①馬を盗みに 面白さ(5点満点):☆☆☆☆
著者:ペール・ペッテルソン
生年:1952年 出身地:ノルウェー、オスロ
出版年:2003年
受賞:ノルウェー批評家協会賞、書店が選ぶ今年の1冊賞 英インディペンデント紙の外国小説賞 国際IMPACダブリン文学賞
邦訳出版年:2010年 邦訳出版社:(株)白水社
訳者:西田英恵
コメント:引退してオスロからノルウェーの東の森のなかの小さい家に引っ越してきた男トロンドは、近くに住む男が子供時代に会ったことのある男だと気づく。そして1948年に15歳の時のことを回想する。父親と一緒にスウェーデンとの国境に近い村の別荘に滞在していた時のことだ、近くのヨンという少年が遊び友達で、近くの牧場でこっそり馬に乗りに行こうと誘う。馬に乗ることを馬を盗みに行くと言うのだ。舟で川を行き来してヨンの家や牧場、店に行ったりする。木を伐採して川に流して製材所に送ったり森の生活を満喫する。しかし、ヨンの悲劇から、戦時中の父親の秘密を知るようになる。
一緒に暮らす犬リーラのしつけが行き届いていて驚くばかりだ。ご主人の食事が終わるまでおとなしく待つとか、ご主人の食べ物のおすそ分けが大好きで、犬の餌には不満たらたらで食べるとか、命令に絶対服従でご主人が命令を忘れると困惑したりする。とても面白い。
自然と生きるノルウェーの森の生活が魅力的だ。
②外人部隊の女 面白さ(5点満点):☆☆☆☆
著者:スーザン・トラヴァース
生年:1909年 出身地:イギリス、ロンドン
出版年:2000年 邦訳出版年:2003年 邦訳出版社:(株)新潮社
訳者:高橋佳奈子
コメント:これは著者の外人部隊での体験を綴ったもの。著者はイギリス人だが10代の頃に両親とともに南フランスに移住しアマチュアのテニス選手として上流階級の中で生活していた。語学に堪能で英語、フランス語はもとよりドイツ語もわかる。第二次世界大戦が始まるとフランス赤十字に参加し、それからフランス外人部隊に身を投じ、激戦のアフリカ戦線、ヨーロッパで戦い、戦後はインドシナのベトナムでベトミンとの戦いに看護婦として参加した。特にアフリカ戦線では将軍の運転手として、ロンメル将軍率いるドイツ軍との戦いの最前線にいた。そしてその絶体絶命の包囲網を突破することに成功し、その功績でレジョン・ドヌール勲章など数々の勲章を授与されている。自由フランス軍でもイギリス軍でも女を兵士として入隊させることは禁じられていた。彼女は男装したり、能力を認めさせて参加していた。彼女は将軍の愛人になっていた。妻帯者だったので別れざるを得なくなったが、真剣だった。日本の軍隊では考えられないような関係を軍隊の中に持ち込んでいるのが驚きだった。
③日本国紀 面白さ(5点満点):☆☆☆☆
著者:百田尚樹 出身地:大阪市
出版年:2018年 出版社:(株)幻冬舎
コメント:本書は著者の視点からの日本通史である。いくつも興味深い指摘はあるが、たくさんありすぎるので、3点だけ取り上げてみたい。
一つ目は邪馬台国と大和朝廷の関係である。著者は大和朝廷は邪馬台国を引き継いだ国ではないと想定している。その根拠は古事記と日本書紀の中に邪馬台国への言及がないからだとしている。魏に朝貢していた邪馬台国の業績をなぜ古事記や日本書紀が載せないのか。つまり大和朝廷の国ではないからだと言っている。これは納得できる論述だ。
二つ目は「ケインズを200年以上先取りした荻原重秀」。元禄期の好景気をもたらしたのは勘定奉行の荻原重秀の貨幣改鋳による金融緩和政策である。荻原重秀は「貨幣は国家が造るところ、瓦礫を以てこれに代えるといえども、まさに行うべし」、つまり「政府に信用があるかぎりその政府が発行する通貨は保証される、したがって通貨が金や銀である必要はない(瓦礫でも代用できる)」という現代に通じる「国定信用貨幣論」を打ち立てたのである。綱吉の死後六代将軍・家宣のブレーンになった新井白石が荻原重秀を嫌い貨幣を金銀本位に戻した。その後八代将軍吉宗は「享保の改革」で幕府の財政立て直しのため緊縮政策を取り自分も含めて庶民に贅沢を禁じた。しかしデフレが進み、景気が一向に回復しない状況に金の含有量を大幅に減らした貨幣を発行した。これによって江戸の町の景気は回復した。「享保の改革」は「元文の改鋳」によってはじめて成功した。荻原重秀は歴史の授業では悪徳な役人と習ってきたが実は有能な役人だった。研究が進むと人物の評価も劇的に変わるのが興味深い。
三つ目は第二次世界大戦を巡るアメリカとの外交である。第二次世界大戦を始めた日本の政府や軍部の無能無策ぶりはさんざん取り上げられてきたが、アメリカの思惑についてはあまりとりあげられていないのではないだろうか。本書の中で著者は次のように述べている。
「アメリカがいつから日本を仮想敵国としたのかは、判然としないが、大正10~11年(1921~1922)のワシントン会議の席で、強引に日英同盟を破棄させた頃には、いずれ日本と戦うことを想定していたと考えられる。それを見抜けず、日英同盟を破棄して、お飾りだけの平和を謳った「四カ国条約」を締結してよしとした日本政府の行動は、国際感覚が欠如しているとしかいいようがない。
それから約20年後の昭和14年(1939)には、アメリカははっきりと日米開戦を考えていたと言える。ただルーズベルト大統領は、第二次世界大戦が始まっていた昭和15年(1940)の大統領選(慣例を破っての3期目の選挙)で、「自分が選ばれれば、外国との戦争はしない」という公約を掲げて当選していただけに、自分から戦争を始めるわけにはいかなかった。彼は「日本から戦争を仕掛けさせる方法」を探っていたはずで、日本への石油の全面禁輸はそのための策であったろう。」
いろいろ示唆に富んだ内容だった。