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見過ごしてしまうところだった。
眼を凝らさないとわからないほどの、小さいが凄まじい蠢きがおきていた。
ベランダの蛾の卵が孵ったのだ。
幼虫があまりに小さいので、虫メガネを通して見ないとわからない。
鉛筆で点を打ったような小さなものが、無数に見えない糸を引いてぶら下がり、風に吹かれて揺れている。よく見ると、点の幼虫はくの字になったり、しの字になったりしてくねっている。
強い風が吹いてくると、点の一団はどこかへ吹き飛ばされてしまう。するとまた、つぎの一団が降下部隊のように下りてくる。
そのようにして、小さな生き物の旅立ちが2日間つづいた。
風に飛ばされた幼虫はどこへ行くのだろうか。
どこかの草の上か土の中へ落ちて、鳥や虫に食われたりしながら、幾匹かは生き残るのだろうか。風まかせの旅立ちのすえに、翅の形を得て、やがて再び風にのる日がくるのだろうか。
ゴミのように小さな命の、あてどない行く末を思っている。
桜も咲きはじめた。虫も人も旅立ちの春だ。
いつかの春、ぼくもゴミのように旅立ったひとりだ。ゴミのように生きて、いまもまだゴミのままだ。
蛾という漢字は虫と我が合体したものにみえる。虫が我に返ったとき蛾になるのだろうか、などとこじつけてみる。ぼくもまた、もういちどゴミの中に我を探してみよう。春だから、できるならば新しく生まれてみたい。
いまは風まかせの小さな蛾の幼虫が、自らの意思で風にのる。そんな季節が始まっている。そのさきは風の物語だ。
我が身を振り返るような、
人間もはかないと思わせるような、
それでいて、
それでいいのだ、
と思えるような詩でした。
次々と、風に行く手を任せて旅立つ命の頼りなさと同時に、
潔さよさにも心を揺さぶられました。
お写真のヒイラギナンテンから、あま~い香りが漂ってくるようです。
コメント、ありがとうございます。
生き物はみんな、大きいものも小さいものも、
それぞれの命を生きているんですね。
消えそうで点のような小さな幼虫が、
細い糸にぶら下がっている。
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を想いました。
コメント、ありがとうございます。
ヒイラギナンテンのあま~い香り、届きましたか。
いろいろな花がいっせいに咲きはじめましたね。
たしかに、塵のような虫の命が風に揺れている様子には、こちらの心も揺れました。揺さぶられました。