『さすらい』(ミケランジェロ・アントニオーニ監督、1957年)の内容の記憶があやふやなので、この際もう一度観てみた。
場所は北イタリア、ポー河沿いのフェッラーラ地方で、そこの寒村ゴリアーノ。
製糖工場に勤めるアルドは、イルマと同棲して七年になり、二人の間には娘のロジーナがいる。
ある日、役場に行ったイルマは、別居している夫がシドニーで亡くなったと知らされる。
アルドはこれを機に結婚しようとするが、イルマは拒否する。
そしてイルマはアルドに、もう一緒には暮らせないと言う。
理由は、好きな若い男がいるからと言う。
アルドは動転し、こんなに愛しているのにどうしてなのか、と問い詰める。
イルマは、アルドを愛しているがもうダメなのだ、と意志が固い。
逆上したアルドは村人が大勢いる路上で、イルマの顔を何度も平手打ちする。
そしてその後彼は、娘のロジーナを連れて村を後にする・・・
村を出たアルドは、イルマと一緒になる前の元婚約者エルヴィアを訪ねる。
独り身のエルヴィアはアルドを暖かく迎え入れ、二人はヨリを取り戻そうするが、満たされない思いのアルドはこの家をロジーナと出て行く。
二人は、道路脇の一軒のガソリンスタンドでヒッチハイクで乗ったタンクローリーから降りる。
ここのガソリンスタンドは、独身のヴィルジニアが手の焼ける老父を抱えながら切り盛りしている。
寝る場所もなく困っているアルド親子にヴィルジニアは、小屋で寝起きすることを許す。
翌日アルドがガソリンの給油を手伝ったのをきっかけに、女盛りで淋しい思いのヴィルジニアとの間は急速に親しくなる。
だがヴィルジニアは、ロジーナの世話を段々嫌がりだして、アルドはやむなく娘を一人バスで故郷のゴリアーノに行かせる。
その後、やはりアルドは空虚な思いでヴィルジニアの所から離れていく。
仕事を探しながら道を行くアルドは、河岸の雨漏りする小屋に住むアンドレイーナを手助けし、泊めてもらう。
娼婦のアンドレイーナは、住む家があっても食べ物がなくてはどうすることもできないと、雨の中、相手を探しに行く。
追いかけたアルドだったが、やはりアンドレイーナと決別していく。
そして行き先のないアルドは、イルマのいる村ゴリアーノに向かう。
主になる物語は、アルドが娘ロジーナを連れて、あてもなく仕事を探しながら道をさすらう姿。
途中で知り合った女性は親切であったりしてアルドを愛するが、それでもアルドは満たされない。
アルドにとって、どうしてもイルマの別れにいたる心情がわからない。
普通に愛し合っていての突然の決別宣言は、一体どのような意味なのか。
アントニオーニが実際に当時の妻からこのことを突きつけられて、その結果として出来た作品だという。
だからここには、アントニオーニの苦悩が如実に表われているのではないかと感じる。
それにしても、ラストの、たどり着いたアルドが家の中のイルマを見た光景のショックは計り知れないものだったはずである。
そしてその後の悲劇に対して、イルマの取り返しの付かない絶望も想像を絶する。
この映画は、陰影の富んだ白黒画面の中に、寒々とした心境風景を的確に描いた真の傑作といってよい作品だった。
場所は北イタリア、ポー河沿いのフェッラーラ地方で、そこの寒村ゴリアーノ。
製糖工場に勤めるアルドは、イルマと同棲して七年になり、二人の間には娘のロジーナがいる。
ある日、役場に行ったイルマは、別居している夫がシドニーで亡くなったと知らされる。
アルドはこれを機に結婚しようとするが、イルマは拒否する。
そしてイルマはアルドに、もう一緒には暮らせないと言う。
理由は、好きな若い男がいるからと言う。
アルドは動転し、こんなに愛しているのにどうしてなのか、と問い詰める。
イルマは、アルドを愛しているがもうダメなのだ、と意志が固い。
逆上したアルドは村人が大勢いる路上で、イルマの顔を何度も平手打ちする。
そしてその後彼は、娘のロジーナを連れて村を後にする・・・
村を出たアルドは、イルマと一緒になる前の元婚約者エルヴィアを訪ねる。
独り身のエルヴィアはアルドを暖かく迎え入れ、二人はヨリを取り戻そうするが、満たされない思いのアルドはこの家をロジーナと出て行く。
二人は、道路脇の一軒のガソリンスタンドでヒッチハイクで乗ったタンクローリーから降りる。
ここのガソリンスタンドは、独身のヴィルジニアが手の焼ける老父を抱えながら切り盛りしている。
寝る場所もなく困っているアルド親子にヴィルジニアは、小屋で寝起きすることを許す。
翌日アルドがガソリンの給油を手伝ったのをきっかけに、女盛りで淋しい思いのヴィルジニアとの間は急速に親しくなる。
だがヴィルジニアは、ロジーナの世話を段々嫌がりだして、アルドはやむなく娘を一人バスで故郷のゴリアーノに行かせる。
その後、やはりアルドは空虚な思いでヴィルジニアの所から離れていく。
仕事を探しながら道を行くアルドは、河岸の雨漏りする小屋に住むアンドレイーナを手助けし、泊めてもらう。
娼婦のアンドレイーナは、住む家があっても食べ物がなくてはどうすることもできないと、雨の中、相手を探しに行く。
追いかけたアルドだったが、やはりアンドレイーナと決別していく。
そして行き先のないアルドは、イルマのいる村ゴリアーノに向かう。
主になる物語は、アルドが娘ロジーナを連れて、あてもなく仕事を探しながら道をさすらう姿。
途中で知り合った女性は親切であったりしてアルドを愛するが、それでもアルドは満たされない。
アルドにとって、どうしてもイルマの別れにいたる心情がわからない。
普通に愛し合っていての突然の決別宣言は、一体どのような意味なのか。
アントニオーニが実際に当時の妻からこのことを突きつけられて、その結果として出来た作品だという。
だからここには、アントニオーニの苦悩が如実に表われているのではないかと感じる。
それにしても、ラストの、たどり着いたアルドが家の中のイルマを見た光景のショックは計り知れないものだったはずである。
そしてその後の悲劇に対して、イルマの取り返しの付かない絶望も想像を絶する。
この映画は、陰影の富んだ白黒画面の中に、寒々とした心境風景を的確に描いた真の傑作といってよい作品だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます