栃 木リン チ殺 人事 件の判決があった。
気分が悪くなる事件だ。
犯 人 は死 刑ではなかった。
犯 人 という言葉も使いたくない。
犯 人 って、まだ「人」という言葉がついている。
彼らを「人」と認めてはいけない。
社会を構成しているのは「人」である。
彼らは人ではない、ウジ虫みたいなもので見つけ出したら駆除しなければならない。
しかし、生物の悲しさか、ウジ虫といえど自然に発生するのではない。
ウジの自然発生説は、レディ (F. Redi)が否定した。
親がいるのだ。
ウジ虫にも親がいる。
ウジ虫の親が警察にいたとは驚きだ。
警察なら銃があり、その銃で自分の子孫であるウジ虫を殺せば良かったのに、それすらしなかった。
やはり、ウジ虫の親はウジ虫である。
栃木県警にはウジ虫が住み着ける環境があったのだろうか?
親のウジ虫は警察を辞めているが、親のウジ虫以外にも友達ウジ虫がまだ警察に残っているのではないか?
はやく警察は自助努力して「ひと」だけの体制にしなければ。
この事件で思い出す事件は、女 子高 生コ ンクリ ート詰 め殺 人事 件と 名古 屋 アベ ック襲 撃 殺 人 事 件だ。
この事件でもウジ虫(犯人)に対する判決に死刑はなかった。
ウジ虫を数匹捕まえて1匹以外は社会に戻しているのである。
最後の一匹も社会に戻すらしい。
ウジ虫がまた子ウジ虫を生ませるのかと思うとぞっとする。
捕まらなかったウジ虫どもがこの事件ではたくさんいる。
こいつらも子供を生ませているのかと思うと、日本はウジ虫だらけになる。
ウジ虫には人権とかいう概念はいらない。
優生学という言葉を思い出すが、こういう事件を起こした奴にはそのDNAを残して欲しくない。
話は変わるが、徳島自衛官変死事件というのがあるが、あれは何故捜査をしなかったのだろう?
犯人は偉いさんのご子息とか、警察関係者のご子息なのかと思ってしまう(監禁王子みたい)。