騒がしさの中に、静けさがある。見えそうな声と、見えそうでない声がある。出かける人たちや帰ってくる人たちで、夏のひと日が慌ただしく過ぎていく。生きている人たちが遠くへ行き、死んでしまった人たちが近くに帰ってくる。生きている人と死んでしまった人が、見えないどこかで交錯する透明な夏がある。
近くにいた人たちが半分になった。いつかどこかを、行ったり来たりしているうちに、人生の半分を失ってしまったみたいな夏。
失った日々を振り返る。かつては父が生まれ育った家でお盆を迎えた。ご詠歌と鉦のしずかな響きが仏を迎える。知っていたり知らなかったりの、縁者がごっちゃに集まるお盆の夜だった。
祖父の声は父の声にそっくりで、父の声と伯父の声も見分けがつかなかった。よく似た声と声が唱和して、時を越えて寡黙な仏へと繋がっていくのだった。いまはもう3人とも黄泉の国へ行ってしまい、残された者たちも次第に縁遠くなりつつあるけれど。
大阪生まれの父は、その生涯の大半を母方の九州で暮らしたので、墓は九州にある。
父は死ぬまで大阪弁をしゃべっていたが、幼少期を九州で育った私は、思春期を東京で過ごし、その後はずっと大阪で暮らしているが、いまだに大阪弁をうまく喋れない。
土地の言葉が使えない私には、思いをそのまま出せる言葉がないような、もどかしい気分になることがある。いつまでたっても身に沿わない言葉を使い、他所の人みたいだ。
私は未だに何をどうすればいいのか分からない。お墓参りの念仏も、南無阿彌陀仏か南無妙法蓮華経かでややこしい。どうでもいいことだが、大阪の里は古い宗派の融通念仏宗で、九州の里は法華宗だ。念珠の形までうるさかった人たちは、すでにもう墓の中で眠っている。そのせいかどうか、お盆はすっかり静かになって、いまでは思い出の中の声だけが騒がしい。古い人たちはみんな声が大きかったのだろうか。
蝉しぐれの道を歩いていて、ふと聞き覚えのある声に振り返ることがある。だが、そこには誰もいない。
「2024 風のファミリー」