『愛人ジュリエット』(マルセル・カルネ監督、1951年)を観た。
収監されているミシェルは、いっときもジュリエットのことが頭から離れない。
そんな夜、ミシェルは夢を見る。
監獄から出たミシェルは、山あいの村を目指し、ジュリエットを求めながら尋ね歩く。
しかし、誰もジュリエットを知らないし、そればかりか、この村の名も自分の名前さえ知らない。
実は、ここの住人たちは、すべてに対して記憶を無くしている人々だった・・・
ジュリエットは、自分を探している人がいると知って心ときめく。
が、陛下と名乗る裕福な男が、それを知って、ジュリエットに目をつける。
それでもとうとう、ミシェルは森でジュリエットと出会う。
ミシェルは、二人が恋人同士あることを語り、ジュリエットもそれは認識している。
だが、ジュリエットは過去を知らない。
だから自分のこと、二人のことを知ろうと夢中になる。
そんなジュリエットが、ミシェルにとって痛々しくってたまらない。
ジュリエットを探し求める、ミシェルのジェラール・フィリップがとってもいい。
そして、ジュリエットのシュザンヌ・クルーティエも、白いドレスで清純な感じがとても素敵である。
まさしく、似合いのカップルそのものという感じである。
ミシェルとジュリエットが、ほんのわずか離れているすきに、陛下が現れ、ジュリエットを誘って連れ去る。
ジュリエットには、もう、先程のミシェルとのことは記憶にない。
ミシェルの見ている夢物語は、終いには、無残に砕け散る。
現実社会のミシェルは、ジュリエットと海岸へ行きたかったために店の金を盗んでいたが、店主の計らいで、告訴取り下げとなり釈放される。
だが、この現実世界でもミシェルは希望を失うことになり、「立ち入り禁止」の夢の扉を開けて、また忘却の村へと歩む。
話の作りのうまさは、さすがマルセル・カルネだなと感心する。
これが本当にセットなのかと目を瞠る森のシーンと共に、物語の人たちとは逆で、いつまでも記憶に残り続ける作品となっている。
収監されているミシェルは、いっときもジュリエットのことが頭から離れない。
そんな夜、ミシェルは夢を見る。
監獄から出たミシェルは、山あいの村を目指し、ジュリエットを求めながら尋ね歩く。
しかし、誰もジュリエットを知らないし、そればかりか、この村の名も自分の名前さえ知らない。
実は、ここの住人たちは、すべてに対して記憶を無くしている人々だった・・・
ジュリエットは、自分を探している人がいると知って心ときめく。
が、陛下と名乗る裕福な男が、それを知って、ジュリエットに目をつける。
それでもとうとう、ミシェルは森でジュリエットと出会う。
ミシェルは、二人が恋人同士あることを語り、ジュリエットもそれは認識している。
だが、ジュリエットは過去を知らない。
だから自分のこと、二人のことを知ろうと夢中になる。
そんなジュリエットが、ミシェルにとって痛々しくってたまらない。
ジュリエットを探し求める、ミシェルのジェラール・フィリップがとってもいい。
そして、ジュリエットのシュザンヌ・クルーティエも、白いドレスで清純な感じがとても素敵である。
まさしく、似合いのカップルそのものという感じである。
ミシェルとジュリエットが、ほんのわずか離れているすきに、陛下が現れ、ジュリエットを誘って連れ去る。
ジュリエットには、もう、先程のミシェルとのことは記憶にない。
ミシェルの見ている夢物語は、終いには、無残に砕け散る。
現実社会のミシェルは、ジュリエットと海岸へ行きたかったために店の金を盗んでいたが、店主の計らいで、告訴取り下げとなり釈放される。
だが、この現実世界でもミシェルは希望を失うことになり、「立ち入り禁止」の夢の扉を開けて、また忘却の村へと歩む。
話の作りのうまさは、さすがマルセル・カルネだなと感心する。
これが本当にセットなのかと目を瞠る森のシーンと共に、物語の人たちとは逆で、いつまでも記憶に残り続ける作品となっている。
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