翻訳 朴ワンソの「裸木」28<o:p></o:p>
P88~P90<o:p></o:p>
「誰もがするように…」<o:p></o:p>
「夕暮れの空に星がオリオン座の三ツ星…」<o:p></o:p>
喉がしゃがれて、歌声があまりに悲しく聞こえて、私は歌うのを止めてしまった。空にはなぜかオリオン座の三ツ星が月もない晩なのできらきらと輝いていた。<o:p></o:p>
「ミスター黄、光年という言葉を知っている?」<o:p></o:p>
「もちろん、そんなことも知らないんだから」<o:p></o:p>
「早く話して」<o:p></o:p>
「ええと、光年というのは聞く所によると時間の単位のようだけれど、実は距離の単位なので、光は1秒に地球を7周半も回転するけれど、その光が1日2日でもなく1年ぐらい行く途方もない距離。分かる?」<o:p></o:p>
「それぐらいは私も分かっているわ」<o:p></o:p>
「じゃ、なぜ聞いたんだい?」<o:p></o:p>
「それは距離を実感することができるかということでしょう? 推測もできる? それに何千何万、更に何億光年なんか推測もできるかどうかということでしょう?」<o:p></o:p>
「どういうこと?」<o:p></o:p>
「何かぺちゃくちゃしゃべってしまっては…三ツ星の距離が遠すぎて空しくてね」<o:p></o:p>
「それは恐らく無限だということだよ。どう、まだちょっと寒くないかい?」<o:p></o:p>
「…」<o:p></o:p>
ふいに片側が歪んでいるうちの屋根が見えた。いつの間にかうちの路地の入口にたどり着いたのだ。<o:p></o:p>
私は歩みを止めて呼吸を調整した。ぽかぽかしたジャンパーから素早く抜け出してまっすぐな姿勢をとった。<o:p></o:p>
「着いたようだね。どこ?」<o:p></o:p>
「帰ってください」<o:p></o:p>
私は断固として命令した。<o:p></o:p>
「一体全体、どの家なの? 温かいお茶でも1杯くれないの?」<o:p></o:p>
「まだ遠いの。戻ってください」<o:p></o:p>
「うちまで見送ってくれってしきりに言っていて、こんなに寒い時にここまでお供してきた人を本当に追い払うの? あんまりだけど」<o:p></o:p>
「どうか早く帰ってください」<o:p></o:p>
私は怒った。寒かったけれど歯ががちがちぶつかる程ではなく、今から一人だという悲壮な義務感が一瞬のうちに私を強くした。<o:p></o:p>
泰秀はよろよろと戻る様子で、<o:p></o:p>
「じゃ、ここで立っているので早く一人で行って」<o:p></o:p>
未練たっぷりに目で見送る意志を見せた。<o:p></o:p>
「そのまま行ってよ」<o:p></o:p>
私は焦燥のあまり足を踏み鳴らしながら、もう一度腹を立てた。<o:p></o:p>
彼はまごついたまま諦めたように「ちぇ」と言って背を向けて後ろも振り返らず路地の入口から戻って行ってしまった。<o:p></o:p>
彼の足音が聞こえなくなると、初めて私はうちに堂々とした姿勢で向かった。一方の軒がぶらさがった巨大な韓屋は、まるで翼を失った伝説の中の大きい鳥のようだった。<o:p></o:p>
空に向かう飛翔を諦めた鳥は利用価値のない怪物のように横たわっていた。髪が逆立つほど恐ろしくても、この怖さを誰にもいまだに和らげてもらえないという負けず嫌いは、十分潔かった。私は長い路地を突撃するように力一杯走った。ようやく体が門に激しくぶつかった。体が痛くなるほど全身で門を揺すりながら、<o:p></o:p>
「お母ちゃん、お母ちゃん」<o:p></o:p>
と叫んだ。<o:p></o:p>
「出るよ、私が。どうして騒々しいの」<o:p></o:p>
待ちどうしさも懐かしさこもっていない、のろのろして落ち着いた母の声が聞こえてきた。いつもと同じばたばたとゴム靴をひきずる音が近づいて、門が重く開いた。<o:p></o:p>
私はあたふたと母の手をしっかり掴んだ。冷たくも暑くもないざらざらした手は、決して向き合って握るわけではない。私はそれをわかっていてもそれを望んだ。<o:p></o:p>
吹雪は中庭に積もった雪を片側に吹き寄せて石垣の下にかなり大きな塚をこしらえた。桐は疲れたように伸びたままゆらゆら揺れていた。
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読書感想84 DNAでたどる日本人10万年の旅<o:p></o:p>
著者 崎谷満<o:p></o:p>
生年 1954年<o:p></o:p>
出版年 2008年<o:p></o:p>
出版社 (株)昭和堂<o:p></o:p>
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感想<o:p></o:p>
著者は京都大学で医学博士の資格をとり、専門は分子生物学・分子腫瘍学・ウィルス発癌(成人T細胞白血病ウィルス研究)・血液学(臨床腫瘍学)・緩和ケアであり、長崎大学、京都大学での研究を経て、1997年にCCC研究所を設立し、DNA多型分析などから日本列島ヒト集団の成立史および伝統文化の分析を行ってきた。<o:p></o:p>
本書は、前回取り上げた「DNAが解き明かす日本人の系譜」(2005年)から3年後の著書である。ここで分析の指標になっているのはDNA(遺伝子)の中のY染色体によるハプログループの分岐時期と分布である。Y染色体では父系をたどる。著者の骨子は次の点にある。<o:p></o:p>
現世人類はアフリカで20万年前から10万年前に誕生したと推定されている。Y染色体による分類では18系統5グループに分かれる。5グループのうちA系統とB系統はアフリカに留まり、3グループがアフリカを出た。C系統が出アフリカの第一グループ、DE系統が出アフリカの第二グループ、FR系統が出アフリカの第三グループである。日本では出アフリカの3系統、つまりC系統、D系統、O系統が共存している。DNAの多様性が高いヨーロッパのような地域でも2系統しか見いだせないことからも、日本のDNAの多様性は注目に値する。日本にしか見られないD2は高頻度に、C1もわずかに存在している。<o:p></o:p>
「日本列島へは、後期旧石器時代にC3系統、Q系統のヒト集団(移動性狩猟文化)が、新石器時代にはD2系統(縄文文化)、C1系統(貝文文化)およびN系統のヒト集団が、金属器時代以降にはO2b系統・O2a系統のヒト集団(長江文明)、またその他、O3系統(O3e系統は黄河文明と関連)、O1系統(オーストロネシア系)などのヒト集団が渡ってきて、現在までもそれぞれの集団を維持している。」<o:p></o:p>
一方ユーラシア大陸東部では漢民族に関連するO3系統の膨張によって、C3系統やD系統、他のO系統を少数者に追い込んでいった可能性が高い。日本列島の豊かな自然環境によってユーラシア大陸で敗者になったヒト集団が生き延びることができたのではないか。さらに金属器時代(弥生時代)にユーラシア大陸東部の戦乱によって難民化した人々が日本列島にわたってきたが、少数の人々が数次にわたって移動してきて、先住民と争うことなく平和共存の道を選んだと推定される。<o:p></o:p>
「この日本列島は大陸での弱者集団、負け組が生き残って現在まで至ることができたという優しい環境を提供してきた。このDNA、文化、言語の多様性維持は日本列島の伝統的な価値であり遺産である。」<o:p></o:p>
多様なDNAが残っているということから、共存共栄の暮らしや助け合いの精神が生まれたと推測するのは説得力がある。和の精神も長い伝統に裏打ちされているということだ。権力を求めるところや優劣を競うところとは真逆の精神構造だ。少しでもいい伝統は残して行かなければと思う。
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