元旦に続いて凄く古い作品、フランス映画でサイレントの『アッシャー家の末裔』(ジャン・エプスタン監督、1928年)を再度観ようと思った。
この作品は1時間以内の上映時間だから、手の空いた時に観るには丁度よい映画だった。
アッシャー家の主人ロドリックから、彼の友人に「不安だ、是非来てくれ」と言う手紙が来る。
友人は、アッシャー家に向かう途中で、嫌がる宿屋に金を積んで馬車を頼む。
妖気漂うアッシャー家。
着いた友人をもてなすロドリック。
しかし荒廃した屋敷は、広間に隙間風が吹き、枯葉が舞っている。
その寒々とした屋敷には、ロドリックと心を病んだ妻のマドリーヌ、その主治医に執事、その四人しかいない。
ロドリックはマドリーヌをモデルに、アッシャー家に代々伝わる妻の肖像を描いている途中だった。
夕食後、友人を散歩に追いやり、取り憑かれたように絵筆をふるうロドリック。
肖像画が生気を帯びれば帯びるほど、絵に生命を吸い取られていくマドリーヌ。
愛しげに、ついに完成した妻の肖像画を見つめるロドリック。
それと共に、床に崩れ落ちて変わり果てるマドリーヌ。
ひょっとして、まだ生きているかもしれないと、泣き叫ぶロドリック。
マドリーヌの棺に釘をすることさえ許さないほど打ちのめされるロドリック。
うら寂しい森の中への、四人だけの野辺送り。
その墓所で、ついに棺に釘が打たれ・・・・
流れる濃霧に覆われた林と沼。枯れ木。
激しく揺れ動く天井からのカーテンと舞う枯葉。
大きな柱時計の振り子、その時計の歯車。
本棚から大量に崩れ落ちる本。
突然、ギターの弦が切れる不安さ。
無数のロウソクが溶け崩れる様。
林の中を舞う純白のヴェール、等々。
計算され、いろいろと工夫されたショット。
鮮明さと相まって、妖しさを漂わせるその映像の美しさ。
そして、音が今にも聞こえて来そうな場面の数々。
特に後半には目を見張らされる。
サイレントからト-キーになって、安易にセリフに寄りかかってしまっている作品が少なからずある中で、
原点に返り映画とは何かを、
怪奇と幻想の頂点をきわめたサイレント末期の傑作、と言われるこの作品から学ぶべきことは多いと思う。
因みに、この作品の全編をYouTubeでも観ることができるが、映像が鮮明でなく、折角の作品の味わいが損なわれているのが残念である。
この作品は1時間以内の上映時間だから、手の空いた時に観るには丁度よい映画だった。
アッシャー家の主人ロドリックから、彼の友人に「不安だ、是非来てくれ」と言う手紙が来る。
友人は、アッシャー家に向かう途中で、嫌がる宿屋に金を積んで馬車を頼む。
妖気漂うアッシャー家。
着いた友人をもてなすロドリック。
しかし荒廃した屋敷は、広間に隙間風が吹き、枯葉が舞っている。
その寒々とした屋敷には、ロドリックと心を病んだ妻のマドリーヌ、その主治医に執事、その四人しかいない。
ロドリックはマドリーヌをモデルに、アッシャー家に代々伝わる妻の肖像を描いている途中だった。
夕食後、友人を散歩に追いやり、取り憑かれたように絵筆をふるうロドリック。
肖像画が生気を帯びれば帯びるほど、絵に生命を吸い取られていくマドリーヌ。
愛しげに、ついに完成した妻の肖像画を見つめるロドリック。
それと共に、床に崩れ落ちて変わり果てるマドリーヌ。
ひょっとして、まだ生きているかもしれないと、泣き叫ぶロドリック。
マドリーヌの棺に釘をすることさえ許さないほど打ちのめされるロドリック。
うら寂しい森の中への、四人だけの野辺送り。
その墓所で、ついに棺に釘が打たれ・・・・
流れる濃霧に覆われた林と沼。枯れ木。
激しく揺れ動く天井からのカーテンと舞う枯葉。
大きな柱時計の振り子、その時計の歯車。
本棚から大量に崩れ落ちる本。
突然、ギターの弦が切れる不安さ。
無数のロウソクが溶け崩れる様。
林の中を舞う純白のヴェール、等々。
計算され、いろいろと工夫されたショット。
鮮明さと相まって、妖しさを漂わせるその映像の美しさ。
そして、音が今にも聞こえて来そうな場面の数々。
特に後半には目を見張らされる。
サイレントからト-キーになって、安易にセリフに寄りかかってしまっている作品が少なからずある中で、
原点に返り映画とは何かを、
怪奇と幻想の頂点をきわめたサイレント末期の傑作、と言われるこの作品から学ぶべきことは多いと思う。
因みに、この作品の全編をYouTubeでも観ることができるが、映像が鮮明でなく、折角の作品の味わいが損なわれているのが残念である。
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