ポケットの中で映画を温めて

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『フランケンシュタインの花嫁』について

2016年02月07日 | 戦前・戦中映画(外国)
前に『フランケンシュタイン』(ジェイムズ・ホエール監督、1931年)のことを書いたので、
二作目についても書かないと、どうも片手落ちみたいな感じになってしまう。
作品は『フランケンシュタインの花嫁』(同監督、1935年)。

嵐の夜、『フランケンシュタイン』を書いたメアリー・シェリーは、詩人のバイロンと夫のシェリーに「実はこの物語には続きがある」と言い、
それを聞いて二人は身を乗り出した。

前作で死んだと思っていた怪物は、風車小屋の地下の水たまりに落ちて生き延び、地上に上がってきた。

片や、怪物の生みの親ヘンリー・フランケンシュタインは、風車小屋から運び出された後、療養している。
そこへ夜遅く、大学時代の教授プリトリアス博士がやってきて、20年間の研究の末、生命の創造に成功したと言う。
ためらいながらも興味を示したヘンリーは、誘われてプリトリアス博士の研究室へ行き、博士の創った生命体に見せてもらう。
そこで博士は、一緒に組んで人造人間を創りたいと提案する。
断るヘンリーに「今度は、二人であの怪物の伴侶を創ろう」と言う。

森の中を彷徨って、滝のある川に来た怪物。
それを見た羊飼いの娘の悲鳴。
駆けつけた二人のハンターに撃たれて、またもや逃げる怪物。
村中が大騒ぎとなり、すぐさま山狩りになって・・・・

川の水面に映る、自分の顔の醜悪さを怪物は嫌がる。
怪物には美醜の判断がいつの間にか付いてきている。
そして、逃げた先での盲目の老人との出会い。
老人は森の小屋で、一人孤独に住んでいる。
怪物が来てくれたことが嬉しくてたまらなく、歓迎し、葉巻の吸い方や言葉を教えたりする。
怪物もそれが楽しく、片言の言葉を喋りだし、少しずつ知恵をつけていく。
ひと時の二人の心のふれあいが流れる。老人と怪物の優しさ。

しかし、一般的に人は、村人達のように名もないものに対して恐怖感を抱く。
自分の中の概念にないものに対する恐れ。
それを克服するために名前をつけ、ひとまず安心する。
この映画でもそうである。
怪物はいつまで経っても怪物であり、名前がない。
それをいつの時からか、観る側が勝手に「フランケンシュタイン」と名付けた。
本当は、「フランケンシュタイン」は怪物の創造者の名前であるのに、そんなことはお構いなし。
これで、ひとつの概念ができたから、もう悩むことはないと一件落着しホッとする。

それにしても、博士が創った瓶の中の小さな人間の、トリック撮影の技術力の高さ。
これが昭和10年の時の作品であるとは俄かに信じがたい思いがする。
傑作、古典と言われる所以である。


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