつりされていると言う事実です。大切につないでいきたいと思います。
こんばんは。このところほとんど毎日黒点が出ています。太陽の活動が徐々に上がってきているようですね。やっと極小期をを抜け出したのでしょうか。本当は去年の夏くらいには抜け出していてもよかったのでしょうが、予想に反して無黒点日数を更新したり100年ぶりの低太陽活動と報道されました。
しかし、やっと12月から無黒点日数も減り、黒点が次々に現れるようになってきました。今後ますます黒点数は増えるはずです。なんとなくそわそわしてしまいます。前々回の極大期では大きな磁気嵐によりカナダで大規模な停電などもありました。送電システムの問題なわけですから、はやく小型の家庭発電機が発明されないかと待ち遠しく思います。
インターネット網や携帯電話などこれまでの極大期には未発達であったシステムに対してどのくらいの影響が出るのかは未知です。こころしてこれからの数年間を過ごしたいと思います。
ありがたいことに、今週は先週と比べてずいぶんスムーズにまわっています。水面下でのいろいろはあるにせよ、私の周囲はなんとなくpositiveな空気がただよっています。それぞれが自分のやることに忙しく余計な「漏電」をしていないようです。理想的な状況です。これがいつまで続くかはわからないですが、ありがたいこととして受け取っています。この静かな環境がどんなにか素晴らしいものか今でこそわかるのですが、一年半前には意識することすらなかったです。ちいさな(?)幸せに気がつけるのはうれしいことです。
寒い夜のお風呂のようです。
こんばんは。
一休禅師は、「人間は腹に糞を抱えた糞袋だ」と言いました。
人間所詮糞袋、とは私には大変なじみ深い定義です。生物を普遍化かつ単純化してみれば「エネルギー源を取り入れて活動し、増殖するもの」。どんな人間も所詮は生物。人間としての営みを生き生きとおこなうとはどういうことなのか?
同じことの繰り返しはいやだ、と言うのはよく聞きます。しかし、常に新しいことを生み続け、先に進むこともまた辛いことです。仕事としてどちらの要素が大きいかは様々と思いますが、ともかく没頭しないとできないことです。いかにすっきりと没頭できるか。今の一番の課題です。
「意識の漏電」という言葉は笑い出すほど状況にぴったりで、何度みても感動します。
私の場合とりあえずできることをやっているのですが、最近ぎょっとしたことがあります。何の拍子かPCのカメラを起動してしまい、モニタに眉根にしわを寄せた怖いヒトが映っていました。あ~びっくり。子供にもたびたび「怖い顔をしてるよ~。もっとにっこりして」と言われ、はっとします。
一生懸命やっているのですが、なぜか暗くやっているらしい。明るく感謝の気に満ちて、おこなうようでありたいですね。表情に気をつけていますと、まわりの方も少し安心されて雰囲気が明るくなります。そうか、灯火になれるのかもしれませんね。