読書感想283 反日種族主義(2)
韓国語版には日本語翻訳版にない3つの章が存在する。
「9.学徒志願兵、記憶と忘却の政治史」
「16.亡国の暗主が開明君主へ変身する」
「17.乙巳五賊のための弁明」
内容が面白いのでここに翻訳の要約を載せるが、あくまでも韓国語の勉強のための翻訳である。
「9.学徒志願兵、記憶と忘却の政治史」の翻訳要約
1)学徒志願兵とは?
当事者、研究者、そして現在の文政権の三者の見解が紹介されている。
1944年1月22日朝鮮人学徒志願兵3050名は特別志願の名目で日本軍に入営した。解放後、学徒志願兵出身者は自分たちを「民族の十字架を背負った若い知識人」だったと主張した。
在日僑胞出身の韓国近代史研究者、姜徳相は学徒志願兵を「志願」を仮想した強制動員だと述べた。
2018年1月大韓民国行政安全部は「日帝の朝鮮人学徒志願兵制度及び動員部隊実態調査報告書」を発表。この中で日本軍を脱営し光復軍に身を投じた学徒兵を独立有功者とし、さらに彼らの学徒志願を独立運動として格上げさせるとまで主張した。
争点は三つある。自発的な志願だったのか、強制だったのか、独立運動だったのかである。
2)日本陸軍省の指令は?
1943年10月20日日本陸軍省は専門学校と大学の法文系に在学中の朝鮮人学徒を対象として学徒志願兵を募集する「1943年度陸軍特別兵臨時採用規則」を公布した。1943年8月朝鮮人徴兵令が正式に公布された状況で学徒志願は日本人の学徒出陣と同一の国民の義務の履行とみなされた。朝鮮総督府は1943年10月25日から11月20日まで志願者受付をして、12月11日から20日まで適性検査を行った。合格者は12月の予備軍務教育を経て、1944年1月20日に入営した。
学徒志願兵制は、日本人学徒出陣と違い朝鮮人を対象とした徴兵制が実施される以前だったので、法律的な強制性はなかった。
3)強制性の有無?
姜徳相と行政安全部は学徒志願適格者6203名中4385名が日本軍へ入隊したと主張したが、1944年の日本政府の資料では、学徒志願適格者は6101名だった。そのうち4610名が志願したが、1491名が志願を回避した。そして適性検査を受けた合格者は3117名で、疾病やそのほかの理由で67名を除外した3050名が正式入隊者となった。24%も適格者でありながら志願を回避したり、適性検査で不合格になる人も多く、無条件に強制されてはいない。当時の京城帝国大学生として学徒志願しながら適性検査を拒否したソ・ミンウォンは、当時の若い人は軍隊へ行くか工場へ行くかを強いられる雰囲気の中で、選択するのは自分自身だったと述べている。
結論としては強制ではなかった。
4)学徒志願兵は独立軍の一翼を担ったのか?
解放後、学徒志願兵出身者は1.20同志会を結成した。彼らは彼らが大韓民国の発展を主導したという矜持でいっぱいのいわゆる「1.20士官」を作り出した。彼らの回顧録は学徒志願に込められた立身出世の名誉欲、平安な軍隊生活、赤裸々な欲望を隠ぺいした。もっぱら日本を「公共の敵」として民族闘士の面貌だけを強調する、とんでもない記憶を生産して広く流布した。彼らは日本の煽動と欺瞞に騙された馬鹿ではなく、日本軍に強制動員された被害者でもなく、ましてや祖国の光復にために献身した民族の闘士ではなかった。彼らは生れたときから日本国民で国家主義精神の染みついた忠良な帝国臣民だった。朝鮮人有力者と資産家層の出身として、この学徒志願兵は親日エリート世代を代表していた。
「解放以後学徒志願兵出身者が具現した記憶と忘却の政治は一つの巨大な虚偽意識だった。彼らはわずか数名の学徒兵の反日志士としての行為を彼らの集団志向に引き上げ粉飾した。当初学徒志願行為に込められた立身出世の欲望はそれで充分隠された。そうした記憶と忘却の政治は彼らが指導層として君臨した韓国人の集団心性まで歪曲した可能性がある。今日韓国人の歴史意識を縛り付ける反日種族主義は彼らの偽善的記憶から始まったといえる。2018年政府が乗り出して彼らの学徒志願を独立運動まで格上げしなければならないという主張は政治によってどれほど深刻に汚染されるかを見せる教科書的な事例だと言えるだろう。」
5)感想
多くの人が真実を知っていながら、嘘が70年も認められてきたというのは、何が原因なのかと考えてしまう。この本の意義は韓国人が嘘に真っ向から向き合った点にあると思う。韓国も歴史の転換点なのかもしれない。