無知の知

ほたるぶくろの日記

信仰の原初

2010-01-11 21:55:31 | 日記

石、巨石について私の中で想いがふくらんでいます。なぜそんなに気になるのでしょうか。このところ、古代における信仰、あるいは祭祀の原初の姿についておもうことが多くなりました。その原初の祭祀に重要な要素として存在するのが石、巨石などの自然物です。つまりそれらは人間の太古における原初の神祭りへの手がかりであるからでしょう。

現在、たくさんの神社が覇を競うようにそれぞれの祭神をまつり鎮座しています。私は日本神話についても子供のときに読んだきりですから詳細を知りません。そこで自分なりに少しいろいろの祭神について調べたり、神社について調べたりしてきました。

そこには必ず神社の成立過程についての記載があります。そして、式内社(延喜式(927年)に記載された神社2661社)、式外社(例えば熊野那智大社など)のほとんどが延喜式が編纂された時点ですでに長い歴史を持つ神社であったという事実を知りました。また、それぞれの神社でお祭りされている祭神についても、それぞれ時代の要請によって変遷してきていることなどもわかりました。

つまりどうやら古代から人々は現在神社のある場所(まれに例外あり)で神をお祭りしてきたらしいのです。神社がおかれた場所は、何らかの理由で人々が神霊を感じることのできた場所であったのでしょう。そしてそれは山であったり、巨石であったり、滝であったりしました。巨木も神霊がおりる重要な寄り代であったようです(御嶽や鎮守の杜など)。神社の儀式にわざわざ長大な柱を立てることもあります(諏訪大社の御柱祭)。おそらくそれらの神々は名付けられることのない、原初のエネルギー体であったのだと思います。

これらのことを知るに至って、神霊の名は重要ではない、となんとなくわかってきたのでした。このことは私を深く感動させました。なぜなら、この古代の人々の神祭りをおこなった情熱のようなものを直截に感じることができたからです。私はこれまで仕事として日々自然を観察してきています。その中で、自然に潜む法則の素晴らしさにひれ伏したくなるような感動を覚えることがしばしばありました。その感動に通じるものがあるからだと思います。

また引き続き、それぞれの神社の古代の姿などに思いを馳せ、古代の信仰のことなど考えていきたいと思います。


水銀のことなど

2010-01-10 23:31:04 | 日記

高野山の下の水銀鉱脈のことが気になって、日本の鉱脈のことなど調べてみました。

既にご存知のかたも多いのかもしれませんが、まず中央構造線上には銅、水銀、鉄の鉱脈が一致して存在します。(中央構造線と丹生神社および水銀鉱山参照)
この中央構造線は空海の生誕地、讃岐や高野山、伊勢を通過し、岡崎から長野の方へ北上し、富士山を迂回して茨城へ抜けています。高野山、伊勢では古代から水銀が採掘されていたそうです。高野山の水銀鉱は大変有名で、どうやら空海さんは鉱山師でもあり、高野山も水銀鉱脈があるために選んだと考えられるようです。また四国を始めとする日本全国様々の鉱脈の調査発掘をされたようです。
このことは空海さんの父方が常陸国の佐伯氏で、この一族は砂鉄や水銀の採鉱をしていたということからも十分に可能性のあることだとおもいます。さらに母方は阿刀氏で、この一族は産鉄に関わっていたそうですから、ますます空海さんの鉱山師としての側面が確からしくおもわれます。

高野山周辺に水銀鉱脈が存在したという仮説もあります(「丹生の研究―歴史地理学から見た日本の水銀」松田寿男著)。戦時中に高野山の地質調査が行われ、高濃度の水銀が検出されたという話しも伝わっているようです。(しかし、高野山における水銀鉱脈については十分な検証がおこなわれていないようです。)

また三重県多気郡多気町の丹生鉱山(にうこうざん)は縄文時代から辰砂の採掘が行われていたそうです。伊勢白粉などのこともおもしろいですね。

奈良の大仏(8世紀)の鍍金には2.5トンの水銀が使われたそうです。すごいですね~


ウイルスと進化

2010-01-09 00:31:08 | 生命科学

この年明けは本当に不思議なことにトラブルが次から次へと発生し、根性を試されているかのようでした。
ともかく明るくこなすべし!ということで今週はずっとどたばたいたしました。そしてやっと今日、ほぼ解決しました。いろいろありますね~。

ところで今週のNatureに面白い論文がありました。ヒトをはじめ様々な動物のゲノムには過去に組み込まれたレトロウイルスの断片が残っていることが知られています。これはゲノムの中の「化石」であります。古代の進化の過程で組み込まれ、その後不活性化し、膨大なゲノム情報の中に埋もれ、現在に残されたと考えられています。今回、あらたにボルナウイルスの断片が組み込まれていることがわかったというものです。霊長類での組み込みは遺伝子の変異から約4,000万年前に組み込まれたものと考えられるようです。ホモ・サピエンスが誕生したのは500万年前と言われていますからその遥か以前の組み込みが、いまだにゲノムの中に痕跡として残っているということになります。

なにが面白いか、といいますと、こうして外来性の遺伝子が入り込むことがこれまでに何回もあって、それがマクロの進化(大進化)へとつながっている可能性があるかもしれないと考えられるからです。

遺伝子の水平伝播にはウイルス感染が今のところ一番可能性のある仮説だと考えられています。そして、これからもある種のウイルスがやってきてわれわれは進化するのかもしれません。


山越え

2010-01-06 23:51:46 | 日記

今日こうして普通に書けるとはありがたいことです。昨日の今頃は眉間にしわを寄せ、ときどきハッと気がついてしわを伸ばしあれこれやっておりました。こんなふうにお試しは突然やってきて、どうだ?んん~?と居座ります。そこでが~んと気を失っている場合ではありません。ここが正念場、とできることを一生懸命やるばかりです。結果はともかく、あきらめないでできることをやる。その過程をどんな思いで、どのように過ごしたか、それがまた私の未来へ展開していく。

連鎖しているのです。ですから気が抜けないですね。今回のトラブルの中でこのことが繰り返し頭に浮かんできました。不愉快になって、自暴自棄といいますか投げやりになりそうなとき、ふっと浮かんできました。


生きていく姿勢

2010-01-04 23:09:52 | 日記

暮れには私の職場はごたごたしていました。ストレスを抱えた人間が集まって仕事をしているので仕方のないことです。

ストレスのコアの部分は、それぞれの仕事です。本来はそれぞれが自分の世界、自分の分野に没頭することでしか解決の道はみえないはずなのですが、それが難しい。さまざまの外からの圧力、隣人の仕事の様子などを目にすることで心が千々に乱れていくのです。

人間関係に話しをもどしますと、距離を置くのではなく状況を静観する。
このことは職場でのごたごたでも重要なポイントのように思います。私が今回強調したいのは「距離を置くのではなく」の部分です。同じく状況を静観するにしても、ごたごたの特異点から逃げるように距離を置くのが私の常。よほど自分が安定していませんと、荒れた気持ちを発散している方々を静観することはできません。

心の余裕=自分の安定については、自分のなすべきことに没頭するうちに、自然に起こることだと理解しています。
年初にあたり、今を生きる姿勢について、いま一度確認しました。