ポケットの中で映画を温めて

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ロベール・ブレッソン・2~『田舎司祭の日記』

2019年04月10日 | 1950年代映画(外国)
『田舎司祭の日記』(ロベール・ブレッソン監督、1951年)を観た。

北フランスの寒村、アンブリクールに若い司祭が赴任してくる。
しかし村人たちはなぜか心を開かず、受け入れてもらえない。
そこで司祭は、師の“トルシーの司祭”に会いに行く。
師からは、人々を尊敬させて従わせることだ、と助言される。

司祭は半年前から身体の調子が悪いため、医者のデルバンド先生のもとへ診察を受けに行く。
後日、そのデルバンド先生が森の外れで銃によって死ぬ。
友人だった“トルシーの司祭”は、「彼は信仰心をなくしていて、それが耐えられなかった」と決め付ける。

領主の娘シャンタルが、家庭教師のルイーズが許せないし父も嫌い、と司祭に打ち明ける。
そして、彼らの言いなりになっている母親も嫌だ、と言う。
理由は、父親とルイーズが愛人関係にあり、シャンタルを追放しようとしているらしいから。

シャンタルの母親は、今まで数々の屈辱に耐えて暮らしてきたから今更どうでもいい、と司祭に話す。
彼女は、夫の無信仰、娘の反抗や憎悪までが私の責任なの、と司祭に問う。
幼いうちに息子を亡くしている夫人は、神を憎んでいた。

その夜、司祭が用事から帰宅すると夫人から手紙が来ていた。
“息子の思い出と共に、失望し孤独に生きる私を、あなたが救ってくれた。今は安らぎを感じている”と。
そして夫人は、亡くなり・・・

物語は、司祭が日記を書きながら、日常の出来事や神への思いをモノローグによってなぞらえる。
神の存在感、信仰についての意味、そして自分のしていることの無力さについて、司祭は苦悩する。
この若い司祭の孤独とその純粋さが、映像として真摯に映し出されていく。

教区での関わりあう人々、特に領主夫妻と娘シャンタル、家庭教師のルイーズ、片や、師の“トルシーの司祭”に向き合う司祭の真剣な面持ちを見ていると、地味であるのにこの作品から目が離せなくなる。
その内容ばかりか、撮影方法までも実にストイックそのままで、まさにこれは娯楽作品の対極に位置している。
それを観ている側としては、唯々自然と襟を正されてしまうという思いがする。
しかし、宗教観の違いなのか、ただ単にキリスト教に対しての知識の浅さなのか、司祭の思いに深く迫るものがあっても、納得できる共感までには行かない。それが残念である。
それでもやはり、司祭の最期の“すべては神の思し召しである”という言葉に、思わず身が引き締まるところがある。
と、そのように感じる真面目な作品であった。

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