ポジャギアートYangja-pang

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言葉を探す

2017-03-07 10:42:00 | ポジャギ2017
今日はちょっと真面目な話。



その昔、私がワラジを脱いでいた某研究室では、
自分の言葉で語れない事柄については、いっさい語るなというのが不文律でした。
いや、べつに語ってもいいんですが、借り物では聴いてもらえない(^_^;)
その姿勢は、日常茶飯事から彼らのプロパーであった哲学まで、
およそ全てに及んでいて
ほんの使いっ走りであった私にも、等しく要求されていました。
ただ、当然のことながらそのような空気の中では
言葉を探して沈黙することについて、誰も文句を言う人はなく、
したがって、語れないことに不便を感じることもありませんでした。

しかし、そのような「楽園」にいつまでもいられるはずはありません。
シャバに出ればモノは言いよう、というか、言わなければ事が進まない。
「見つかるまでは黙っていてもいい」なんて悠長なコトは、文字通り言っていられません。
それでも、自分のアイデンティティに関わる事柄については
あだやおろそかな言葉を使いたくはない。
そう考えることと現実とのギャップに、ストレスを感じ続けていたことも事実です。

要するに、自分が求めているポジャギをどう「言葉」にするか
20年近い年月が経っても、それがみつからなかったのですね。
タイトルを考えるたびに、RandomだのMediumだのCubismだの
「色の強さ」だの「線の勁さ」だのと四苦八苦してきましたが
正直言って、どれも「これ!」というわけではない。
もちろん古今の素晴らしい作品を見たり、本を買い漁ったり、韓国語を習ったり
いろんな人の話を聞けば、その一瞬は分かったような気にもなる。
でも、「なんとなく」ではダメなんです。
あくまでも具体的で、自分にとって腑に落ちる言葉でなければ。

そんなこんなで、
「ここまで探して見つからないということは、やるなということか!」
ぐらいまで思い詰め、まあ、やめたところでべつにどってことないけれど
なんか敵前逃亡みたいで悔しいではないか。いろんな意味で(^_^;)

……などと、じくじくと悩み続けること幾星霜。
例によってとくに何も考えずチンジュサを繋いでいたその時、
ふと、何かが光ったような気がしたんですね。
具体的に言うと、黄色と薄緑にオレンジの糸が交差しているあたりで
何かがぴかっと光って動いたような気がしたんです。



傍から見れば相変わらずの、何の変哲もないチョガッポ
それほどの意図も意気込みもなく、練習のような感じで繋いでいたものですが
なんとそこに、何のココロの準備もないままに
降ってきた! 言葉が!!

「色彩は音楽のように、線は物語のように」

何年もかかって、みかん山ばかり作って、それかい!
と思われるでしょう。もちろん、それで結構。
ポジャギを作るということが、自分にとって何なのか
少なくとも私自身にとって、腑に落ちる言葉がようやく見つかったのです。
何百枚作ったって、作品展を何回やったって、この「核」がなければ成立しない。
薄汚い研究室で、おじさん達(でも、今の私より若い(^_^;)が
口角泡を飛ばしながら繰り広げていた議論の入り口に、
よ~やっと私もたどり着けたような気がします。

さて、入り口にたどり着いたからには扉を開けなければなりません。
開けた先に何が待っているのか、そりゃ~私にも分かりません。
たぶん、その先にもまた扉があるんでしょうが
何はともあれ、言葉はみつかった。
これからは、そぎ落としていくだけ。
それもまた、至難の業なんでしょうけど。