【正論】高崎経済大学教授・八木秀次 靖国参拝見送りは「不戦敗」の容認
■歴史解釈は戦争の代替行為である
【≪なぜ今蒸し返されるのか≫
先頃、いわゆる従軍慰安婦問題に関する日本政府への謝罪を求める決議が米下院本会議で可決された。今年は12月に南京事件から70周年を迎えるが、中国政府関係や中国系の人々によってやはり日本を非難する映画が10本近く製作されている。そんな中、安倍内閣の高市大臣を除く閣僚が8月15日の靖国神社参拝を見送った。参拝が一人と寂しい限りだが、参拝反対の国内外の圧力に屈した形だ。少なくともそのようなメッセージを国際社会に発したことは間違いない。またもや安倍内閣は対応を誤ったようだ。
(つづきは、こちらで、↓) (Sankei Web)
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/seiron/070817/srn070817000.htm
友人と靖国について話した折、気にかかったことがありました。靖国参拝に違和感を示す人の多くが、おそらく、靖国神社を「不気味な国家権力」を重ねているということ、国家権力というものを悪いものであると感じているのでは、ということです。戦前の日本が国の存亡を賭けて国民に課した負担、それを象徴する悪いもののように、靖国神社を見ているのでしょう。
敗戦した日本はアメリカや連合国に裁かれ、言われるまま、なすがまま何も考えずにただ復興に全力を傾けました。「これほどまでにひどいことになったのは、日本が全て悪かったから、一般人を大量に巻き込んだ原爆を落とされたことになったのさえも日本が悪いからだ。」とさえ言われても、反発する考えも起こらないほどに。
終戦記念日、この国を支えるために亡くなった人々を前に、彼らが守ろうとしたこの地に立つ私達。この日に私たちの代表である閣僚のうちお一人しか参拝しなかったという現実は、この国が戦後の体制で失ったものの大きさを物語っていると思います。
国とは何でしょうか?国家とは?確かなことは、今、私たちの場所である日本国という枠がなくなれば、今の生活のすべては全く違ったものになるということです。難民ということですね。土地も家も何もかも、ルールも規律も法律も何もかも失われてしまうでしょう。
国とは、「国民を何よりも優先的に守るもの」。そのためには、国民は、自らの存在を維持するために、国をよりよい形で維持していかねばなりません。少なくとも、戦前の国民は、日本を維持する者は日本人しかいないということを、現在よりは理解していたと思います。
この60年の間、日本人が得た経済の繁栄と引き換えに、日本人が忘れ失ったものも途方もなく大きい。日本と日本人が守ってきたものを忘れること、それを望んでいる国があり、国外だけでなくそれに組みする勢力(情けないことにマスコミも含めて)が靖国を故意に問題化しようとしていることも認識しておく必要があります。
戦前の日本と今の日本を同一化し、未来永劫、歴史問題という名のもとに糾弾し続けるだろう国と、それらに組みする勢力に対して、
毅然と対峙できる日本への道を、日本人は見つけることができると信じたいと思います。