散歩に出る とても静かだ 道は誰も歩いていない 賑やかだったクマゼミの声も とつぜん無くなった ときおりツクツクボーシの声が どこか遠くで弱く みんな何処へ行ってしまったか 静かに振り返ってみると 近しかった人たちはほとんどすでに 墓の中で眠っている 祖父や祖母はもちろん 父や母やおじおばたち ぼくより若いいとこまで 親友もすでに2人去った 親友といえるものが たった4人しか居なかったから 半分になってしまって 人生の半分が失なわれたようで 半身の淋しさで いま歩いている 夏がぜんぶ夏休みだった あの頃は親しい人だらけで 知らない顔がたくさん はじめて会う顔でも 親戚という名で繋がっていて 表情や声のどこかが似ていて なんとなく近しい そんな人がいっぱい居た 夜はあちこちの家から ご詠歌と鉦の音がチーンチン 仏壇の前の伯父の声が 父の声や祖父の声とだぶって 近しい人たちは同じ声で 生きてる人と死んだ人が ひとつの声で繋がっていた 大阪の実家は融通念仏宗 九州の母の実家は法華宗 愛媛出身の祖父は古義真言宗 ややこしい家系の仏たち と若い頃は 仏教にも興味をもち 古刹を訪ねたり 般若心経を暗記したり 南無妙法蓮華経 南無阿弥陀仏 色即是空 空即是色 漠とした空無の果てには なかなか手が届かなくて いつしか現世利益ひたすらに 時がたち今では 無利益の散歩に落ち着いて きょうは盆風も立ち つくづく一生と ツクツクボーシが鳴き始め 妙にまわりが静かになって 偲ぶことばかり多くなり ふわと浮き上がるわが身 かつて届かなかった空無の果て 其処には何かがあったのだろうか などと遣り残したことへの 数々の悔いや迷い 生きてる人が遠くへ行き 死んだ人たちが近くに来る この日々のそんな瞬間 ふと振りかえると 静寂のなか声だけが近しい