
趣味のサークルのハングル講座で取り上げた韓国の短編小説の翻訳です。営利目的はありません。
著者:チョン・サングック(全商国) 生年月日:1940年3月24日
僕たちの翼4
父の仕事がうまくいけばいくほど、ツホに注ぐ情愛が格別だった。いわば、ツホがガリガリ痩せる代わりに、自分の運が開けるという思いからだったのかもしれない。いずれにせよ、父の収入が悪くなかった。
「お前たち、1年だけ我慢しろ。」
1年後には家を買う計画をするぐらい父の収入は良かった。母はタプシプリの伯母がする契(頼母子講)に3番と20番の2口入った。顔の血色が良くなり、しなかった化粧までして、母は元気になった。しかし、母がツホのことまで忘れているのではなかった。うちの状況が良くなればなるほど、ツホに対する母の偏愛は酷くなっていった。母は父とは違って露骨だった。ひょっとすると、それは子供に対して、前もって情を断とうとした母の痛哭だったのかもしれない。
「子供が死んだ後で悲しんでも無駄だ。」
ツホは母が考えていたようにそんなに簡単に死ななかった。母のそうした軽率な考えを嘲笑うように部屋の片隅や大家の庭で静かに一人で遊んだ。ある時は、朝出かけたツホが夕飯時になって帰ってきたりした。ツホがそのように外に出かけて戻ってこない度に、母はついに来るものが来たなという顔で慌てふためいた。しかし、ツホは自分の足で家を探して帰ってきた。
「お前、どこへ行ったんだい?」
母が自分の予感を恥ずかしがりながら、かえってその恥ずかしさをツホに対する折檻で表した。
「お母さんをこんなに苦しませようとするなら、早くくたばってしまえ!」
折檻をされた後、ツホはあたふたとガツガツご飯を食べて、その場に倒れて寝入ったりした。
「お前、どこへ行ったんだい?」
ある日、僕がこっそりなだめながら聞いてみた。
「山へ行った!」
「山へ何しに!」
「鳥を捕まえに。」
「鳥?」
「山に鳥がたくさん!」
ツホが鳥好きなのは事実だった。大家で十姉妹のつがいを育てた時、ツホは何時間も鳥かごの前にしゃがみこんでいたりした。その十姉妹が雨にあたって死んだ時、ツホは悪性の風邪をひいていた。悪性の風邪が治ってもツホは空っぽの鳥籠の前に長い間しゃがみこんでいたりした。母はツホが外に出られないようにした。ツホは外に出る代わりに家の中で火遊びをした。
大家の小母さんが真っ青になって怒りで跳び上がった。母が家中のマッチを全部ツホの目につかない所に隠しておいた。しかし、ついにツホがその火遊びで問題を引き起こしたのだ。すっかりきれいに燃えてしまった。大家は勿論うちの所帯道具まですっかり燃えてしまった。始めツホまで死んだと思って母は地面を叩いて泣いた。ツホが発見されたのは翌日の朝隣家の地下室でだった。
「お前が火遊びをしたんだろう?」
人々が問い詰めた。ツホは返事の代わりにわっと泣き出した。僕たちは乞食の身の上になった。母は警察署に20回以上呼ばれて通った。父は会社からお金を借りてきて大家に渡した。母と父が刑務所に行かなかっただけでも幸運だった。
僕たちは山の麓の町で部屋を一つ手に入れた。ご飯を炊いて食べるアルミの釜からスプーンまですべて新しく買わなければならなかった。暮らし向きは話にならなかった。僕は学校をしばらく休まなければならなかった。
「この馬鹿野郎!」
母はツホを折檻した。怒りが込み上げて折檻しては自分の怒りにくたびれてツホを抱き寄せて号泣した。
ツホは玩具なしで遊んだ。家でじっとしている時間より外に出て遊ぶ時間が多かった。外で子供たちと一緒に遊ぶことがなく、一人で山に登って行くことが好きだった。山に鳥が多い。しかし、ツホはいつも手ぶらで帰ってきて母の様子を見ながらご飯を食べて、それからその場所で倒れて寝てしまったりした。
父が月給をもらって来ることに不安で母は占い師を訪ねた。家中の隅々がぞくぞくするような鬼気を帯びて、再びあの異常な護符が張られ始めた。今は分別がついているツホは母が嫌がることをしなかった。しかし、母はツホに対する警戒を決して解かなかった。
しかし、また問題が勃発した。本当に隠れていて襲いかかるようなものだった。
「むしろきれいになりました。」
父の消息を持ってきた会社の人が母に語った。父が運転している車に轢かれた人がその現場で亡くなったのだ。大怪我をして入院した後に何度も頭痛が生じることに比べれば、会社側としては本当にうまくいったということだ。
その事故を起こして父は300里(日本の30里)離れた地方都市の警察署の留置場にいた。母が2日に1回ずつ父の面会に行った。夜明けに出かけた母は夜12時になってから帰ってきた。母はくたびれていた。僕がラーメンを作った。ラーメンを置いたけれども、母は既に意識を失って眠った後だった。そうして服を着たまま倒れて眠った母は再び3時ぐらいに目覚めて、放っておかれた洗濯をして朝ご飯を作ってから家を出た。母は正気ではなかった。僕たち兄弟のようなものは眼中にもないようだった。
その日の晩も母はまだ帰ってきていなかった。僕たちが借りて住んでいる大家からはテレビの音がとても大きく聞こえてきた。家族全員が拍手してにぎやかだった。ボクシング中継だった。我が国の選手が世界タイトルをかけて戦っているのだろう。
僕は唇をかみしめたまま耐えた。ラーメンを作る鍋で火傷した指が赤く膨れ上がった。大家のテレビがワーワー喚き声を張り上げていた。KOパンチが爆発したようだった。僕たちの部屋にはそのありふれたラジオ一つなかった。
「お兄ちゃん、ラーメンできた?」
ツホが首を長く伸ばして台所を見た。
ツホは自分の分のラーメン1杯を瞬きする間に食べてしまった。僕たちはその日昼食を抜いたのだ。
「お兄ちゃん。お水!」
僕が台所に水をすくいに立つと、その間にツホが座って僕のラーメンどんぶりを持って、鼻水を長く垂らしたままガツガツ食べてしまった。ワイワイ大家のテレビが叫んでいた。
「こいつ!」
僕は歯ぎしりした。ツホがちらっと僕を見上げた。ああー僕はツホのそのがっついた目を見ると鳥肌が立った。このようにツホが恐ろしく見えるのは初めてだった。猫事件のその日の朝、母に首を絞めつけられたまま、僕を見上げたそんな目だった。
「ツホ、僕と山へ行こう!」
僕は慌てて服を着きながら言った。実に瞬間的な決断だった。
「・・・・・?」
「僕があの裏山に鳥の巣を見つけておいた。夜行けば捕まえられる。」
僕はツホの生気のない目がぱっと輝くのを見た。
僕たちは飛ぶように山を登り始めた。山の大きい道を避け脇道を捜して森が生い茂った山の中に入った。山鳥が場所を変えて座ろうと騒々しいだけで、登山客がすべて下山した夜の山の中は死んだように静かだった。
「お兄ちゃん!」
ツホが僕の後ろから喘いでいた。
「あと少しだけ登ればいいよ!」
僕は歩みを緩めなかった。思ったよりツホの歩みは速かった。僕がどんなに速く歩いてもツホは僕の後で荒い息遣いをしていた。しかし僕は速く歩き続けた。
「お兄ちゃん、一緒に行こうよ。」
ついにツホが泣きながら叫び続けた。山の中のひっそりした夜の空気が僕たちの足音によって少しずつ揺れていた。つま先に感じた石が斜面を転がり落ちた。その度に僕は全身に鳥肌が立つほど怖かった。
「幽霊だ、幽霊!」
歩みが遅れたツホに向かって、僕がいきなり叫んだ。幽霊だ、幽霊――
夜の山の中のこだまは一層響きが玉を転がすように冴えわたった。声を張り上げて僕は更に早く走った。まるでツホに捕まったら死ぬとでもいうように必死に走った。
「お兄ちゃん!」
かなり取り残された所でツホが泣き叫んでいた。わあわあー-山全体が泣き声を出した。僕はふいに振り返った。山の下の町の灯が全く見えない位置まで来ていることがわかった。既にただ1歩前でも見分けがたい漆黒のような暗闇が覆っていた山の中だった。
僕は道の脇の岩の後ろにじっと体を隠した。そして息を殺したままツホが近づくのを待った。ツホがグスグス泣きながら近づく気配があった。ツホが近づくほど僕は胸が締め付けられた。ツホが怖かった。しかし、僕はこれ以上逃げず待った。ついにツホが僕のそばまで達した瞬間、僕は心臓が爆発しそうだった。僕はぱっと体を起こして雷鳴のように強く声を上げた。
「幽霊だ!」
ツホがアアと声をあげてその場所に座り込んだ。僕はどさくさに紛れてまた山を駆け上がり始めた。僕の足音だけがすべてだった。その足音に怯えてそのまま歩みを止めた。静寂が押し寄せてきた。また全身で鳥肌が立った。ツホの気配はどこにもなかった。
僕は矛盾した気持ちの中でツホの所在を把握したかった。
「ツホ!」
僕はぶるぶる震える声で呼んでみた。しかし、僕の声は暗闇の中でとても大きな響きになって戻ってきた。僕が僕の声を意識するそんな奇妙な怖さに髪の毛が逆立った。頭の中に怖さが広がった。しかし、ツホを捨てようとする僕の決心が揺らぐことはなかった。ツホは既に捨てられた。ツホは返事ができないはずだ。
「ツホ!」
僕はためらいながら山道を下り始めた。登る時には全く気付かなかったが、傾斜が急な畑だった。注意しながら踏みしめた。ツホの気配を失ってはいけない。ツホは生きているだろう。生きているはずだ。バタン、足を踏み外した瞬間、石が一つ転がり落ち始めた。坂を転がって谷の底に崩れ落ちる大きい石の一群のドシンドシンという音が山の中の静寂を余すところなく壊した。僕は耳を塞いだ。大きい石の一群の中に巻き込まれて転がり落ちるツホの悲鳴のせいだった。ツホ一人で山へ行った。母は僕の言葉を信じるだろう。あいつは死ぬはずの子供だった。母が皆を説得するだろう。しかし、耳から手を離したとき、既に石が転がる音は終わっていた。その音より一層恐ろしい静寂が漂ってきた。
「ツホ。」
僕はツホを呼び続けながら、おそらく、おそるおそる坂道を下っていた。まるでかくれんぼで隠れた子供を探す鬼のように注意深くツホの気配を捜した。しかし、ツホは返事をしなかった。急に身の毛がよだった。恐らく大きい石の一群の崩れ落ちる音を思ったのだろう。
「ツホ。」
僕はどっと寂しさのようなものを感じた。それは恐ろしさとはまた違う震えだった。僕はワナワナ体が震え始めた。
母の失神した顔が見えた。お前がツホを殺したのだろう?母が僕の襟首を引っ張って叫ぶ。果てしない絶望が胸の底から突きあがる。
「ツホ。」
僕はむしろ泣きたかった。しかし、体の震えが深刻で簡単に泣けないと思った。
ふいに目の前に、真っ白なものが見えた。僕はその場に凍り付いた。
「お兄ちゃん。」
いきなり襲ってかぶさったものはツホの小さい体だった。僕はやっと座り込むことだけは免れた。僕の胸で羽ばたきながら息を弾ませる小さい鳥1羽。ツホは僕の胸に顔を埋めたまま、その痩せこけた両手で僕の体をぐっとつかんでブルブル震えた。まるで絶壁の先端にぶら下がった人が必死の力で岩にしがみつくように、僕の体にしがみついていた。僕はツホの心臓が弾む音を聞いた。ひょっとすると、それは僕の心臓の音だったかもしれない。ツホの小さい手から暖かい体温が僕に伝わった。
「お前、どうして返事をしなかったんだ?」
僕の問いにツホがまだ怖がっている声で、
「お兄ちゃんが僕を見捨てて別れて行ったよね?」
僕は耐えられなくてその小さい体をぐいっと抱きしめた。ようやく僕の目から熱いものがボタボタこぼれた。ツホは思ったより重かった。僕はツホを負ぶって暗闇の中の山道を下りながら、再び見えてきた山の麓の町のまばゆい灯から目を離すことができなかった。しかし、その灯がある山の麓の町に対する敵意のようなものは洗ったように消えていた。
僕は飛び回って弾むように山道を歩いた。僕の背にはツホがくすぐったがってくすくす笑った。
「ツホ。」
「うん、お兄ちゃん?」
「僕たちは今鳥のように飛んで下りて行くんだ。」
僕たちは本当に暗闇の山で麓の灯を目指してフワリフワリ飛んで下りる気分だった。
僕はもう涙のようなものは流れなかった。腹の深いところから突き上げるいっぱい満たされた力のようなものを感じただけだ。
それは翼が折れたこの幼い鳥の肩先に新しい翼が生えるまで、僕がその翼になって羽ばたいてやろうー-そんな心の誓いを奥歯にかみしめたからだった。 (終わり)

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