ラブレターにまつわる思い出は、どれもほろ苦くて、心に痛みを伴うものばかりだ。
最初の関わりは小学生の時だった。
5~6人のグループでいたずらを考えた。クラスのある男子からある女子にラブレターを出す。そんな架空の手紙を、ぼくが清掃委員だというだけで、書き役にされてしまったのだ。
好きだとかキスしょうとか、それぞれが好き勝手に言い出す内容を、作文の才もないぼくが手紙らしくまとめていく。内容は覚えていないが、とても幼稚なものだったと思う。
その手紙を、グループのひとりが紛失してしまった。
担任は若い男の先生だった。ひとりひとり詰問されて、気の弱い子が白状してしまった。結局、書いたぼくが犯人ということになった。
昼休みに教室にひとりだけ残された。いきなり先生のびんたが顔に飛んできた。ぼくはそばの机で体を支えているのがやっとだった。
自分では悪いことをしたという認識はなかった。けれども、先生の怒りは尋常ではなかった。きっとぼくは悪い奴なんだ。もう誰もぼくと遊んではくれないかもしれないと思った。
ひとり教室に残って弁当を食べていたら、先生がそばに来て、さっきは痛かったか、と慰めるように声をかけてきた。その声は優しかった。まるで別の先生のようだった。それまで必死に堪えていた悲しさが、一気に涙になって溢れ出てきた。
そのあと、しょんぼりして校庭に出ていくと、みんなは何事もなかったように遊びに入れてくれた。
結局、ぼくは悪いことをしたのかどうか自分でも解らず、先生の怒りの意味もよく解らないままだった。
中学生になったばかりで、またもやラブレター事件に関わってしまった。
クラスのある女子が、誰かに宛てたラブレターを持っているという。友人がそのことを気にしていて、その女子からラブレターを奪うことに、ぼくも加勢してしまった。
その手紙は、奪った友人当人へ宛てたものだった。彼はそのことに感づいていて、ただ確かめたかったのかもしれない。
お前なんか嫌いだと言って、彼は彼女を殴ったり蹴ったりした。
ぼくは彼女のことが嫌いではなかったので、この展開は残念なことだった。じっと耐えている彼女がかわいそうだったが、共犯者になってしまったぼくは、彼に味方することしかできなかった。
恋というものが解るようになって、ぼくは初めて自分のラブレターを書いた。藤村の『初恋』の詩を引用したりして、どきどきしながら投函した。
すぐに返事は来た。優しい言葉で拒絶されていた。
すっかり自信をなくしてしまったので、次にラブレターを書いたときは、恋や愛などという感情は押し隠して、ちょうど夏だったので蝉のことばかり書いた。蝉について知ってるかぎりのことを熱をこめて書いた。ラブレターのつもりだった。
けれども、何気ない手紙には何気ない返信しか貰えなくて、その恋は進展しなかった。
そののち少しばかりは大人になって、ラブレターを書く機会は再びやってきた。
書き方もだいぶ上達していたと思う。長い長い手紙を書いた。何通か出した。けれども1通も返事は来なかった。
彼女は字も下手で、文章を書くのが苦手なのだと言った。だから手紙を書いたことがないらしかった。
皮肉なことに、この恋は成就した。
いつのまにか、文章を書くことがぼくの習性になった。
もしかしたら、ぼくは今でもラブレターを書き続けているのかもしれない。
詩を書くときも散文を書くときも、自分のハートの熱いところを探りながら、それを誰かに届けたいと思って書いている。
その結果、いくらかの快い手ごたえをもらうこともあるし、冷たくそっぽを向かれては落胆することもある。
心がおどる思いを、しっかり届けるのは難しいものだ。