安倍内閣が手をつけた、官僚主導の政治体制がもたらす諸悪を改革する、「国家公務員法改正」が、福田内閣で予想通り行き詰まり、元の木阿弥になりそうな気配とのことである。日本はまた、官僚が潤う官僚のための政治が続くのだろうか。
【正論】政治評論家・屋山太郎 「天下り」に大甘な福田政権
2007.11.26 03:18 (MSN産経ニュース)
■「国家公務員」改革が頓挫した理由
≪官邸から相次ぐ後退発言≫
安倍晋三政権の末期に断行された国家公務員法改正は官僚主導の政治体制、天下りや渡り、業界の談合体質など官僚にまつわる諸悪を摘出し、政官業の関係を健全化する切り札だった。同改正法に基づいて(1)官民人材交流センター(人材バンク)の制度設計(2)キャリア制度の見直し、という2つの作業が開始された。それぞれについて有識者懇談会が設けられ、年内に報告書が出される予定だった。しかし福田康夫首相、町村信孝官房長官がここにきて強烈なブレーキをかけている。
福田首相は10月17日の参院予算委員会でキャリア制度の存廃については「決めかねている」と述べ、町村官房長官は「公務員バッシング的な発想ではない議論をすべきだ」と公務員改革をやめんばかりの発言をしている。キャリア官僚の中にも「天下りや渡りを禁止するようだと官僚に成り手がなくなる」と公然と言う意見がある。
首相や官房長官のこうした異論は現在行われている官僚主導の政治体制を是とするか非とするかという基本的考え方の違いからきている。
たて続けに起こっている官僚がらみの問題を想起してほしい。今年初頭から建設業界の談合摘発が相ついでいる。この談合事件と建設官僚の天下りとは密接不可分の関係があり、摘発されているのは氷山の一角だ。
≪利権を手放さない中央省庁≫
社会保険庁の年金記録問題に端を発して、年金資金を“流用”したグリーンピア建設問題も強い批判を浴びた。この56年間に払い込まれた年金保険料総額は500兆円といわれるが、このうちの6兆9000億円が流用されていた。問題なのはこの流用が「年金福祉事業団法」という法律に基づいて行われていたことだ。
松岡利勝農水相を自殺に至らしめた「緑資源開発機構」も法律に基づいて設置されたものだ。機構には林野庁から14人が天下り、補助金619億円を受け、傘下に8つの法人を設立してそこには30億円の補助金とともに217人が天下っている。
(続きあり)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071126/plc0711260318000-n1.htm
官僚・公務員とは国家と公のために仕事をする人間。
「天下りや渡りを禁止するようだと官僚に成り手がなくなる」と公然と言う意見がある。
この発想には驚かされる。成り手がなくなるかどうかやってみればよいではないか。天下りができないならば、官僚になどならないという人間を、国民は求めていない。国家のために働くという重大な責任を持ち、それに見合う報酬を得ていながら、それ以上の利権を求める官僚の堕落が、どれだけ国に損害をもたらしたかは、ここ数年の目を覆うばかりの官僚・公務員がらみの事件を見ればわかるだろう。万一どれだけよい政府ができたところで、それを実行する官僚が地位と利権にしがみつき、自己保身しか頭になければ、待てど暮らせど国民のところに恩恵は訪れないだろう。
福田内閣は官僚のためではなく、国民のために行動するべきである。総理大臣としてあたりまえのことではないだろうか。
「安倍晋三政権の末期に断行された国家公務員法改正は官僚主導の政治体制、天下りや渡り、業界の談合体質など官僚にまつわる諸悪を摘出し、政官業の関係を健全化する切り札だった。」
官僚から天下りと利権を奪う法改正を実行しようとした安倍政権をつぶした勢力の一つが、官僚(とマスコミ)と言われていたが、自己の利益のために国民が選んだ政府にまで圧力をかける公務員とは一体何者だろう、もはや公務員といえるのだろうか。官僚・公務員は、自分たちの権益、利権温存について政府に圧力をかける一方で、自分たちの犯罪の責任は、労組の基盤民主党(この意味で民主党と官僚はお仲間)を通して、一切合財まとめて政府の責任とすり替え、押しつけ、政府を攻撃できる。なんという都合のよい、そして卑劣な国家公務員たちだろうか。
国民に選ばれたのは議員であり、政府である。官僚ではない。官僚が政府のいうとおりに動かない、政府よりも官僚の意思が優先するなどということはあってはならないだろう。福田内閣は、このような官僚の圧力に屈してはならない。