渋谷という街がコドモ達の溜まり場ではなく
先鋭的なカルチャーの最前線だった頃
西武百貨店B館の地下に「ぽると・ぱろうる」という
詩の本の店がありました。
壁も床も黒一色の、ほんの一坪くらいの書店。
10代半ばから後半にかけての一時期、
まだ紅顔(!?)の美少女だった私メは
この店に3日とあげず通いつめ
現代詩やらシュールレアリズムやら何やらと
わかるはずもない本を読み散らかしていたのですが
実のところ最も気に入っていたのは
この書店カバーでした↓
ここで最初に買ったのは、忘れもしない
富岡多恵子詩集(現代詩文庫)
そのときかけてもらったカバーに、
思わずクラクラっ……と来てしまったのでした。
あまりに気に入ったので、本を買うだけではおさまらず
店番のお姉さんに頼み込んで少しわけてもらい、
教科書(!)のカバーにしていたくらいです。
その後「ぽると・ぱろうる」は渋谷から姿を消し
現在では本店にあたる「ぽえむ・ぱろうる」のみが
池袋西武のリブロ館に残っていますが、
今日、ちょっとした偶然から10数年ぶりに足を運び
愕然!としました。
この数年間すっかり忘れていたけれど、
このカバーの、矩形と斜線の模様
そう、まさにポジャギの原点ともいえる
幾何学模様ではありませんか……
初めてアンティークのポジャギを見たとき、
おそらく記憶の引き出しに眠っていたこのデザインが
私メの前頭葉に強烈に働きかけたのでしょう。
モノクロームでありながら
じっと眺めているとさまざまな色彩が見えてくるような
不思議な世界。
そこに独自の色をつけていくことが
私メのポジャギ道なのかもしれません。
ところでこの書店カバーには、
ポエムとパンセ詩の本の店「ぽると・ぱろうる」
という文字が今も残っています。
ついでながらこのカバーデザインは、
活字の裏を利用したものだとか。
それも1つの時代の名残りなのでしょう。
先鋭的なカルチャーの最前線だった頃
西武百貨店B館の地下に「ぽると・ぱろうる」という
詩の本の店がありました。
壁も床も黒一色の、ほんの一坪くらいの書店。
10代半ばから後半にかけての一時期、
まだ紅顔(!?)の美少女だった私メは
この店に3日とあげず通いつめ
現代詩やらシュールレアリズムやら何やらと
わかるはずもない本を読み散らかしていたのですが
実のところ最も気に入っていたのは
この書店カバーでした↓
ここで最初に買ったのは、忘れもしない
富岡多恵子詩集(現代詩文庫)
そのときかけてもらったカバーに、
思わずクラクラっ……と来てしまったのでした。
あまりに気に入ったので、本を買うだけではおさまらず
店番のお姉さんに頼み込んで少しわけてもらい、
教科書(!)のカバーにしていたくらいです。
その後「ぽると・ぱろうる」は渋谷から姿を消し
現在では本店にあたる「ぽえむ・ぱろうる」のみが
池袋西武のリブロ館に残っていますが、
今日、ちょっとした偶然から10数年ぶりに足を運び
愕然!としました。
この数年間すっかり忘れていたけれど、
このカバーの、矩形と斜線の模様
そう、まさにポジャギの原点ともいえる
幾何学模様ではありませんか……
初めてアンティークのポジャギを見たとき、
おそらく記憶の引き出しに眠っていたこのデザインが
私メの前頭葉に強烈に働きかけたのでしょう。
モノクロームでありながら
じっと眺めているとさまざまな色彩が見えてくるような
不思議な世界。
そこに独自の色をつけていくことが
私メのポジャギ道なのかもしれません。
ところでこの書店カバーには、
ポエムとパンセ詩の本の店「ぽると・ぱろうる」
という文字が今も残っています。
ついでながらこのカバーデザインは、
活字の裏を利用したものだとか。
それも1つの時代の名残りなのでしょう。
今はむかし、新聞社から活字の消えた日のことを鮮明に覚えています。活字が裏返っていることを「ゲタ」と呼んでいましたから、裏は二本線だったと記憶しているのですが、それは新聞活字だけだったのかなぁ。
本当につい最近まで活版印刷が主流だったんですよね。
でも私、活版の組み文字のほうが写植より美しくて好きです。
せめて年賀状くらいは活版で組みたいと言ったら、
「高くつくからおやめなさい」と言われました。
残念!
どこかに破調が見える面白さというんでしょうか。
『美しいポジャギ』の表紙になった作品を見ても、
その影響の大きさがわかろうというものです。
三つ子の魂百までというか……
それにしても、ずいぶんと長い間忘れていたものだわ。
「本は買えないけど紙は欲しい」という変なコドモに
親切にしてくれた(というか面白がってくれた)お姉様方、
いま一体どうしていらっしゃるやら。