読書感想80 逆説の日本史『16江戸名君編』<o:p></o:p>
著者 井沢元彦<o:p></o:p>
生年 1954年<o:p></o:p>
出身地 愛知県名古屋市<o:p></o:p>
出版年 2009年<o:p></o:p>
出版社 小学館<o:p></o:p>
価格(文庫版) 676円(消費税別)<o:p></o:p>
<o:p></o:p>
感想<o:p></o:p>
ベストセラー「逆説の日本史」シリーズの16回目。<o:p></o:p>
ここでは江戸時代の名君の虚実とともにその思想的なバックボーンとして日本化した儒学、特に朱子学のことを取り上げている。そして世界一の識字率を支えた江戸の文化的背景の中で、幕末に向かって尊王討幕論が大きな流れとなって広がって行く様子が描かれている。<o:p></o:p>
目次は次のとおりだ。<o:p></o:p>
第1章 徳川光圀の生涯編―武士の「忠義」の対象は天皇か将軍か<o:p></o:p>
第2章 保科正之の生涯編―王政復古と明治維新へと発展した思想のルーツ<o:p></o:p>
第3章 上杉鷹山の改革編―名門家臣を断罪した「流血」の覚悟<o:p></o:p>
第4章 池田光政の善政編―「脱・仏教体制」の潮流と「太平記」<o:p></o:p>
注釈書<o:p></o:p>
第5章 江戸文化の「江戸的」展開編―俳諧と歌舞伎と落語のルーツ<o:p></o:p>
第6章 江戸文化の「江戸的」凝縮編―芸術の「大衆化」を支えてきた源泉<o:p></o:p>
水戸徳川家は他の御三家と違って特殊な家だった。忠誠の対象が徳川将軍ではなく天皇だったからだ。水戸徳川家を勤皇の家にすることは家康の遺訓であり、万一の時に徳川家の血統を残す一種の保険だったと著者は指摘している。そして家康は孝と忠を中心思想に置く朱子学の導入に積極的だった。武士の忠の対象はその棟梁である将軍になるはずだったからだ。ところが、家康の目論見はその孫の徳川光圀によって崩された。明が滅亡し日本に亡命した朱子学者朱舜水は、光圀の要請で日本に適応した日本的朱子学を創り出した。それが水戸学である。忠誠の対象は天皇であり、それに忠誠を貫いた大忠臣が後醍醐天皇に尽くし、将軍に背いた楠木正成とされたのだ。水戸学は初めから幕府にとっては毒薬のようなものだった。また同時代のやはり家康の孫にあたる会津藩主保科正之は、「日本は神国である」という神道と朱子学を合体させた垂加神道を創始した山崎闇斎の弟子であった。朱子学によって神道を理論化して日本独自の国民統合の原理を創ろうという機運の中で、神道と朱子学の合体という新しい思想が生みだされたのだ。保科正之は、明治維新に先立つこと200年前に会津領内で神仏分離を図り、本来併存できない神仏習合を否定した。200年後には宗教面だけでなく、政治面でも朝廷と幕府の習合、併存が否定され幕府は亡びることになる。<o:p></o:p>
江戸時代の初期から始まった「神儒(神道と儒教)合一」は国民統合の原理になり、幕末の尊王討幕論、明治時代の廃仏希釈の思想的なバックボーンとなる。その潮流の下地となったものが室町時代に完成した「太平記」の注釈書「太平記秘伝理尽鈔」だ。口伝で語られてきた「理尽鈔」は江戸時代の初期に木版印刷されるとベストセラーになり、ほとんどの学び手が儒教の手ほどきを「論語」などの素読から入ったのではなく、この「理尽鈔」から入り、武士階級の教育は「太平記」を音読し解釈し講義する「太平記読み」と言われる人々によってなされたという。<o:p></o:p>
また江戸時代の識字率の高さ(男性の40%から60%)は、遡ること400年前に出来上がった「平家物語」に源を求めている。音曲に合わせて語るというスタイルが文盲の人々にも易しく歴史や宗教観を共有させることができ、かつ音読から入ると文字の習得が早くなるからである。
「フランスなどヨーロッパ社会では、まず政治への市民参加が始まり、市民が主役となったところで大衆文化が発達した。日本はちょうど逆で、大衆文化の発達が市民の政治参加への道を開いたのである。もちろん、同じアジアの中でも、こんな国は他にない。このことも実は日本史の大きな特徴の一つなのである。」
これは著者の瞠目すべき問題提起であろう。尊王論が生みだされた、長い時間をかけた文化の厚く切れ目のない土壌のことを言っているのだ。
著者は毎回歴史に対する新しい切り口を見せてくれる。今回も期待に十分応えた、面白い内容だった。
ちょっとランキングにクリックを!